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もうすぐ10周年、中南米放浪の旅(後半) [Argentina 2017]

 さて、先日の続きだが、今回は仕事と収入に的を絞ってもう少し掘り下げてこの10年間を振り返ってみよう(自分が思い出す為だ。事実、書きながら何度も何度も訂正した。出来るだけ正確に記そうと努めたが、もうまったく思い出せない部分があるので何処まで正確かは保証の限りでは。笑)。


 2007年9月、日本脱出から僅か4ヶ月後にGuatemalaに着いた頃にはすでに100万円は半分くらいはなくなっていて、早速、仕事探しを開始しなければならなかった。Cubaでおそらくは3000ドルくらい、Mexicoで2000ドルくらい使ったんじゃないかと思うのだが、正直当時は一度も計算をしたことがなかったので、正確ではない(なくなる寸前まで手持ちの資金を数えようともしない男)。ともかくも、そんなこんなで着いて1週間ほどで仕事探しを始め、実際すぐにラテンアメリカで最初の仕事をゲットすることができた。それは本当に簡単な出だしに思えた。。。
 先日に書いたように、ひとつはCafe-Barのようなポルトガルレストランでコックの仕事で、週末の2日間で月100ドル程度と大した稼ぎではなかったけれど、もうひとつは広告カメラマンの仕事で、さっそく4-5件ほど受注したので、Antiguaでの4ヶ月に及ぶ滞在費と国内あちこちへの観光費用を賄うにはほど遠かったけれど、それでも4ヶ月トータルすると1000ドルほどは稼ぐことができた。(※最後に家具を扱う輸入販売店のカタログ写真を丸1日間撮影する仕事が入って、350ドルほど稼げた。)そもそもはカメラマンの仕事なんて考えてもいなかったのだけれど、地元Antiguaのフリーペーパーに使われている料理写真がヘタクソ過ぎて、これなら経験のある仕事じゃないかっと思いついたのだ。(まさか中南米でそんな需要があるなんて考えもしなかったのだ。)

 2008年1月、Guatemalaを出て、Hondulasを通り(たった4-5日ほどの滞在でホテルの仕事を一件ゲット40ドルほど?)、El Salvadorを10日間ほどで通り過ぎて(仕事はゲットできなかったが、Yancyたちと出逢ってお世話になったおかげで出費は大してなかった)辿り着いたNicaraguaではすでに日本から持って出たお金は本当にほとんどなくなっていて、積極的にカメラマン&デザイナーとしての仕事に励んだ。VISAの関係で滞在期間は2ヶ月を切るという短期間だったけれど、仕事はトータルで6件も受注できた。Lucaの自宅に2-3週間ほどタダで住ませて貰ったりしながら、500-600ドルほどは稼いだはずだけれど、それでもついに元手の100万円という軍資金は底をついて、ここから本当の意味での100%の自活が始まった。(※100万円は8ヶ月-9ヶ月しか持たなかった訳だ。笑)

 そんなこんなで2008年3月Costa Ricaに到着した時の所持金は僅か800ドル程度だったはずだ。中南米で稼いだ1600ドルのうちの800ドルだ。もうそれが全財産だった。わはははは
 Costa Ricaでも広告カメラマンの仕事に励み、お寿司を教えたりしながら3ヶ月間で500-600ドルくらい、それなりに稼いだにも関わらず、、あまりの物価の高さに、稼いだお金はほとんどなくなってしまい、GlendaとLucaの誘いで2008年6月、Nicaraguaに戻った時は多分200ドル程度しか手持ちはなかったはずだ。わはははは ... (この時点でやっと1年経過。)

 で、Nicaraguaでいよいよシェフとしての仕事を開始した訳だが、Glendaに騙されて(当てにならない約束に翻弄されてというべきか。笑)、1年も働いて、結局1800ドル程度しか手元には残らなかった。。。"いくらでも支払うからと言われて戻ったら、今はオープンにお金が掛かって支払えない"と言われた。(※わたしとしては最低月1200ドル程度は稼げると考えていたのだが実際に支払われたのは当初月500ドルから最後3ヶ月間だけ月750ドルだった。辞めると言ったらようやく1000ドル支払うからと止められたが、そんな話に乗るもんかっ!って感じだった。わははははは但し、Managuaではレストラン内に居住できたので、基本、食費・住居費はゼロだったので、もう少し貯めれたはずなんだけどなあ。。。おかしいなあ。。。わはははははははは)

 そんな訳で2009年8月、1800ドルほどの所持金でCosta Ricaへ。
だがそれでも当時は1800ドルあればなんとでもなると考えていた節があって、Costa Rica国内をあちこち観光した後、カリブ海側の小さな村Puerto Viejoで1ヶ月ほど過ごす。だが思いも掛けずたった1ヶ月の間にたくさんの広告カメラマンの仕事を頂いたし、それ以来のお付き合いになるAndrewのChile Rojoではお寿司を教えたり、お客さん相手に寿司クラスをしたりして600ドルくらいは稼ぎながら楽しく過ごした。

 そんな訳で順風満帆とばかりに(勘違いしてるというか計算できてない。笑)、意気揚々と2009年9月、Panamaへと移動した頃の手持ちは1500ドルくらいじゃなかったか??わははははははははは
ところが、Panamaで最初の3ヶ月間一切の仕事が見つからず、おまけにハードディスクが壊れ、さらにPCまで壊れ、所持金はほぼ底を尽いてしまう。初めて所持金ゼロになったのがPanama Cityだった。わはは
だがちょうど所持金ゼロになった時は、カメラマンの仕事を受注していて、前借りをして生き延びることができたが、PCを買い替えなければならなくなった時はどうしようもなく、日本の友人がわたしを助けてくれた。ありがと♪
だがその後の6ヶ月間、ようやく軌道に乗り出した広告カメラマンの仕事は12-14件に及び滞在費を賄うことが出来たし(1500ドルくらい??)、最後の2010年5月には某印刷会社のCIをロゴマークから作成して、看板や会社案内、ホームページまで作る仕事で1000ドル以上を稼ぎだすことに成功♪その勢いで、いよいよ南米へ。。。

 だがColombiaへは陸路はない。。。空路か、ヨット。。。
で、空路は600ドル、ヨットの旅は480ドル。。。ということでヨットを選択♪
幸いにもVenezuela人とColombia人ばかりということで、本来の観光をせずにダイレクトでColombia入りするということで旅費は300ドルで済む。ラッキー♪ わはは
 だがColombiaに着いた時点で手持ちは900ドルほどだったか?(2010年6月...この時点ですでに3年が経過していた。笑) 
さて、またまたMedellin, Colombiaでも最初の3ヶ月間ほとんどまったく仕事にありつけず。。。みんなとてもせこかった。わはは
小さな広告の仕事を2件ほどしただけで、仕方なくコックの仕事でも探すことにして出逢ったのがTania。
彼女の推薦でわたしはめでたく?日本レストランSayoriで働くことに。。。これが運命の転換期!?
けれどオーナーのMiguelはアル中で、約束を守らない。。。仕事もいい加減。月750-800ドル支払うと言われてたが、今は苦しいから2ヵ月我慢してくれと500ドルだけ貰ってた。。。だが、いつまで経っても約束通り支払ってくれる様子はなく、滞在VISAも切れてしまったのでトータル半年でEcuadorへ移動することに。(滞在VISA手続きも友達がやってるから任せておけと言われたものの、どんな書類も要求されないままだった。)

 そんなこんなで2010年12月、Quitoに着いた時、手持ちは僅か800ドルくらいだった。。。わはははははははははははは
Ecuadorでは年末に着いて1月にはスイスホテルで働く話が舞い込む。
稼ぎもいい♪ ようやくにして月1000ドルで契約の予定だった。だがまずは就労VISAを正式に取得しなければ働けない。。。日本からいろんな書類を取り寄せねばならないし、1ヶ月以上は掛かる。(※日本の友人にいろいろ助けて戴きました。感謝。)
という訳でチョロチョロっと広告カメラマンの仕事をしながら手続きを進める。。。書類がそろってホテルの専属弁護士に提出したのが2月の半ば頃だったか?観光VISAの期限は3月の初旬。。。
時間との闘い。。。そしていよいよ観光VISAの期限が切れる一日前になって、弁護士から就労VISAが下りないと告げられる!!
バカなっ!? 理由はスイスホテルにはすでに外国人スタッフがたくさんいて、保守化を進めつつあった政府はスイスホテルの外国人就労枠をこれ以上は認めないと言うのだ。で、頭に来たが、アパートの家賃も支払ったばっかりだったし、ともかくも一旦ペルー国境へ出て、戻ってくることに。
この時も手持ちは僅か500ドルほどだった。

 だが呑気に構えていたわたしは、ペルー国境の町で数日観光したりそれなりに楽しく過ごして、国境に戻ろうとしたら、9ヶ月間は再入国できない規定だと拒否される。それと同時に怪しいオッサンが近づいてきて賄賂を支払えばなんとかしてやると言う。。。
賄賂は330ドル!! その時の手持ちの全部=全財産だった。。。
他にどんな方法もなく、賄賂を支払って首都Quitoに戻ったら手持ちは本当にゼロ。
まったくゼロ。。。2度目のすっからかん。。。思わず愚痴ついでにblogで泣き言を書いたほどだった。わはは
 だが翌朝、東北大震災が起きた。。。TVニュースで津波を見せつけられて、奮起。
野村くんのRestaurante Donburiで働かせてもらうことに。(別にこちらで知り合った友人が当座の生活費として200ドルを貸してくれた)
Donburiで働きながら広告カメラマンの仕事に精を出してなんとか3ヶ月間で600ドル程度を貯金

 延長した観光VISAも切れたので2011年6月、Peruへ移動(旅は4年が経過)。。。前回の賄賂の甲斐なく、手続き不備で国境で再び100ドルの賄賂を追加で支払わされる。わははははははははははははは
 最初はCajamarcaというEcuador寄りの町でいくつものシェフとしてのお誘いを受けたのだが如何せん田舎町で給料が安い。。。
ということで雨季に入っていたLimaをすっ飛ばして、Cuscoへ移動。
 ハイシーズンのCuscoでは観光も含めて、滞在費用はかなり高くついたが、それでも順当に9-10件ほど広告カメラマンとデザイナーの仕事をこなして5ヶ月で1200ドル以上は稼いで、なんとかかんとか600ドルほど貯金。(※マチュピチュ観光にカンパして頂きました。感謝。)
 10月半ばくらいだったか、Medellin(Colombia)のTaniaから再び戻ってきて欲しいと連絡が入る。以前働いていたレストランのオーナーが変わったのでちゃんと必要な額(最低1000ドルという話)を支払えるから...と。
いろいろ迷ったが、航空券代も送ってくれるということで、一旦戻ることに。(この時、戻らずに前に進んでいればその後の状況はすっかり違ったはずだ。2度目の転機もやっぱりTania! わははははははははははは)

 で、2011年11月、Colombiaに戻って新しいオーナーの下で働き始めたわたし。。。
だがオーナーが変わってからの半年でレストランはすでに赤字続きで、オーナーからの自腹払い出しでやり繰りしていて、給料の支払いすら遅滞しているという最悪の状況。(ここは完全にTaniaに騙された。潰れそうな店をわたしに立ち直らせる為に呼び戻した訳だ。。。わはは)仕方ない頑張って売り上げ対策を練って11月-12月の売り上げはいきなり倍増(前年比も倍増)。
年明けて、やっとこれで目鼻がついたなと思ったら、なんとオーナーがレストランを再び、前オーナーファミリーに転売してしまう!!
(彼はこれで数万ドルほどは儲けた訳だ。)
とてもじゃないが、前オーナーとは働けないと思っているところに、Ecuadorで一度だけお会いした日本人の爺さんがやってきて(このblogのファンだと言うことでお会いしたついでに、ちょっとお手伝いを頼まれて100ドルほど小遣い稼ぎさせて頂いたりした)、わたしと組んでレストランをここMedellinでオープンしたいと言う。渡りに船だとばかりに、わたしは彼と契約。。。
だが店を探し始めて1週間で彼が心変わり!! 
うそだろっ!!
彼はわたしに手切れ金よろしく1000ドル渡してサヨナラ。。。
 けれどEcuadorを出国してから9ヶ月間は再入国できないわたしはまだ3ヶ月間ここColombiaに留まらなければならなかった。。。
だがMedellinではMiguelの評判が最悪で、どうにも仕事にありつけず、どんどんお金はなくなってゆくばかり。。。1000ドルなんてあっと言う間だった。。。仕方なくCaliに移動。。。だがCaliではたった1ヶ月だったけれど、幸いにもたくさんの仕事があって、広告カメラマンの仕事の他にホテル・シェラトン・フォー・ポインツでシェフやコックたちに寿司を教えるクラスをして2日間で300ドルくらい稼いだりした。まだまだ見込みの仕事もたくさんあったのだけれどVISAの期限が切れてしまうので、2012年3月、結局Ecuadorに戻ったのだが、その時の手持ちはやっぱり僅か500-600ドル程度だったか??いつもギリギリだ。わはははは

 再び戻ったEcuadorの首都Quitoで事件が起こる。。。
Ecuadorで順調にカメラマンとしての仕事をしていた2週間目のこと。。。バスでスリに財布ごと全財産をすられてしまう!!
またまた手持ちゼロ(3度目)。。。残ったのはポケットの小銭6ドルほどだけ。わははははははははははははははははははは
もちろん仕事は順調だったので早速、翌日には一部前借りで$50ほど集金もして生き延びた。ひー。。。わはは
 ここでまたこのblog繋がりで、或るEcuador在住の日本人女性がわたしの窮状を知って、住み込みでスペイン語を教えて欲しいと頼まれる。。。スペイン語のまったく分からない彼女は、衣料品販売の事業も立ち上げたいし、色々事情があって、そもそも生まれたばかりの娘のカルネ(身分証明書)の手続きがまったく出来ないので助けてくれないかと言う申し出。。。稼ぎとしては僅かだったが、ともかく住み込みなのでホテル代はいらないということもあって、Ibarraというインディヘナの多く居住する町に移住。。。わたしはQuitoでのカメラマンの仕事も請負いつつ、衣料品のイラストデザインをしたり、縫製、印刷会社を探したり、彼女の娘のカルネ手続きを手伝ったりとQuito-Ibarra間を往復しつつ、いろいろ奔走、ついにはレストランをオープンしたいと言い出した彼女の求めでレストランの場所探しにも奔走。。。だが結局、彼女は、何ひとつ決断できないまま(ご主人の横槍もあって)物別れに終わる。。。
 2012年6月(5年が経過)手持ち500ドルほどで再びQuitoに戻ったわたしに、今度はDonburiの共同経営者だったDavidが故郷Mantaで日本食レストランをオープンしたいと言い出す。正直、手持ち500ドルでPeruへ舞い戻るかどうか迷いのあったわたしはDavidの話に賭けることに。(※何しろEcuador-Peru、そしてPeru国内の移動費だけで簡単に200ドル近く飛んでいってしまう。)
だが時間を無駄に出来ないわたしはDavidにプレッシャーを掛けまくる。わはははははははははははははは
 そんなこんなでわたしたちふたりはMantaに移住。そしてふたりで店探しから始める。。。なんとかかんとか2012年12月のオープンに漕ぎ着ける!!もうわたしの滞在許可レシデンシアが取得できたのはオープン1週間前!! わははははははははははははは
(でなければわたしはオープンと同時に去らなければならなかった...ほぼ無一文で、だ。笑)
 Davidとの契約はオープンしてから1年。。。店は順調すぎるくらい順調だったが、後継者が見つからず、結局わたしは1年と4ヶ月シェフを勤める(この間、2013年5月に6年が経過)。。。だが正直、かなり安い給料でこき使われたので(笑)、結局2年滞在して、手元の貯金は僅か700ドルほどしかなかった。。。ひー。。。なんで??
 さて、1年以上も死ぬほど働いてこの程度の貯金でいったいどうしよう??だがどんなにDavidに慰留されても、もうどうでもいいからEcuadorから逃げ出したいと考えていたところに、またまたMedellin(Colombia)からお呼びが掛かる!!今度はTaniaではなく、同じくかつての同僚のCamiloから。(笑)彼が新しく働いている日本レストランKabukiのオーナーが日本人シェフにコーチして欲しいと言っているという話。だがColombiaには2度騙されたとしか言いようのない想い出がある。もうごめんだ。。。と何回も断ったのだが、しつこく依頼がある。だから今回は一ヶ月2000ドル、それも前金で支払うなら契約してもいいと賭けに出た♪ (※さすがにもう僅かな金額働いていたのでは南米を旅行するのは不可能だと知っていた。笑)...と、すんなりOK。もちろん、航空券つき。あんがと♪

 そんな訳で2014年4月、3度めのMedellin帰還。。。
今回は空港に着くなり前金を手渡されるというステキなお出迎え♪ようやくまともな稼ぎに♪
仕事もいろいろストレスはあったが、それでもなんとか半年間の契約を無事に終了~♪ (5月には7年が経過)
また新たにPCを買い替えなければならなかったが(ホントにお金が入るとデジタルものが壊れる)、それでも手持ち2000ドルほどという過去最大の貯金でわたしはColombiaを後にして、Peru~Bolivia~Chileという3ヶ国を仕事せずに観光を楽しんで周るという贅沢な移動に♪

※正確な時期を覚えてないので、ここには逐一書き出せてないが、ハードディスクも3台買ったし、カメラのレンズやスピードフラッシュの修理はもう何回もだ、日本にも送ったことがあるし、三脚やその他さまざまな備品の度重なる購入もかなりの負担だった。それに毎年と言っていいほど、歯の治療に掛かる。。。それもかなりな金額になるし、10年もいればあらゆるモノを買い替える必要がある。ホントはこの身体を買い替えたいくらいだ。わはははは

 で、2014年11月にSantiagoに着く。
すぐに大手寿司チェーン店で、取り敢えず試用期間は月1200ドル(本契約2000ドル)という条件で働くことに。。。だがわたしを面接したゼネラルマネージャーはレストランのレシピなどをより良くしたいという考えで、わたしを採用したのだが、自己満足の激しいオーナーはわたしに一切手を加えるなっ、と厳命する始末。だったらわたしなんぞいらないだろうと、わたしは12月いっぱいで退職。1月からまた別の仕事探しに。。。ここで日本人シェフの働くインターコンチネンタルホテル内の日本レストランが誰か探しているというお話を耳にする。。。で、2ヶ月間働いたのだが、どうにもチリ人と合わない。。。ここではレストラン内でキッチン・シェフ気取りの若造と大喧嘩(笑)。オーナーの仲裁もあったが、彼とその取り巻きを首にしないならわたしは契約しないと言い渡す。わははははははははははは。 そもそも日本人シェフ(爺さん)はまったく頼りにならなかった。まあ、採用して頂いただけでもありがたい訳だが。。。(苦笑)
 で、まあ、少しばかりの貯金もあるし、イライラしてたし、Santiagoは寒い寒い冬に突入するし...ということで、2015年5月、旅も丸8年が過ぎたわたしは3ヶ月ほど気分転換のバカンスに出ることに。行き先はお世話になった友人たちのいる暖かい?暑い??NicaraguaとCosta Rica。。。

 2015年6月、Nicaraguaで1ヶ月、お店を手伝ったりしながらGlendaや今や独立してOmetepe島で店を構えるLucaとそれなりに楽しく過ごす。そして7月、Costa RicaではAndrew-IkukoさんたちのChile Rojoを手伝いつつ、のんびり楽しく過ごす。。。
 だが思いもかけずいろいろと出費が嵩んで、所持金が底を尽き始める。。。ひー。。。というのも、この2ヶ月間はボランティアのつもりで手伝っていたので、収入はゼロ。それでもなんとかなるはずだったのに、Costa Ricaの物価が高過ぎる所為もあって?或いは調子に乗って無駄遣いし過ぎたのか??所持金がどんどんなくなってきた。。。もちろん、両店舗(El Tercer OjoとChile Rojo)からはここに残って働いて欲しいと言われていたが、いや、そんなつもりでは。。。と留保しつつ、ボランティアでお店を手伝っていた。Glendaがいくらか支払うと言った時もいらないと断ったしまったくらいだった。わはは
 と、またしても、またしてもMedellinのCamiloからメールがっ!! なんと7月某日、Restaurante Kabukiが不審火で全焼してしまい、急遽隣りにまた新しいKabukiの新店舗をオープンし、彼が初めてメインシェフ兼共同経営者として働くことになったので、助けて欲しいと言うメールが。。。これまた渡りに船、なにしろKabukiのオーナーはかなりの変人だが、金銭的には信頼できる方なので即OKする。
...と同時にCosta Ricaを去る前に、NicaraguaのGlenda、Costa RicaのAndrewとそれぞれColombiaの仕事が終わったら半年ずつくらい契約して欲しいというありがたい申し出を正式に戴く。実はちょうどAndrewはレストランの移転を決めたところだったのでそちらを手伝ってあげたかったが、一足違いでMedellinに返事をしてしまっていた! (ここでもうすっかり貯金のなくなったわたしは念のためGlendaに200ドル前借り。最初から支払って貰ってれば良かったのにね。苦笑)

...という訳で、2015年8月、またまたまたMedellin入り。
まあ、相変わらずいろいろあって、わたしを呼びつけた張本人のCamiloが1ヶ月後には店を辞めてしまうという驚きの展開!!わたしの方はColombia Pesoがだだ下がりの中、米ドル建てで給料を貰う約束なので、コロンビア国内では実質月3000ドルくらいの収入♪ラッキー!?
Camiloがいなくなったこともあって、契約は当初の2ヶ月から3ヶ月に伸びる。ただまたしても新しいカメラに、新しいパソコン、その他諸々を買ったので最終的に手元に残ったのは1300ドルほどだったか?? どういう訳かお金が手に入ると本当にデジタルものが潰れる??。。。そんなもん??

 で、Glendaと約束した通り、2015年11月、再び、Nicaraguaへ舞い戻る。。。途中Panamaの免税店でデジコン・カメラ買ったな。(アルゼンチンで盗まれたからたった1年の寿命だったけれど。笑)
 いろいろあって(Glendaと働くと問題が起こらないなんてことはあり得ない。わはは)11月から2月いっぱい働いたところでサヨナラすることに。まあ、今回はちゃんと支払って頂きましたよ♪そんな訳で3ヵ月働いたけど、どういう訳かちゃんと支払ってもらった割には手持ちは2500ドル程度だったような気もするな。(覚えてない。やっぱりお金に余裕が出来ると関心がなくなる。。。そういう男です。)
※彼女に友情は感じているけれど、一緒に働くのは難しすぎる。。。もう金輪際こりごり。(以前も同じ結論だったのに。懲りないわたし。わははははははははははは)

 で、2016年3月、Costa Ricaへと移動。
AndrewとIkukoさん夫妻にはホントによくして頂いて、おまけに5月には2週間のバケーションでEl Salvadorまで出掛けて、YancyとCarlosたちに数年ぶりに逢うことが出来たし、2009年、Chile Rojoで寿司を教えて以来、わたしを慕ってくれるPhilipeたち新婚カップルがニュージーランドから来てくれて再会も出来た♪
2016年8月いっぱいまで、しっかり稼がせて頂いて9月後ろ髪引かれながらもPanama経由でColombia, Ecuador, Peru, Chileを回ってArgentinaへと大移動開始。。。Costa Ricaは物価が高いけれど、それでもこの旅始まって以来の最高額5000ドルほどの所持金で移動を開始することに♪ (この間、5月には丸9年が経過していた。)

...というところだったが、フトコロが温かくなるとまた欲が出る♪ わはは
いや、この旅を終える前にお世話になった方々に挨拶する最期のチャンスだと考えたのだ。もちろん、ホントはCubaまで足を延ばすべきなのだけれど、さすがにそれは出来なかった。

 9月にCosta Ricaを出て、Panama City経由で、南米の友人たちへのお土産たくさん買って(ホラっ、こういう男。笑)Medellinへ。MedellinではCamiloたちにお世話になりながら、お世話しながら3週間ほど滞在。
 そして10月Ecuador。。。Quitoで友人たちと会ったあと、Mantaへ。Mantaで楽しく過ごしたあと、かねてからの心残りだったMexicoの友人たちに最期の挨拶をするついでに死者の日の祭りに出掛けることに♪ 
 そんな訳で10月21日からOaxaca,Mexico2週間のまさにバケーション♪ここではErikaのファミリーに結局すっかりお世話になって、ホントに楽しく、美味しく過ごす♪もちろん、またまた南米の友人たちへのお土産買って。。。わははははははは
 11月、再びEcuadorに戻って2週間、Quito-Mantaで過ごしたあと、Peruへ向かう。Lima, Peruでは友人に会って、1週間ほど過ごして、今度はSantiagoへ。
 Santiago, Chileでも1週間、以前間借りしていたCarlosの家にお世話になって、長い間預かってもらっていた冬物衣料などを手に、一路Buenos Aires, Argentinaに12月初めいよいよ到着!!
 2016年12月初めににArgentinaに到着するまで、3ヶ月間でPanama-Colombia-Ecuador-Mexico-Ecuador-Peru-Chileと各国の友人たちを訪ねて回ってきた。振り返ってみれば米大陸縦断に近いじゃないかっ!? わははははは
 こんなにゆく先々に友人たちがいて、誰もがわたしを歓待してくれるなんて、本当に幸せなことだと思う。実際、想像した以上に、いや、想像もしなかったほどに友人たちとの再会は心地よく楽しかったと正直に告白しておく。気が付けば、スペインにも、カナダにも、ニュージーランドにも、イタリア、トルコ、シンガポール~マレーシア、スイスにも友人たちがいる。本当に不思議な感じだ。。。
 

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