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最終回、blog更新終了のお知らせ。Gracias y Adios! [Argentina 2017]

 そんな訳で日本永久脱出365x10+2=3652日+1日=3653日、丸10年を迎えました。パチパチパチ。。。ん!?
いや、別にそんなことを目標にしてきた訳ではないのは言うまでもない。
わたしは人生を終える為に、人生を終える旅としてCubaからArgentinaまでの旅を始めたのだ。
何度でも書くが2年半くらい、最長でも4年程度で終わるはずだったこの旅はいまだに続いていて、なんと恥ずかしくも10年も経ってしまったというのが本当のところだ。わはは


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こんな糞blogにお付き合い頂いた方々にはお礼のひとつも申し上げておく。
巷ではギネス級の長文blogだとかいう噂もあるが、友人たちからも長すぎて読んでられないという文句を何度も頂いてきた。わははははは
旅blogどころか、政治時事ネタblogではないかというご批判??も頂いたし、中南米の旅にはまったく何の役にも立たないblogだというご批判も頂いた。わはは
きっとオマエは何様だ!?というご批判もあるだろうから、それには"俺様だ!"と応えておく♪
わたしの人生はわたしのモノだ。好きなようにさせてもらう。
わたしは最期の最期まで自由な人間であり続けたいし、あり続けるだろう。
誰に気兼ねなく、指図されることなく、自分の人生は自分で決めてきた。

さて、10周年を締めくくるに際して、最期にひとつだけ告白しておこう。(言っておくが何もかも告白するつもりはない。笑)
これが最後だ。。。というのも、もうこのblogを閉鎖することに決めたからだ。ああ、今のところ削除するつもりはない。けれどもはや更新することはない。
わたしの旅はまだしばらく続くけれど、もうこのblogを書くことはないだろうということだ。
今しばらくはFacebookは続けるつもりだが、いずれFacebookの更新もやめるつもりだ。
もう十分だというのが正直な気持ちだ。
近年は日本社会の動向に関してひたすら矛先を向けてきた。けれどモチロン、自分がそこに対して無力であることは痛いほど知っている。
わたしが何を喚こうが世界は一瞥すらしない。そんなことは百も承知だ。
そもそもわたしを押し潰す絶望はこの愚かな世界に対する無力さから来ているのだから。。。

わたし個人の人生は適当にやってきたし、適当にやっていけるだけの能力はもうこの10年間で証明できたように思う。
わたし個人の人生は本当に恵まれたものだった。友人や女性たちにも恵まれてきた。
日本だけでなく、ラテンアメリカでも出逢った多くの人々に支えられ、助けられてここまできた。
昔からわたしはツイているのだ。
わたしが本当に望んだいくつかの才能はこれっぽっちも持ち合わせちゃいないが、それでも器用貧乏なのでそんなこんなを利用して生きてゆくには十分な稼ぎを得ることくらいは出来るようだ。そしてわたしなんぞを支えてくれる多くの友人たちにも恵まれている。お得意のハッタリは日本だけでなく、海外でも通用したという訳か!?わはははは
何度も書いたことがあるが、本当に人々が思うほどわたしは自分のことを賢いなどとは思っていない(本当に賢いということかどういうことか知っているし、天才という存在を知っているからそんなことは到底思えないのだ。苦笑)。けれど人類の大半がとんでもないおバカだとすれば、そういう連中よりは随分とマシであるというだけだ。わははははは(※まあ、その程度でしかないという逆説的な存在だ。苦笑)
人々があまりにも愚かであるおかげでわたしは人生を面白おかしく"適当に(所詮、分相応にだが)"泳ぐことができる。けれど反面、人々があまりにも愚かである所為でわたしはこの世界に対する絶望に陥る。。。ともに真実だ。
最終的に残るのは、わたしのこの世界に対する無力さだ。この愚かな世界を一瞬で滅ぼすことができない己の無力さなのだ。
だからもちろんのこと勝者はわたしではなく、愚かな人々の方だと言える。

 さて、相変わらず長い前置きだ(笑)。
話しのトーンはガラリと変わるからそのつもりで。わははははははははははははははははは

 まず話を始める前に、お気づきの方もいるかも知れないが、わたしがとても凝り性だということをご承知おき頂きたい。何かに凝り始めると止まらないのだ。。。なんでも突き詰めたくなる。。。それが今日のわたしの器用貧乏を創り上げてきたのだ。

 先日も書いたように、昨年9月にCosta Ricaを出て、12月初めににArgentinaに到着するまで、3ヶ月間わたしはPanama-Colombia-Ecuador-Mexico-Ecuador-Peru-Chileと各国の友人たちを訪ねて回ってきた。そんな中、Ecuadorを出た直後からわたしの頭に中に或るプランがふつふつと湧き出てきた。
 言っておくが、わたしが一昨年来、過去に訪れた国々の友人たちと再会して回ったのは、本当に最期の挨拶のつもりだった。旅を終える前にどうしても彼らにお礼を言いたかったのだ。(いや、ありがとうと言っても何のことだか伝わらないだろうから、そんなことは言ってないが。笑)

 さて、それはともかく、わたしに舞い降りてきたプラン...当初それはなんてことはない眠りに就く前の暇潰しの夢想みたいなものだった(笑)。だがそれは日増しに、移動中の長距離バスやホテルでの就寝前に、少しずつ大きくなり、同時に少しずつ具体的に煮詰まってきた。
それはとてもおかしなことだ。どんな予定も、本気でさえないのに、アイデアだけが独り歩きしてしまうのだった。
やがて、それは本当に煮詰まるところまで煮詰まってしまった。。。細部に至るまで、本当に驚くほど精緻なプランが頭の中では完全に出来上がってしまった。そうしてプランが具体的に出来上がってしまうと、当然のようにそれを実現したいという思いもまた、日増しに高まるのを避けられなくなってきた。。。

 ハッキリ言えば、レストランの計画だ。いや、どんな具体的な予定もない。ただの空想だ。
それにこれもまた先日書いた通り、金輪際、わたしにレストランを自身で経営する気はないし、資金もない(1億円あってもわたしは経営者にはなりたくない。もっとも働きもしないだろうけど)。わはははははは
他人のふんどしで相撲を取るくらいの責任の在り方がちょうどいいのだ。
そもそも、このアイデアの原型そのものは、実は随分前に(2012年1月)2度めにColombiaに戻った時に思い浮かんだものだ。日本レストランをオープンさせたいという日本人の誘いに乗って、勤めていたRestaurante Sayoriを辞めたものの、退職後1週間で計画そのものを中止にされて頓挫した苦い思い出がある。その時のアイデアがひとつの原点だ。さらに昨年、Mexicoを訪れた時に、ひとつの着想を得た(付け加えた)こと、Mantaでひとつ試してみたこと、そしてここArgentinaでも、アルゼンチン産の安い牛肉が十分に美味しいのを知ったこと、何でも揃う日本食材店でアイデアが広がったことなど色んなことが手伝っている。そんなこんなが繋がって、ひとつの形を成した訳だ。

 だがわたしがこの計画に心惹かれているもっとも大きな理由は他にある。
 わたしが寿司職人なんかじゃないってのはみなさんご存じだと思う、多分に漏れず、料理には些か自信はあるが(苦笑)、それは洋食中心のmenuだ。それもわたしの腕前なんぞ昔ながらの洋食屋のオヤジ程度がいいところだ。寿司なんぞまったくの素人だった。わはははははははは
今はそれなりに経験だけは積んできたけれど、それでも心の奥では、寿司はわたしなんかが作るもんじゃないという気後れがあるのも事実だ。
特に日本人のお客様に提供する時は、いつも申し訳なく思う。日本人のお客様に自信をもってお出ししたことなんぞただの一度もない。
それはわたしの中で常に料理に対する不完全燃焼を伴い苦痛ですらあった。
 NicaraguaのEl Tercer OjoはInternacional Fusion Restaurante(多国籍料理)だが、ほとんどのレシピは料理知らずの(味音痴の)Glendaが決めたものだし、わたしのレシピを持続して提供できるスタッフは誰一人いない。。。簡単ないくつかの料理はわたしのレシピだが、なんでもかんでもすぐにおかしくなる。
 そもそもNicaraguaでも、Costa Rica,Colombia,Ecuadorでも、ここArgentinaでも、わたしがシェフを務め、わたしのレシピで料理を作らせてきたとは言え...わたしの最大限の力を発揮したものではない。
 わたし自身の能力がどのレベルかはさて置いて(苦笑)、これまでのレストランでわたしの能力の最高度の料理を実現したことはないということだ。なぜならそれはわたしに対して求められてきた仕事ではないからだ。おまけに素材や調理器具、器などにかけるコストやこだわりなんかもオーナーには決して理解してもらえない。なによりもわたしは半年から1年の短期でしか契約しない。つまりわたしはレシピや盛り付けを組み立て、調理を教えるのが仕事であって、それを現地のコックたちに教え再現させなければならない。
 先日事細かに書いたように、ソースや飾りつけひとつとっても、難しいことはさせられない。実際どんなに教えても飾りつけは本当にうまくできないので、盛り付けは諦めてきたと言っていい。デザートにはせめて、きれいなミントの葉を飾らなければならないと、どんなに口酸っぱく教えても、しばらく期間を空けて戻ると、ミントの葉なんてそもそも購入してなかったりするのが現実なのだ。
 同じように、レシピの中でもデミグラスソースやインドカレーなどの煮込み料理はどんなにレシピを残して、何度か作らせてみても再現不可能であることはもう実証済みなのだ。繊細な和食などもっての他だ。多少なり複雑で経験や調整を要する調理は再現不可能なのだ。
 先日書いたように、それらは決して彼らの能力の問題だけではない部分も多いということを改めて付け加えておく。

 そんな訳で中南米10年の旅の中で、トータル6年以上厨房で働いてきた訳だけれど、本当に自分自身の能力に挑戦したことはないし、寿司を提供するのが苦痛だった。すなわち自身の能力を最大限に発揮した料理を作ったことがないということだ。それはいつもわたしの中で消化不良を起こしてきた。いわばストレスの因だった訳だ。そして心残りでもあった。
いや、なによりもわたし自身、この6年間~10年間の経験を通して、学んだことが本当にたくさんある。日本に居れば決して学ばなかったであろうことをたくさん学ばせて貰い、体験させて貰ってきた。だから言い換えれば、この10年間でわたし自身が経験させてもらい、学んだことを形にしたいという欲求でもある。自分自身がいったいどれほどの料理を提供することが出来るのか見極めてみたい、この糞みたいな人生の最期に自分自身に今一度、挑戦したいという気持ちの高まりだ。
 実はそんな中、4月にはMedellinとBogota(Colombia)のオファーをそれぞれ別々に2件頂戴したりもしたのだが、共にわたしが求めるような仕事ではなかったので申し訳ないがお断りした(1件はCaliの友人がBogotaでラーメン屋をやりたいから助けて欲しいという依頼だった)。もちろん、今現在、どんな具体的計画も決まっていない。わたしと一緒にやりたいという人物はいるが、彼はまだ決断できていないし、投資額もそれなりに膨らむので、状況は不透明だ。実現の可能性はまだまだ闇の中という他ない。だがパートナーさえいれば、商売としての勝算はある。きっとうまくゆくだろう。。。魅力的なアイデアだと自負している。それほどまでに具体的に考え抜いた独創性のある計画だからだ。だが誰かが決断してくれるタイミングを待つ必要がある。

 まあ、そんな訳でblogはやめるが、まだしばらくわたしの旅は続きそうだ。
いつまで?? そんなこと知るもんかっ?! 

 えっ!? こんな唐突な終わり方あるのかって!? ... あるんだな、それが。わははははははははははははははははは

 10年間ありがとうございました。 
 ... という訳で、Adios!! 



 

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もはやこの国の国政に正義はない [Argentina 2017]

加計計画「できない選択肢ない」 内閣府要求の日時記録              朝日新聞デジタル 5/18(木) 
「取扱注意」と書かれた内閣府審議官との打ち合わせ概要の文書(個人名などの部分を一部加工しています)
 安倍晋三首相の友人が理事長を務める学校法人「加計(かけ)学園」(岡山市)が国家戦略特区に獣医学部を新設する計画について、内閣府が文科省に「官邸の最高レベルが言っている」などと対応を求めたとする文言が、日時や出席者が特定された文書に記されていることがわかった。文科省側が「『できない』という選択肢はない」と言われたことも書かれていた。
 菅義偉官房長官は17日午前の記者会見で、朝日新聞が報じた文書について「どういう文書か。作成日時だとか、作成部局だとか明確になってないんじゃないか。通常、役所の文書はそういう文書じゃないと思う」などと述べた。
 朝日新聞が入手した文書は、「○○内閣府審議官との打合せ概要(獣医学部新設)」=○○部分は実名=という題名で、文科省関係者によると、同省職員が作成した。「平成28(2016)年9月26日(月)18:30~18:55」と具体的な日時が入り、「対応者」として内閣府の審議官と参事官、文科省の課長と課長補佐の計4人の実名が書かれている。
 文書には、内閣府の出席者が「平成30(2018)年4月開学を大前提に、逆算して最短のスケジュールを作成し、共有いただきたい」「これは官邸の最高レベルが言っていること」と語ったと記されている。

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もはやこの国の国政に正義はない、もしこれでも一気に退陣へ持ってゆけないとするならば。
これは森本学園以上の絶対に見過ごせない事件だ。
森本学園問題は当の本人らにも詐欺行為があり、一方で事務方の"忖度"を適法と認めるなら(片や共謀罪の成立を目指しながら、忖度させた事実は違法ではないと言い切るなら)、事態はあやふやになりかねないが、加計事件は完全な首相個人の恣意と指示によっていると判断すべき案件だからだ。



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もうすぐ10周年、中南米放浪の旅(後半) [Argentina 2017]

 さて、先日の続きだが、今回は仕事と収入に的を絞ってもう少し掘り下げてこの10年間を振り返ってみよう(自分が思い出す為だ。事実、書きながら何度も何度も訂正した。出来るだけ正確に記そうと努めたが、もうまったく思い出せない部分があるので何処まで正確かは保証の限りでは。笑)。


 2007年9月、日本脱出から僅か4ヶ月後にGuatemalaに着いた頃にはすでに100万円は半分くらいはなくなっていて、早速、仕事探しを開始しなければならなかった。Cubaでおそらくは3000ドルくらい、Mexicoで2000ドルくらい使ったんじゃないかと思うのだが、正直当時は一度も計算をしたことがなかったので、正確ではない(なくなる寸前まで手持ちの資金を数えようともしない男)。ともかくも、そんなこんなで着いて1週間ほどで仕事探しを始め、実際すぐにラテンアメリカで最初の仕事をゲットすることができた。それは本当に簡単な出だしに思えた。。。
 先日に書いたように、ひとつはCafe-Barのようなポルトガルレストランでコックの仕事で、週末の2日間で月100ドル程度と大した稼ぎではなかったけれど、もうひとつは広告カメラマンの仕事で、さっそく4-5件ほど受注したので、Antiguaでの4ヶ月に及ぶ滞在費と国内あちこちへの観光費用を賄うにはほど遠かったけれど、それでも4ヶ月トータルすると1000ドルほどは稼ぐことができた。(※最後に家具を扱う輸入販売店のカタログ写真を丸1日間撮影する仕事が入って、350ドルほど稼げた。)そもそもはカメラマンの仕事なんて考えてもいなかったのだけれど、地元Antiguaのフリーペーパーに使われている料理写真がヘタクソ過ぎて、これなら経験のある仕事じゃないかっと思いついたのだ。(まさか中南米でそんな需要があるなんて考えもしなかったのだ。)

 2008年1月、Guatemalaを出て、Hondulasを通り(たった4-5日ほどの滞在でホテルの仕事を一件ゲット40ドルほど?)、El Salvadorを10日間ほどで通り過ぎて(仕事はゲットできなかったが、Yancyたちと出逢ってお世話になったおかげで出費は大してなかった)辿り着いたNicaraguaではすでに日本から持って出たお金は本当にほとんどなくなっていて、積極的にカメラマン&デザイナーとしての仕事に励んだ。VISAの関係で滞在期間は2ヶ月を切るという短期間だったけれど、仕事はトータルで6件も受注できた。Lucaの自宅に2-3週間ほどタダで住ませて貰ったりしながら、500-600ドルほどは稼いだはずだけれど、それでもついに元手の100万円という軍資金は底をついて、ここから本当の意味での100%の自活が始まった。(※100万円は8ヶ月-9ヶ月しか持たなかった訳だ。笑)

 そんなこんなで2008年3月Costa Ricaに到着した時の所持金は僅か800ドル程度だったはずだ。中南米で稼いだ1600ドルのうちの800ドルだ。もうそれが全財産だった。わはははは
 Costa Ricaでも広告カメラマンの仕事に励み、お寿司を教えたりしながら3ヶ月間で500-600ドルくらい、それなりに稼いだにも関わらず、、あまりの物価の高さに、稼いだお金はほとんどなくなってしまい、GlendaとLucaの誘いで2008年6月、Nicaraguaに戻った時は多分200ドル程度しか手持ちはなかったはずだ。わはははは ... (この時点でやっと1年経過。)

 で、Nicaraguaでいよいよシェフとしての仕事を開始した訳だが、Glendaに騙されて(当てにならない約束に翻弄されてというべきか。笑)、1年も働いて、結局1800ドル程度しか手元には残らなかった。。。"いくらでも支払うからと言われて戻ったら、今はオープンにお金が掛かって支払えない"と言われた。(※わたしとしては最低月1200ドル程度は稼げると考えていたのだが実際に支払われたのは当初月500ドルから最後3ヶ月間だけ月750ドルだった。辞めると言ったらようやく1000ドル支払うからと止められたが、そんな話に乗るもんかっ!って感じだった。わははははは但し、Managuaではレストラン内に居住できたので、基本、食費・住居費はゼロだったので、もう少し貯めれたはずなんだけどなあ。。。おかしいなあ。。。わはははははははは)

 そんな訳で2009年8月、1800ドルほどの所持金でCosta Ricaへ。
だがそれでも当時は1800ドルあればなんとでもなると考えていた節があって、Costa Rica国内をあちこち観光した後、カリブ海側の小さな村Puerto Viejoで1ヶ月ほど過ごす。だが思いも掛けずたった1ヶ月の間にたくさんの広告カメラマンの仕事を頂いたし、それ以来のお付き合いになるAndrewのChile Rojoではお寿司を教えたり、お客さん相手に寿司クラスをしたりして600ドルくらいは稼ぎながら楽しく過ごした。

 そんな訳で順風満帆とばかりに(勘違いしてるというか計算できてない。笑)、意気揚々と2009年9月、Panamaへと移動した頃の手持ちは1500ドルくらいじゃなかったか??わははははははははは
ところが、Panamaで最初の3ヶ月間一切の仕事が見つからず、おまけにハードディスクが壊れ、さらにPCまで壊れ、所持金はほぼ底を尽いてしまう。初めて所持金ゼロになったのがPanama Cityだった。わはは
だがちょうど所持金ゼロになった時は、カメラマンの仕事を受注していて、前借りをして生き延びることができたが、PCを買い替えなければならなくなった時はどうしようもなく、日本の友人がわたしを助けてくれた。ありがと♪
だがその後の6ヶ月間、ようやく軌道に乗り出した広告カメラマンの仕事は12-14件に及び滞在費を賄うことが出来たし(1500ドルくらい??)、最後の2010年5月には某印刷会社のCIをロゴマークから作成して、看板や会社案内、ホームページまで作る仕事で1000ドル以上を稼ぎだすことに成功♪その勢いで、いよいよ南米へ。。。

 だがColombiaへは陸路はない。。。空路か、ヨット。。。
で、空路は600ドル、ヨットの旅は480ドル。。。ということでヨットを選択♪
幸いにもVenezuela人とColombia人ばかりということで、本来の観光をせずにダイレクトでColombia入りするということで旅費は300ドルで済む。ラッキー♪ わはは
 だがColombiaに着いた時点で手持ちは900ドルほどだったか?(2010年6月...この時点ですでに3年が経過していた。笑) 
さて、またまたMedellin, Colombiaでも最初の3ヶ月間ほとんどまったく仕事にありつけず。。。みんなとてもせこかった。わはは
小さな広告の仕事を2件ほどしただけで、仕方なくコックの仕事でも探すことにして出逢ったのがTania。
彼女の推薦でわたしはめでたく?日本レストランSayoriで働くことに。。。これが運命の転換期!?
けれどオーナーのMiguelはアル中で、約束を守らない。。。仕事もいい加減。月750-800ドル支払うと言われてたが、今は苦しいから2ヵ月我慢してくれと500ドルだけ貰ってた。。。だが、いつまで経っても約束通り支払ってくれる様子はなく、滞在VISAも切れてしまったのでトータル半年でEcuadorへ移動することに。(滞在VISA手続きも友達がやってるから任せておけと言われたものの、どんな書類も要求されないままだった。)

 そんなこんなで2010年12月、Quitoに着いた時、手持ちは僅か800ドルくらいだった。。。わはははははははははははは
Ecuadorでは年末に着いて1月にはスイスホテルで働く話が舞い込む。
稼ぎもいい♪ ようやくにして月1000ドルで契約の予定だった。だがまずは就労VISAを正式に取得しなければ働けない。。。日本からいろんな書類を取り寄せねばならないし、1ヶ月以上は掛かる。(※日本の友人にいろいろ助けて戴きました。感謝。)
という訳でチョロチョロっと広告カメラマンの仕事をしながら手続きを進める。。。書類がそろってホテルの専属弁護士に提出したのが2月の半ば頃だったか?観光VISAの期限は3月の初旬。。。
時間との闘い。。。そしていよいよ観光VISAの期限が切れる一日前になって、弁護士から就労VISAが下りないと告げられる!!
バカなっ!? 理由はスイスホテルにはすでに外国人スタッフがたくさんいて、保守化を進めつつあった政府はスイスホテルの外国人就労枠をこれ以上は認めないと言うのだ。で、頭に来たが、アパートの家賃も支払ったばっかりだったし、ともかくも一旦ペルー国境へ出て、戻ってくることに。
この時も手持ちは僅か500ドルほどだった。

 だが呑気に構えていたわたしは、ペルー国境の町で数日観光したりそれなりに楽しく過ごして、国境に戻ろうとしたら、9ヶ月間は再入国できない規定だと拒否される。それと同時に怪しいオッサンが近づいてきて賄賂を支払えばなんとかしてやると言う。。。
賄賂は330ドル!! その時の手持ちの全部=全財産だった。。。
他にどんな方法もなく、賄賂を支払って首都Quitoに戻ったら手持ちは本当にゼロ。
まったくゼロ。。。2度目のすっからかん。。。思わず愚痴ついでにblogで泣き言を書いたほどだった。わはは
 だが翌朝、東北大震災が起きた。。。TVニュースで津波を見せつけられて、奮起。
野村くんのRestaurante Donburiで働かせてもらうことに。(別にこちらで知り合った友人が当座の生活費として200ドルを貸してくれた)
Donburiで働きながら広告カメラマンの仕事に精を出してなんとか3ヶ月間で600ドル程度を貯金。

 延長した観光VISAも切れたので2011年6月、Peruへ移動(旅は4年が経過)。。。前回の賄賂の甲斐なく、手続き不備で国境で再び100ドルの賄賂を追加で支払わされる。わははははははははははははは
 最初はCajamarcaというEcuador寄りの町でいくつものシェフとしてのお誘いを受けたのだが如何せん田舎町で給料が安い。。。
ということで雨季に入っていたLimaをすっ飛ばして、Cuscoへ移動。
 ハイシーズンのCuscoでは観光も含めて、滞在費用はかなり高くついたが、それでも順当に9-10件ほど広告カメラマンとデザイナーの仕事をこなして5ヶ月で1200ドル以上は稼いで、なんとかかんとか600ドルほど貯金。(※マチュピチュ観光にカンパして頂きました。感謝。)
 10月半ばくらいだったか、Medellin(Colombia)のTaniaから再び戻ってきて欲しいと連絡が入る。以前働いていたレストランのオーナーが変わったのでちゃんと必要な額(最低1000ドルという話)を支払えるから...と。
いろいろ迷ったが、航空券代も送ってくれるということで、一旦戻ることに。(この時、戻らずに前に進んでいればその後の状況はすっかり違ったはずだ。2度目の転機もやっぱりTania! わははははははははははは)

 で、2011年11月、Colombiaに戻って新しいオーナーの下で働き始めたわたし。。。
だがオーナーが変わってからの半年でレストランはすでに赤字続きで、オーナーからの自腹払い出しでやり繰りしていて、給料の支払いすら遅滞しているという最悪の状況。(ここは完全にTaniaに騙された。潰れそうな店をわたしに立ち直らせる為に呼び戻した訳だ。。。わはは)仕方ない頑張って売り上げ対策を練って11月-12月の売り上げはいきなり倍増(前年比も倍増)。
年明けて、やっとこれで目鼻がついたなと思ったら、なんとオーナーがレストランを再び、前オーナーファミリーに転売してしまう!!
(彼はこれで数万ドルほどは儲けた訳だ。)
とてもじゃないが、前オーナーとは働けないと思っているところに、Ecuadorで一度だけお会いした日本人の爺さんがやってきて(このblogのファンだと言うことでお会いしたついでに、ちょっとお手伝いを頼まれて100ドルほど小遣い稼ぎさせて頂いたりした)、わたしと組んでレストランをここMedellinでオープンしたいと言う。渡りに船だとばかりに、わたしは彼と契約。。。
だが店を探し始めて1週間で彼が心変わり!! 
うそだろっ!!
彼はわたしに手切れ金よろしく1000ドル渡してサヨナラ。。。
 けれどEcuadorを出国してから9ヶ月間は再入国できないわたしはまだ3ヶ月間ここColombiaに留まらなければならなかった。。。
だがMedellinではMiguelの評判が最悪で、どうにも仕事にありつけず、どんどんお金はなくなってゆくばかり。。。1000ドルなんてあっと言う間だった。。。仕方なくCaliに移動。。。だがCaliではたった1ヶ月だったけれど、幸いにもたくさんの仕事があって、広告カメラマンの仕事の他にホテル・シェラトン・フォー・ポインツでシェフやコックたちに寿司を教えるクラスをして2日間で300ドルくらい稼いだりした。まだまだ見込みの仕事もたくさんあったのだけれどVISAの期限が切れてしまうので、2012年3月、結局Ecuadorに戻ったのだが、その時の手持ちはやっぱり僅か500-600ドル程度だったか??いつもギリギリだ。わはははは

 再び戻ったEcuadorの首都Quitoで事件が起こる。。。
Ecuadorで順調にカメラマンとしての仕事をしていた2週間目のこと。。。バスでスリに財布ごと全財産をすられてしまう!!
またまた手持ちゼロ(3度目)。。。残ったのはポケットの小銭6ドルほどだけ。わははははははははははははははははははは
もちろん仕事は順調だったので早速、翌日には一部前借りで$50ほど集金もして生き延びた。ひー。。。わはは
 ここでまたこのblog繋がりで、或るEcuador在住の日本人女性がわたしの窮状を知って、住み込みでスペイン語を教えて欲しいと頼まれる。。。スペイン語のまったく分からない彼女は、衣料品販売の事業も立ち上げたいし、色々事情があって、そもそも生まれたばかりの娘のカルネ(身分証明書)の手続きがまったく出来ないので助けてくれないかと言う申し出。。。稼ぎとしては僅かだったが、ともかく住み込みなのでホテル代はいらないということもあって、Ibarraというインディヘナの多く居住する町に移住。。。わたしはQuitoでのカメラマンの仕事も請負いつつ、衣料品のイラストデザインをしたり、縫製、印刷会社を探したり、彼女の娘のカルネ手続きを手伝ったりとQuito-Ibarra間を往復しつつ、いろいろ奔走、ついにはレストランをオープンしたいと言い出した彼女の求めでレストランの場所探しにも奔走。。。だが結局、彼女は、何ひとつ決断できないまま(ご主人の横槍もあって)物別れに終わる。。。
 2012年6月(5年が経過)手持ち500ドルほどで再びQuitoに戻ったわたしに、今度はDonburiの共同経営者だったDavidが故郷Mantaで日本食レストランをオープンしたいと言い出す。正直、手持ち500ドルでPeruへ舞い戻るかどうか迷いのあったわたしはDavidの話に賭けることに。(※何しろEcuador-Peru、そしてPeru国内の移動費だけで簡単に200ドル近く飛んでいってしまう。)
だが時間を無駄に出来ないわたしはDavidにプレッシャーを掛けまくる。わはははははははははははははは
 そんなこんなでわたしたちふたりはMantaに移住。そしてふたりで店探しから始める。。。なんとかかんとか2012年12月のオープンに漕ぎ着ける!!もうわたしの滞在許可レシデンシアが取得できたのはオープン1週間前!! わははははははははははははは
(でなければわたしはオープンと同時に去らなければならなかった...ほぼ無一文で、だ。笑)
 Davidとの契約はオープンしてから1年。。。店は順調すぎるくらい順調だったが、後継者が見つからず、結局わたしは1年と4ヶ月シェフを勤める(この間、2013年5月に6年が経過)。。。だが正直、かなり安い給料でこき使われたので(笑)、結局2年滞在して、手元の貯金は僅か700ドルほどしかなかった。。。ひー。。。なんで??
 さて、1年以上も死ぬほど働いてこの程度の貯金でいったいどうしよう??だがどんなにDavidに慰留されても、もうどうでもいいからEcuadorから逃げ出したいと考えていたところに、またまたMedellin(Colombia)からお呼びが掛かる!!今度はTaniaではなく、同じくかつての同僚のCamiloから。(笑)彼が新しく働いている日本レストランKabukiのオーナーが日本人シェフにコーチして欲しいと言っているという話。だがColombiaには2度騙されたとしか言いようのない想い出がある。もうごめんだ。。。と何回も断ったのだが、しつこく依頼がある。だから今回は一ヶ月2000ドル、それも前金で支払うなら契約してもいいと賭けに出た♪ (※さすがにもう僅かな金額働いていたのでは南米を旅行するのは不可能だと知っていた。笑)...と、すんなりOK。もちろん、航空券つき。あんがと♪

 そんな訳で2014年4月、3度めのMedellin帰還。。。
今回は空港に着くなり前金を手渡されるというステキなお出迎え♪ようやくまともな稼ぎに♪
仕事もいろいろストレスはあったが、それでもなんとか半年間の契約を無事に終了~♪ (5月には7年が経過)
また新たにPCを買い替えなければならなかったが(ホントにお金が入るとデジタルものが壊れる)、それでも手持ち2000ドルほどという過去最大の貯金でわたしはColombiaを後にして、Peru~Bolivia~Chileという3ヶ国を仕事せずに観光を楽しんで周るという贅沢な移動に♪

※正確な時期を覚えてないので、ここには逐一書き出せてないが、ハードディスクも3台買ったし、カメラのレンズやスピードフラッシュの修理はもう何回もだ、日本にも送ったことがあるし、三脚やその他さまざまな備品の度重なる購入もかなりの負担だった。それに毎年と言っていいほど、歯の治療に掛かる。。。それもかなりな金額になるし、10年もいればあらゆるモノを買い替える必要がある。ホントはこの身体を買い替えたいくらいだ。わはははは

 で、2014年11月にSantiagoに着く。
すぐに大手寿司チェーン店で、取り敢えず試用期間は月1200ドル(本契約2000ドル)という条件で働くことに。。。だがわたしを面接したゼネラルマネージャーはレストランのレシピなどをより良くしたいという考えで、わたしを採用したのだが、自己満足の激しいオーナーはわたしに一切手を加えるなっ、と厳命する始末。だったらわたしなんぞいらないだろうと、わたしは12月いっぱいで退職。1月からまた別の仕事探しに。。。ここで日本人シェフの働くインターコンチネンタルホテル内の日本レストランが誰か探しているというお話を耳にする。。。で、2ヶ月間働いたのだが、どうにもチリ人と合わない。。。ここではレストラン内でキッチン・シェフ気取りの若造と大喧嘩(笑)。オーナーの仲裁もあったが、彼とその取り巻きを首にしないならわたしは契約しないと言い渡す。わははははははははははは。 そもそも日本人シェフ(爺さん)はまったく頼りにならなかった。まあ、採用して頂いただけでもありがたい訳だが。。。(苦笑)
 で、まあ、少しばかりの貯金もあるし、イライラしてたし、Santiagoは寒い寒い冬に突入するし...ということで、2015年5月、旅も丸8年が過ぎたわたしは3ヶ月ほど気分転換のバカンスに出ることに。行き先はお世話になった友人たちのいる暖かい?暑い??NicaraguaとCosta Rica。。。

 2015年6月、Nicaraguaで1ヶ月、お店を手伝ったりしながらGlendaや今や独立してOmetepe島で店を構えるLucaとそれなりに楽しく過ごす。そして7月、Costa RicaではAndrew-IkukoさんたちのChile Rojoを手伝いつつ、のんびり楽しく過ごす。。。
 だが思いもかけずいろいろと出費が嵩んで、所持金が底を尽き始める。。。ひー。。。というのも、この2ヶ月間はボランティアのつもりで手伝っていたので、収入はゼロ。それでもなんとかなるはずだったのに、Costa Ricaの物価が高過ぎる所為もあって?或いは調子に乗って無駄遣いし過ぎたのか??所持金がどんどんなくなってきた。。。もちろん、両店舗(El Tercer OjoとChile Rojo)からはここに残って働いて欲しいと言われていたが、いや、そんなつもりでは。。。と留保しつつ、ボランティアでお店を手伝っていた。Glendaがいくらか支払うと言った時もいらないと断ったしまったくらいだった。わはは
 と、またしても、またしてもMedellinのCamiloからメールがっ!! なんと7月某日、Restaurante Kabukiが不審火で全焼してしまい、急遽隣りにまた新しいKabukiの新店舗をオープンし、彼が初めてメインシェフ兼共同経営者として働くことになったので、助けて欲しいと言うメールが。。。これまた渡りに船、なにしろKabukiのオーナーはかなりの変人だが、金銭的には信頼できる方なので即OKする。
...と同時にCosta Ricaを去る前に、NicaraguaのGlenda、Costa RicaのAndrewとそれぞれColombiaの仕事が終わったら半年ずつくらい契約して欲しいというありがたい申し出を正式に戴く。実はちょうどAndrewはレストランの移転を決めたところだったのでそちらを手伝ってあげたかったが、一足違いでMedellinに返事をしてしまっていた! (ここでもうすっかり貯金のなくなったわたしは念のためGlendaに200ドル前借り。最初から支払って貰ってれば良かったのにね。苦笑)

...という訳で、2015年8月、またまたまたMedellin入り。
まあ、相変わらずいろいろあって、わたしを呼びつけた張本人のCamiloが1ヶ月後には店を辞めてしまうという驚きの展開!!わたしの方はColombia Pesoがだだ下がりの中、米ドル建てで給料を貰う約束なので、コロンビア国内では実質月3000ドルくらいの収入♪ラッキー!?
Camiloがいなくなったこともあって、契約は当初の2ヶ月から3ヶ月に伸びる。ただまたしても新しいカメラに、新しいパソコン、その他諸々を買ったので最終的に手元に残ったのは1300ドルほどだったか?? どういう訳かお金が手に入ると本当にデジタルものが潰れる??。。。そんなもん??

 で、Glendaと約束した通り、2015年11月、再び、Nicaraguaへ舞い戻る。。。途中Panamaの免税店でデジコン・カメラ買ったな。(アルゼンチンで盗まれたからたった1年の寿命だったけれど。笑)
 いろいろあって(Glendaと働くと問題が起こらないなんてことはあり得ない。わはは)11月から2月いっぱい働いたところでサヨナラすることに。まあ、今回はちゃんと支払って頂きましたよ♪そんな訳で3ヵ月働いたけど、どういう訳かちゃんと支払ってもらった割には手持ちは2500ドル程度だったような気もするな。(覚えてない。やっぱりお金に余裕が出来ると関心がなくなる。。。そういう男です。)
※彼女に友情は感じているけれど、一緒に働くのは難しすぎる。。。もう金輪際こりごり。(以前も同じ結論だったのに。懲りないわたし。わははははははははははは)

 で、2016年3月、Costa Ricaへと移動。
AndrewとIkukoさん夫妻にはホントによくして頂いて、おまけに5月には2週間のバケーションでEl Salvadorまで出掛けて、YancyとCarlosたちに数年ぶりに逢うことが出来たし、2009年、Chile Rojoで寿司を教えて以来、わたしを慕ってくれるPhilipeたち新婚カップルがニュージーランドから来てくれて再会も出来た♪
2016年8月いっぱいまで、しっかり稼がせて頂いて9月後ろ髪引かれながらもPanama経由でColombia, Ecuador, Peru, Chileを回ってArgentinaへと大移動開始。。。Costa Ricaは物価が高いけれど、それでもこの旅始まって以来の最高額5000ドルほどの所持金で移動を開始することに♪ (この間、5月には丸9年が経過していた。)

...というところだったが、フトコロが温かくなるとまた欲が出る♪ わはは
いや、この旅を終える前にお世話になった方々に挨拶する最期のチャンスだと考えたのだ。もちろん、ホントはCubaまで足を延ばすべきなのだけれど、さすがにそれは出来なかった。

 9月にCosta Ricaを出て、Panama City経由で、南米の友人たちへのお土産たくさん買って(ホラっ、こういう男。笑)Medellinへ。MedellinではCamiloたちにお世話になりながら、お世話しながら3週間ほど滞在。
 そして10月Ecuador。。。Quitoで友人たちと会ったあと、Mantaへ。Mantaで楽しく過ごしたあと、かねてからの心残りだったMexicoの友人たちに最期の挨拶をするついでに死者の日の祭りに出掛けることに♪ 
 そんな訳で10月21日からOaxaca,Mexico2週間のまさにバケーション♪ここではErikaのファミリーに結局すっかりお世話になって、ホントに楽しく、美味しく過ごす♪もちろん、またまた南米の友人たちへのお土産買って。。。わははははははは
 11月、再びEcuadorに戻って2週間、Quito-Mantaで過ごしたあと、Peruへ向かう。Lima, Peruでは友人に会って、1週間ほど過ごして、今度はSantiagoへ。
 Santiago, Chileでも1週間、以前間借りしていたCarlosの家にお世話になって、長い間預かってもらっていた冬物衣料などを手に、一路Buenos Aires, Argentinaに12月初めいよいよ到着!!
 2016年12月初めににArgentinaに到着するまで、3ヶ月間でPanama-Colombia-Ecuador-Mexico-Ecuador-Peru-Chileと各国の友人たちを訪ねて回ってきた。振り返ってみれば米大陸縦断に近いじゃないかっ!? わははははは
 こんなにゆく先々に友人たちがいて、誰もがわたしを歓待してくれるなんて、本当に幸せなことだと思う。実際、想像した以上に、いや、想像もしなかったほどに友人たちとの再会は心地よく楽しかったと正直に告白しておく。気が付けば、スペインにも、カナダにも、ニュージーランドにも、イタリア、トルコ、シンガポール~マレーシア、スイスにも友人たちがいる。本当に不思議な感じだ。。。
 

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もうすぐ10周年、中南米放浪の旅(前半) [Argentina 2017]

 そんな訳でいよいよこの旅も5月21日で丸10年を迎える。

365日X10+2=3652日という期間。。。もちろん、一度たりとも日本には戻っていない。二度と戻らないと決めて出た旅だ。

45才のおっさんだったわたしは55才の爺となった。まさかこんな歳まで自分が生きているとは想像もしなかった。

白髪があったとは言え、まだ黒かった髪もヒゲもすっかり白くなり、老眼鏡が手放せなくなった。

コックか皿洗いでもするつもりだったが、気がつけば偉そうにシェフなんぞしている。わはははははははははははははははははははははは


 何度も書いてきたようにこの旅は長くても4年でイグアスの滝で終わるはずだった。一ヶ国3ヵ月程度というプランで行くと大体そんな感じだった訳だ。だが途中何度も所持金がゼロになり、とても3ヶ月毎に移動する訳にはいかなくなった。。。特にシェフとしての仕事を始めてから、予定はどんどん未定になっていった。。。わはははははははは


 で気が付いたらという言い方もどうかとは思うが、ちょうど10年経ってしまった。


 この10年間、何度も所持金ゼロに陥りながらもなんとか米大陸を縦断してカナダから(アメリカすっ飛ばしてキューバ経由で)アルゼンチンまで辿り着いた。いくら稼いでも結局は所持金ゼロに陥るわたしだ。今年の2月末にもゼロだったが、その翌日給料を頂いて生き延びたのは初告白か??(笑)仕方ない、日本では46年間、一度も貯金したことのない男だったから。。。わははははははははははははははは


 以前から何度か書いているように、もちろん、わたしは当初から中南米で働いて旅をするつもりだった。何だってする覚悟はあった(基本コックとして働き、なんなら皿洗いでもするか、屋台でもやるつもりだったし、肉体労働もしていいと思っていたけれど、カメラマンや広告デザイナーをすることはまったく考えてもいなかった)。2日くらい飯が食えなくたっていいという覚悟もあった。だからこの旅の為にわざわざ貯金なんてすることもせず、日本ではそれなりに稼いだ金をすべて使い切って(バブル経験世代で、もともと金遣いがめちゃくちゃ荒い。笑)僅か100万円ほどの現金を握りしめて旅に出たのだ。お金がある限り、働き始めないのは分かり切っていたからだ。(その程度には自分のことは知っている。苦笑)

 日本では偉そうに口八丁手八丁で仕事をしてきたわたしに、言葉も満足に通用しない国々で、誰一人見知らぬ人ばかりの国々で、いったいわたしに何ができるのか、わたしは何者であり得るのか、確かめたかったというのもある。


 あんまり偉そうなことは言えないけれど、海外放浪の旅なんてお金がないから出来ない...というのは簡単だが、そんなこと言ってたらいつまで経っても出来ないだろう。先に書いたように実際のところわたしが日本を出る時に持っていたのは僅か100万円ほどだったし(結論から言えば100万円は9ヶ月も持たなかった。笑)、おまけに日本を出る前にはハバナ大学の授業料が幾らかも知らず、調べもしなかったし、物価も家賃もなにもかも見当すらつかなかった。ハバナ大学の受講料、家賃に生活費に、Mexicoまでの航空券も何の情報も持ってなかった。今から考えると不思議だが、Cubaにはスペイン語の勉強にゆくだけだと決めてかかっていた所為で、"地球の歩き方"さえ、Mexico編と中米編しか持ってなかった。。。生まれて初めての海外旅行の癖に??どんな奴??。わはははははははははは

 Mexico国内を1ヶ月間旅をしてGuatemalaに到着した訳だが、それから先も、いったいどれくらいの旅費・宿泊費・食費などの生活費が掛かるのかを知る術はなかったし、そもそもが働くことを目的としていたので、そんなことは考えるだけ無駄だという気持ちだった。わはははははははははははははは


 話しを最初の国Cubaに戻して、もちろんCubaでの日々は日本での生活とはまったく違って食事さえちゃんと採れないこともあったけれど、ホントに当時は相当な覚悟があったのでまったく平気だったし、好き放題お金を使って、食べたいものを食べ、お酒に浸っていた日本での生活とは180℃異なるビンボーぶりを寧ろ楽しんでさえいた。 わははははははは

 おかげさまでCubaとMexicoでわたしは15kgほどのダイエットに成功した♪...もっとも今やすっかり日本の頃と同じ体重に戻っているのだが。。。わははははははははははははははははははははは

 そもそもこの旅はわたしにとっては生まれて初めての海外旅行なのだ。友人の結婚式でホノルルへ連れて行ってもらったことがあるけれど、それは切符もホテルもすべて手配してもらって、遠足よろしくただホントに一緒について行っただけだったから、とてもじゃないが自分で旅行したことがあるとは恥ずかしくて言えない。わはははは

 Guatemalaでは初めてコックとして働き、ほぼ同時に広告カメラマンとしても仕事を始めた。以降、El SalvadorとBoliviaを除いて訪れたすべての国で仕事をしてきた。Nicaraguaからは広告デザイナーの仕事にも新たに手を出す一方、レストランのオープニング・シェフを務めた。2010年6月、3年掛けてようやく南米コロンビアまで辿り着いたものの、それ以降はまた行ったり来たりを繰り返し2016年12月ようやくアルゼンチンまで辿り着くことが出来たというのが本当のところだ。(笑)想像だにしなかった長すぎる旅だ。。。
 

 もう何度も所持金ゼロを体験していて、すっかり慣れっこだったりもする。わははははははははは

 ありがたいことに、友人たちに助けられたこともあったけれど、いつも何かしら仕事はしている訳でなんとかなるし、なんとかするしかない。2週間くらい10ドルで生活したこともある(冷蔵庫の中や買い置きしてあったものを日割りですべて食べつくした)。わはははははははははははははははは

まあ、Panamaの最初の3ヵ月と初めてのMedellin滞在時の3ヵ月を除くと、幸いにもいつも何かしらの仕事はしているので、ほとんどの場合、次の収入までをどう過ごすかというのが問題だし(仕事のない時はいつも多少なり手持ちがあって)、不思議と必ず仕事を始めてから手持ちが尽きる。わはははは


 わたしのことはさて置いても、海外を放浪するなら働くのは当たり前のことだと思っている。昔から(現在でも)世界中の若者たちが皿洗いやバーなどで働きながら、或いはギター1本手に歌をうたったりしながら世界を旅してきたのだ。日本で貯金をして、それがなくなるまで...というのもモチロン否定はしないが、申し訳ないがそれを立派だとはどうにも思えないのだ。旅の途中、全財産を盗まれたり、貯金がなくなった時こそ、個人が試されるとは考えられないだろうか??自分を試してみたいという思いが、人々を外世界へと誘うんじゃないだろうか?せっかくそこまで辿り着いたら、せめてちょっとくらい足掻いてみてもいいんじゃないだろうか?

 貯金でする旅はやはりどれだけ長期間であっても観光旅行の域は出ないだろうし、寧ろせっかくのチャンスなのに何もしないのは勿体ないとさえ思える。もちろん、働くには少しくらい言葉が話せないと...というのは事実だ。けれどわたしがGuatemalaで働き始めた時はもうホントに酷いもんで、観光くらいはできても仕事ができるようなレベルではなかった。募集もしてなかったのに、いきなり店に飛び込んだわたしなんぞを雇ってくれた亡きCafecito2のオーナーには感謝しかない。(もしオーナーが生きていれば間違いなく去年逢いに訪れただろうに。。。とても残念だ。)

 仕事を探すのはいつも知らない町を毎日、毎日歩き倒して、片っ端から店を一軒、一軒尋ねて回るという手法(もちろん、大半は門前払い。笑)だ。ネットで...なんて言ってたら多分無理だろう。やっぱり顔を見せて、必要なら実際に一日でも試してもらって。。。ということが必要になるし、そうすればきっと何か見つかるはずだ。

 随分以前に"不法就労のススメ"というblogを書いたことがあるが、10年経っても、いや、10年経ったからこそ、本気で日本の若者たちがそういう旅を否定してしまう傾向があることを残念に思う。わたしは何も自慢したくってこんなことを書いている訳ではない。そうではなくて、寧ろ日本の若者たちに勧めたくて書いているのだ。社会が掲げる限界やルールを自分のモノとしてしまう必要はない。社会のルールは社会のモノであって個人のモノではない。社会なんぞ時代や大統領が変わるだけで、その限界もルールも常識さえもどんどん変わってゆく。そんな程度のモノでしかないのだ。社会にルールはあるし、ルールは必要だけれど、それはあなたのモノではないということだ。わははははははははははは
不法就労のススメ 2011年10月
続・不法就労のススメ 2013年6月
追記(続・不法就労のススメ) 2013年6月

 "そんなこと言ったって自分には何もできない..."と言うなら、それこそが根本的な問題なのだという他ない。それは旅資金以前の問題かも知れないし、そこをなんとかするべきなのだ。
 

 最初から思うように稼ぐのは難しいかも知れない。わたしにしたって、カメラマンの仕事では最初はひと仕事30ドルとか、50ドルが関の山だった。Guatemalaでコックを始めた時は日給10ドル(月8回で80ドル+チップでトータル100ドルほど)だったし、カメラマンと広告デザイナーの仕事を合わせても50ドル-100ドルだったりした。シェフとしても月500ドルから始まって、月750ドル、月1000ドルと少しずつ増えてきて、ここ数年は中南米のいずれの国であれ、最低月2000ドルを要求するまでになった。

 それでも当初は自分の能力なんかではなく、現地で出会う人々に助けられてきたのだ。彼らは最初からわたしの能力を買ってくれた訳ではなく、最初は好意から仕事を恵んでくれたに違いないのだ。変な日本人のオッサンが名刺片手にたどたどしいスペイン語で"わたしは広告カメラマン&広告デザイナーです。なにか必要はありませんか?"と訪ねてきたのを好奇心から話を聞いてくれたりした訳だ。そうでない人たちからは完全な門前払いを喰らう訳だ。半分くらいは入口でウエイトレスに"いらないっ!"と追い返されるのだ。わははははははははははははは

 名刺には"Por favor... mas despacio, mas claro en Español(スペイン語はもっとゆっくり、もっとハッキリとお願いします。)"と名前より遥かに大きな字で印刷してあった。ちゃんと目を通してくれたクライアントはもうそれだけで笑っている。おまけに英語で話し掛けるとわたしが"スペイン語の方がマシなんだ"と答える始末だ。わはははは

 さらに名刺には"Fotografo, Diseñador ... y Chef (カメラマン、デザイナー...そしてシェフ)"と肩書が小さく書いてある。これもちゃんと気づいてくれたクライアントは"シェフなのかい?何の料理を作れるんだい?"と訊いてくれる。

 そうやって少し話をすることができて初めて、彼らはわたしの持参したパソコンにある見本データを見てくれるのだ。実際パソコンデータそっちのけで、わたしが何をしてるのか質問攻めにしてくるクライアントも少なくない。けれどそういうクライアントはやはり決まってわたしに仕事を依頼してくれる。そういうケースではわたしの仕事の能力ではなく、わたし個人に対する興味から始まるのだ。

 だからこそ、その後クライアントと友達になることがある。今では数多くのクライアントと本当に友人として接して貰っている。

仕事というのは人間関係だ。この10年間、飲み屋で知り合った友人などただの一人もいない。すべての友人は仕事を通じて知り合った人たちだと言っても過言ではない。或いは友人の友人だ。他にはほんの少しのケースがあるだけだ。だからこそ友人とわたしの間には信頼関係がある。


 そういう中で、この10年間、わたしもまた学び、経験を積み、40代後半から(!!)中南米という環境に育てられてきたのだ。


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※ちなみに中南米の人々の生活費やわたしのフトコロ具合を想像しにくいと思うので、各国の大体の最低賃金を記しておく。


中米最低賃金 月150ドル ... おまけに最低賃金以下で働く人々がたくさん存在する。

コロンビア最低賃金 月250ドル 

エクアドル最低賃金 月366ドル ... 政府が毎年どんどん上げてゆくが、実態は追いつかないまま。最低賃金以下で働く人々がたくさん存在する。

ペルー最低賃金 月250ドル 

チリ最低賃金 月350ドル ... アルゼンチンに次いで物価は割高。

アルゼンチン最低賃金 月530ドル ... 但し、物価、住居費共に、ウルグアイと並び南米随一。


 もちろん、どこの国にも最低賃金以下で働く人々は存在するし、最低賃金の数倍~数十倍を稼ぐ人々だっている。

そもそも貧富の差が激しいので、平均所得には意味がない。但し、大半の一般庶民というのは最低賃金付近で生活していると思っていい。その割合は国にも由るが6割から8割だと考えていい。

 ※注:Ecuadorのように最低賃金が毎年どんどん上がるというのはバラマキ政策であるだけでなく、インフレの実態があるということだ。最低賃金を毎年上げるようなマネを続ければインフレを招くのは必須だし、インフレによってさらに最低賃金を上げる必要に迫られる。景気が上向きだから最低賃金を上げるというのではなく、単に貧困層へのバラマキ政策としてやるからこういうことになる訳だ。もともとコロンビア、エクアドル、ペルーは最低賃金250ドル前後で同一だったのに、原油価格の低迷で経済状況が芳しくないにも関わらず、支持層への見返りとばかり最低賃金を上げる政策で、インフレを悪化させたのだ。けれど最低賃金で働く人々はコレア大統領のおかげで自分たちの収入がここ数年で1.5倍になったと喜んでいたりする。生活は一向にラクにならないどころか、最低賃金以下で働く人々の数が増加しているにも関わらず、そこには気づかない。。。


 わたしの知る限りで一般のレストランのコック、シェフたちですら最低賃金の1.1倍 - 1.5倍程度だ。

どこの国でも最低賃金で家賃を支払いながら家族を養うなんてことは不可能だ。国にも依るがちゃんとした企業に勤める一般職の人たちで月1000ドルくらいからだと思う。(企業そのものが圧倒的に少ないので、大卒でしかもコネがいる。)もちろん、企業勤めで月1万ドル稼ぐ人たちだって存在する訳だが、それくらい極端に差があると思った方がいい。平均化されていない。コロンビア、エクアドルで☆☆☆一流ホテルのトップシェフが6000ドルから7000ドルくらいだと聞いたことがある。一方、例えば南米各国からチリやアルゼンチンに出稼ぎに来る人々はこの最低賃金に騙されてやってくるが、物価が高くて生活が苦しいのはどこでも大して変わらない。

 だからレストランのコックたちは大半が実家暮らしだし、配偶者と共働きだったりするのは当然だし、勤務地から離れた場所に住むことを余儀なくされるし、副業や仕事の掛け持ちをしたりする者もいる。ちなみに中南米では通勤費を負担してくれるような常識は存在しない。だから遠隔地に住むということはそれだけ交通費が嵩むということだ。取り分け交通費の高いチリやアルゼンチンではそれだけでも50ドル-70ドルにも及ぶ。だからわたしにはそういう人々が携帯電話スマートフォンなどをローンで買って、さらに毎月そこに数十ドルの通信費を費やしている現実が理解できないのだ。中南米の何処の国でも、今やどんな人も(わたし以外)スマートフォンを持っている。わははははははははははははは


 例えばわたしの場合、ホテル代や家賃を支払いつつ生活しようとすると大半の国々ではどんなに節約しても中米で月500ドルから月700ドル、南米だと800ドルは最低でも必要になる。ちょっと節約をゆるめたり、何か不意の支出があったりすると中米でもあっという間に月1000ドルは越えてしまうし、南米だとそれ以上だ。




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もう少しで米国に勝てるはずだった戦争?? [Argentina 2017]

 木曜日、4月末で職場を離れた(首になった)コックの送別会ということでアルゼンチン名物アサード(BBQ)をすることに。 とは言え、みんな仕事。。。そんな訳で夜中12時を過ぎてから食べ始めるというとんでもないパターン! わはは
だがしょっちゅうこんなことやっているのでみんな平気??(わたしも2度目の参加。)  
一人暮らしの同僚の自宅屋上ベランダで11-12名が集まってアサード♪
まあ、食事が終わってからもワインは止まらない。。。 そのうちどういう訳か話が日本のことに。。。

 突然、アルゼンチン人(35才)である同僚が、こんな風なことを口にしたのだ。。。

"日本は第二次世界大戦でもう少しでアメリカに勝てるところだった。アメリカは日本に負けそうになって原爆を落としたのだ"と。

 バカなっ!? これまでに耳にしたこともないぶったまげた説だったが、それを否定するわたしにもう一人のアルゼンチン人(25才)まで同調し始めた! なんとふたりでわたしに一生懸命、日本はアメリカに勝つ寸前だったというのだ。

 アホかっ、オマエらわ!?と思いつつも、日本がすでに敗戦を重ねていたこと、首都東京も大空襲を受けて焼け野原だったけれど、それでも敗戦を認めようとしない日本政府を挫く為、そしてドイツと先を競って開発に成功した原子爆弾を試す絶好の機会だったこと、当時の日本人には敗北より殉教を選ぶような精神風土が深く根付いていたこと(神風特攻)などを説明するが、もう頑固にまったく自説を曲げようとしない。

 "そうでなければアメリカが2発も日本に原子爆弾を投下するどんな理由もない"などと言い始める始末だった。  しかもその根拠として挙げたのはなんとパールハーバー奇襲だった。 彼らに言わせれば、パールハーバーが天下分け目の闘い、日本の勝利を決定づける戦闘だったと言うのだ! バカなっ!? もうわたしが呆気に取られてしまうくらいの珍説だった。

 だがいったいどういう訳で年齢も世代も異なるふたりのアルゼンチン人たちがそんな説を唱えるのだろう??  なにかそんな映画やドラマでもあったというのか?? それともアルゼンチンではそんなバカげた歴史観を教育しているとでも言うのか!? だが宣戦布告なき開戦であるパールハーバーを勝利の頂点だと主張するような説にはどんな根拠もなくただの風説でしかないだろう。アニメや漫画ですらそんな風に描くとは思えない。まあ、ふたりとも確かに教育のない連中だから、そんなデマを何処かで聞いて真に受けた訳だ。(彼らに訊いてもハッキリしない)ひょっとしたら日系移民の子孫のうちの誰かがそんなことを口にしたことがあるのかもしれない。

 けれど本当に驚くべきことは、こんな歴史的事実まで覆すほどに、日本に対するさまざまな神話が世界中に流布しているということだ。あらゆる分野で日本は好意的に神話化され、さまざまに誤解されている。 その上に胡坐をかく日本人旅行者や海外在住者も多いけれど、やはりそれではいけないのだ。
 まるですべての日本人が優秀あるかのような神話や日本ではほとんど犯罪がないかのような安全神話、日本人のホスピタリティに関する行き過ぎた神話もある。日本が寿司や野菜を中心とするヘルシーな食文化であるというものもあれば、日本の仏教や武道、侍魂、芸者、伝統に対するさまざまな誤解や神話がある。学校教育や給食文化に対する誤解も年々大きくなっているように思える。いまだに日本が経済大国であるという嘘も相変わらず跋扈している。それらをイチイチ否定するのは礼儀的に失礼だからという詭弁で聞き流す人も多いようだけれど、それは間違っている。それらを謙遜の美徳で程度で済ませようなんて虫が良すぎるというものだ。礼儀だと言うなら、誇張や勘違いによる日本の美点を誇る前に、滞在国の文化や人々の美点をこそ見出すべきなのだ。そして行き過ぎた褒め言葉には謙遜ではなく、きちんとした説明で応じるべきなのだ。そんなことも出来ない日本人は自らをこそ恥じるべきだ。もちろん、日本文化、日本社会にも美点はあるだろう、けれどまずもって日本人自身が自らの国の現実と向き合わなければならない。

 それに例えば、冒頭のようなバカげた話を聞かされた時に、あなたが相手に失礼だとばかりに、或いは何も知らないバカだと蔑んで、相手の話を否定もせずに、愛想笑いと共に、ただ聞き流しただけで、彼らの中では日本人であるあなたが彼らの主張を認めていたと解釈されるのだ。愚かで醜いのはどちらだという話だ。

 確かにラテンアメリカに住んでみて、彼らと一緒に働いてみて、先日も書いたように、彼らの問題点、彼らの学習能力の低さに辟易とさせられることはたくさんある。けれど、それは学校学習教育という意味では決してないと思われる。それはより文化的な教育、教養の浅さに依拠しているように思われる。たとえば衣食住から芸術・文学、情操教育と呼ばれる音楽・美術を含めての彼らの精神的文化教養の底浅さでもあるだろう。

 前回のblogでも書いたようにそれらすべてが彼らの責任ではない。一般庶民である彼らには高級レストランなんて手の届かないところにあって、調理師学校を出たところで食文化の経験値は如何ともしがたい訳だ、同じように、アルゼンチンやペルーを除いて他に書店文化の充実している国はほとんど見当たらないし、それらの国に於いても一般の貧しい人々に書籍を自由に買う金銭的余裕などあるはずもない。彼らは幼い頃から読書に親しむという経験が極めて限定されているのだ。そして初等教育では音楽や美術といった教育は非常に軽視されていて、すっかり欠如している場合も少なくない。さらにtv番組では日本のようなカルチャー番組はなく、Nacional GeogaraphicとHistory Channelくらいしかない。それらは日常生活とはある意味かけ離れたカルチャー番組でしかないし、その国独自の文化ではなく、米大陸、世界共通の番組だ。日本のようにもっと身近な生活知識や雑学・食文化の奥深さを知らず知らずのうちに学ばせてくれるような日常的な番組はほぼ存在しない。
 確かに我々日本人は中南米の人々に比べると、生活の知恵というようなものをたくさん抽斗に持っている。けれどそれらは決して学校教育で齎されたものではないし、親から子へ伝えられたものでもない(昔はそういう側面が強かったのかも知れないが)。その大部分を我々はtv番組の生活の知恵というような雑学トレンド紹介コーナーのあるような、よもやまな番組から得てきたのだ。

 一方で、日本においてもわたしが指摘するまでもなく、ほとんどの人々が読書をしなくなっているし、読書と言っても三文小説やファンタジー小説と呼ばれる、それで知性や教養が身に着くことは決してなさそうなものばかりが読まれているようだ。受験勉強の一方で、スマートフォン文化やゲーム・アニメ文化、アイドル文化という本来子供向けの文化であるべき諸文化の成人マーケットへの拡大拡充によって、美術・音楽的な古典から現代へと連なるような精神的遺産としての芸術的教養は見向きもされなくなって久しい。他方ポルノやエロ文化は低年齢化にブレーキは掛けられず、ファッションに於いてもトレンドや消費構造は成人向け市場と大して区別されなくなっていて、もはや大人文化と子供文化の間にはどんな境界線も見られないと言ってもいいのかも知れない。
 世界を見渡しても、映画と言えばもはやハリウッド映画とその二番煎じグループであり、スーパーヒーローやファンタジー映画、アニメーション映画など常に同じような映画が幅を利かせているばかりだ。それらも本来子供向けの文化であるべき諸文化の成人マーケットによる簒奪(拡大拡充)という図式にすっかり当て嵌めることが出来る。

 ラテンアメリカをあげつらうだけでなく、今の日本や世界全体に通じる人々の精神的文化教養にみる幼稚化はきっとその辺から来るのかも知れない。そう考えれば、所詮"一日の優位"であるに過ぎず、またそれらは日に日にその差を、高みではなく低みに於いて詰められつつあるのかも知れない。

 いつか日本人が第二次世界大戦に於いて日本軍は米国に勝利しつつあった所為で原爆を落とされたのだ、と主張するような日が来ないことを願うばかりだ。

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中南米でレストランをオープンさせたい人に。 [Argentina 2017]



 中南米で10年間、レストランのシェフとして、またレストラン専門のカメラマン&広告デザイナーとして数多くのレストランで働いてきた。
そして10年間に出逢った多くの日本人が"中南米でレストランでもしようと思うんですけど..."という例の言葉を聞いてきた。
もちろん、多くが日本でシェフは愚か、コックとしても働いたことがない。調理経験ゼロの人たちだ。
"料理にはちよっとだけ自信があるんですけど..."と謙遜される人たちも少なくはない。


 まず言っておくが、調理のプロか、アマチュアか、は料理の上手い下手ではない。
素人でも料理の上手い人、とっても美しく盛り付けの出来る人はたくさんいる。その辺のシェフよりずっと、わたしなんかよりずっと料理上手、盛り付けセンスのある素人の人たちはいくらでもいる。けれどプロではない、プロに向いてない人もいる。
素人とプロとの差は、料理の上手い下手だけではないということだ。
だったら??
 プロの資質というのは早くなきゃどうしようもない。お客さんを待たせる訳にはいかないのだ。
やってるうちに早くなるだろうと考えるなら、早くなる前に潰れる方に賭けた方がいい。

 プロというのは玉ねぎ、じゃが芋20kg、30kgをどれだけ素早く皮をむき、カットすることができるか、サラダ100人前を何分で準備できるかだと言っても過言ではない。もっと言えば、レストランの席数が50席あって、大半のお客さんがほぼ同時に来店して、次々と注文が舞い込んだ時に(どういう訳か、レストランではお客さんたちはいつも同時に来店し、満席になる宿命がある)、お客様を待たせずに、料理を前菜なら7分以内、メインなら15分以内にテーブル毎に(人数分一度に)冷めていない熱々の料理を提供できるかということだ。日本との常識の違いは、中南米ではひとつの料理をシェアしながらつまんで食べるという習慣はない。少しずつ出来たものからという日本式は一切通用しない。すべての料理をテーブル毎に同時に人数分を提供しなければならない。"或る料理は時間が掛かるので少し遅れます"というような言い訳は通用しない。料理をシェアしたりせずに、全員がみんな同時に食べ始めるというのが中南米の常識なのだ。
※正直、100人同時に来店しても、どんなに長くても30分が最大の持ち時間だ。それを越えるとお客さんは必ず怒りだす。満席で忙しいから...なんて理解してくれる人は少ない。

 だから40名の団体客が来たら、40人分のバラバラな料理を一度に全部一緒に提供しなければならない。モタモタしていたのでは不可能なのだ。
それに中南米では、誕生日など毎月のように、ファミリーで会食する機会が多いけれど、日本で言う冠婚葬祭レベルのファミリーが一般的な"ファミリー"の概念なので、ひとつのテーブルで20名なんてごく普通にあると考えた方がいい。
いきおい中南米のレストランではメニューは小さくなる。パスタならパスタのバリエーションは増やせるが、パスタもピザも肉料理も魚料理も、あれもこれもバリエーションを豊富に...というのは難しくなるという意味だ。もっとも8種類のパスタがトータル20人前オーダーが通って、それをきちんと提供できるレストランはそれほどない。そんな注文をしたらかなりいい加減なものが提供されると予想すべきだ。わはははははははははははは

 そんな訳で、単に料理が得意なだけでなく、とにかく何でも素早く手際よくできるタイプでないと困るってことだ。調理師免許なんぞどうでもいい。
さて、それがひとつ、だ。わはははははははははははははははは

 もちろん、プロの料理人を雇えばいい...みんなそう考える。ん!?
プロの料理人が欲しければ、日本から連れてくるしかない。中南米に日本人の求めるレベルのプロの料理人なんてほぼいない。教えればなんとかなるというもんではない。
 これが最大の問題なのだ。
だったら、他の中南米に星の数ほどあるレストランはどうしてるんだ!って?? わはは
中米ではおよそまともなレストランのシェフは外国人と決まっている。南米に入ると少し異なるがとは言え、かつてのヨーロッパからの移民の子孫だったりするケースもあるし、南米人がシェフを務めているレストランではメニューはとても小さいというか、ほとんど炭火焼きparrillaしかない。あとはペルー人たちがペルー料理や日本食もどきなどを提供しているか、だ。
※中南米ではフランス料理レストランはほとんど存在しない。あるのは炭焼き肉料理parrillaレストランに、海鮮料理レストラン、イタリアンが大半、それにスペイン、日本(寿司)、ペルー、あとは大抵の場合、レベルがグンと落ちて中華レストランとファーストフードクラスのメキシコレストランくらいだ。

 そもそも中南米料理では肉料理と言えば、先に挙げたparrillaと呼ばれる炭火焼きだ。それしかないと言っても過言ではないくらいだ。
魚料理は一匹丸々から揚げと決まっている。魚に切り目を入れて、フライヤーにぶち込んで、カリカリに揚げてしまうのだ。それしかない。
あとはスープ料理というべき煮物だが、もちろん、それらは調理済みだ。
 正直なところ、それが中南米料理のメインなのだ。ソースなんてない。ajiと呼ばれるピリ辛の酢が用意されているだけで、それがすべてだ。そこで働くシェフたちのうち、日本人がレストランをオープンさせる時に役に立つような人物はいない。よくある寿司レストランでシェフをしてました、日本料理が作れます、と言ってもそんなものお話にもならないと考えた方がいい。間違った料理を覚えていて、そこに捉われるだけだから寧ろ、勝手なことをされて邪魔になるだけだ。

 中南米にもたくさんの調理師学校がある。。。あるんだよ、実際。わはは
けれどまったく使い物にならない。そもそも調理師学校のレベルが極端に低い。。。中にはまともだと評判の調理師学校もある。けれどたかが知れている。日本の調理師学校とはまたレベルが段違いに異なる。もちろん、国によってもレベルは異なる。少しだけマシなのはペルーとチリのようだが、特別に期待するほどのものではない。アルゼンチンはダメダメ。エクアドルもダメダメ。コロンビアもダメダメだ。ボリビアは知らないが、期待できそうにない。わはは
中米はもうまったくどの国も全然ダメダメだ。どうしようもないレベルだ。
調理師学校には1年制と4年制があって、1年制は糞の役にも立たない。。。まったくだ。お料理教室みたいなもんで、レシピを教えて料理を作らせるだけ。そんなもん日本の花嫁教室の方がマシ。わはは
 4年制も大して中身は変わらない。一応、栄養学とか衛生学とかついてくるけど、あとはほとんど一緒。とにかく肝心の技術を教えない。技術なんて教える人がいない訳だからどうしようもない。もっとどうしようもないのが、4年制を出るとシェフになる!! えっ!? 何が!? シェフというのがタイトル(修了課程)なので、卒業したら、もうシェフなんです。わははははははははははははは
 これは面倒だ。日本だと調理師学校を出てもペイペイ扱い。調理師免許というどうでもいいようなものだけ貰えるが、間違っても次の日から"ボクはシェフです。"とは言わない。そこから下っ端からの修行の時代が始まる。。。
 ところが、中南米ではそうではない。学校を卒業した途端、彼らは"自分はシェフだ"と言い、シェフとしての仕事を探す。。。ある訳ないじゃないかと思うだろうが、そうでもない。彼らをちゃんとシェフとして採用するレストランがたくさんある。。。ひー。。。
中南米ではオーナーシェフは珍しい。ほとんどの場合、雇われシェフだから仕事がない訳じゃない。
 そんな訳で彼らを教育しようとすると、彼らの抵抗に逢う! わはははははははははは
プライドだけあって、ちゃんと学ばない。。。下積みなんて嫌がってしない。。。もういっちょ前のシェフ気取り。。使い物にならない。。。
どれくらい使い物にならないかと言うと、包丁の使い方も知らない。。。魚の下ろし方も知らない。。。きゅうりでも薄切りさせてみればいい。2-3mmのバラバラなものが出来るから。皮剥き器がなければニンジンの皮も剥けない。可能な限り細かくみじん切りにしろと言っても5mm角くらいのものしかできない。わはは
 また知らないもの、食べたことのないものに対する抵抗心が強くて、食べたことのないものを食べようとしない。しかも彼らは基本貧しい一般庶民なので、高級レストランなんて行ったこともない。一度もない。一度も高級レストランでまともな食事をしたことがないシェフだ。ひー。。。どうする!?
仕方ない、彼らの責任ではない。彼らの収入では高級レストランなんて行ける訳がない。金持ちは調理師学校なんて行かない。好きで趣味で調理師学校へ行ってもお金持ちは決してレストランなんかでは働かない。精々がシェフのタイトルを持つオーナーとして、偉そうに振舞うだけだ。わはは
そんなプロ??もどきしかいない。だから自分で料理するか、日本或いはヨーロッパからシェフを連れてくる??しかない。
米国人やカナダ人はやめといた方がいい。料理がダイナミック過ぎて(よく言って、だ)、異次元だから。わははははははははははははははは
もちろん、日本からということになるだろう。日本ならちゃんとした料亭で3年も働いていれば、もちろん、人によりけりだけれど、そこそこ使い物にならない訳ではないだろうから。それが一番いい。
けれど、問題はレシデンシア(居住権)だ。中米はそんなものなくてもなんとでもなるが、南米はそうはいかない。

 どうしたってレシデンシアが必要になる。
自分で事業をするために必要なレシデンシアとなると、現地の人と結婚するのが一番早くて安い??わはははは
次は投資家VISAというやつだが、多額の預金を現地の銀行に預けなければならない。VISAを返納するまでそれは一切引き出せない。
利息はついてくるが、万一、銀行が倒産した場合はチャラだ。わははははははははははは
金額は国によって異なる。
 他には学生VISAもあるが、受講が義務づけられていたりするからそういう制限はあるし、もちろん、入学金と授業料も支払わなければならない。しかも1年とか2年とかそういう期間限定だ。ずっと滞在するには学生VISAでは不可能だから、どうしたって先の2つだ。自分の分とシェフの分。。。なかなか大変だ。
これが2つめだ。いや、2つめと3つめか。 わははははははは
 ちゃんと株式企業にして就労VISAをと考えても無駄だ。外国人に就労VISAを与える為には、レストランとして2年間くらいの納税証明書と損益計算書が要求される。だから現地に法人登録してから2年以上経たないと、日本人シェフを招いて就労VISAを与えることはできないはずだ。
 ※追記: 南米でもチリとアルゼンチンならVISA取得も、長期滞在もなんとかなる。ブラジルは知らない。


 さらに日本の常識を捨ててもらわねばならない。


 たとえばレストランをオープンさせたら、ガードマンを雇わねばならない。わはは
多分、オープンして数週間以内に空き巣に入られる。或いはオープン直前に空き巣に入られる。。。TVやパソコンやそういうものを盗みに入る訳だ。証拠はないが、工事業者たちが情報を流している可能性が高い。見事なくらいやられる。わはははは
そしてオープン後、幸いにもレストランが流行れば、帰りを気をつけた方がいい。お店を出た途端なんてのもよくあるし、帰り道を待ち伏せされたりもする。営業中のレストランにピストル強盗が来てお客さんの金品ともどもなんてこともよくある。なんにせよ、ガードマンを雇うしかない。雇ったところでやられる時はやられるがそれでも雇わなければ確実にやられる。

 残念なことに従業員を信用できない。長年真面目に働いてくれて信用できると思った瞬間に裏切られたりする。従業員を信用できないのでレジは自分でするか、コンピューターにするか、さらに会計伝票とキッチンオーダー票、レジを突き合わせないといけない。さらには在庫だ。。。哀しいかな、倉庫や冷蔵庫、冷凍庫のモノ、それどころか備品までなくなる。。。フォーク、ナイフや牛肉、豚肉、お米や色んなものがどんどんなくなる。だから監視カメラも必要になってくる。もうどうしようもない。盗み食いも、だ。ジュースや色んなものが足らなくなる。一人がやれば他の従業員もやる。一人見逃せば全員がやる。
 従業員のカバンの持ち物チェックも必要だったりする。ガードマンにチェックさせる訳だ。そんなこと...なんて言ってられない。5年、10年働いてもやる時はやる。お酒の盗み呑みもある。営業中に酔っぱらう奴が出てくる。知り合いにも酔っぱらって首になったシェフがいるからお笑いだ。
だからガードマンに監視カメラという投資が必要になる。そして伝票、在庫チェックという仕事も、だ。伝票は通し番号が必要になる。ついでにチップ隠しも出てくる。貰ったチップを自分だけのものにするという輩だ。従業員同士の争いのもとになる。

 ややこしいのはコックたちの中にはわざと量を多く調理したりして食べようとする奴がいることだ。
味見はもちろん必要だがそうではなく、ただお腹が空いたから、オーダーを間違えて自分用にしたり、持ち帰り用にしたりする。だからオーダーミスも安易に容認してられないケースがある。それにお皿や備品を次々に割ってくれる。仕方がないものもある。けれどテフロンのフライパンなんぞ3日めには傷が入っているし、お皿やワイングラスを次々に割られた日には目も当てられない。シリコンのへらはすぐに溶けてなくなる。わははははははははははは
そして決して自己申告しない。。。誰もが知らないと言う。全員が知らないと言う。だから監視カメラはその為にも必要になる。


 さて、これが4つめだとしよう。わははははははははははははははははははははははは


 いよいよ最後5つめだ。
テーマはコックたちだ。壮大なテーマだ。わはははははははははは
どうやって教えるか。。。10年彼らと働いてきても正解はない。残念だがほとんどの連中は使い物にならない。
簡単な料理をメニューにするしかない。単純な作業をしつこくチェックして専念させる他ない。。。そんなことでレストランがちゃんと回るなら、だが。わはは
いくつも問題点がある。

1)偏食と未知の食べ物に対する抵抗。。。
 ひとつは偏食だ。あれが嫌い、これが嫌いがとてつもなく多い。元偏食児童のわたしが言うのだから間違いない。とんでもない偏食だ。
日本と違って、偏食は悪ではない。だから彼らは子供の頃から嫌いなモノを食べるように強制された記憶がない。嫌いなモノを食べる必要なんぞどこにもない。お寿司を一切食べないと断言する寿司シェフの多いこと! わはははははははははははははははは
もうホントに信じられないがそういうことだ。とにかく食べないことに罪悪感がない。
 もちろん、食べたことのないものを平気で作る。。。貧しい一般庶民の出である彼らは色んなモノを食べた経験がない。そして知らないモノを食べることに対する抵抗がとても強い。食べないから違いが分からない。。。
 或いはなんでも食べる奴がいる。こいつもまた使い物にならない。とにかく食べる。味わうという概念はない。お腹をいっぱいにすることにしか興味がない。所謂、味音痴だ。試食だと言っても、呑み込むように食べるから感想なんて出て来ない。わははははははははははははははは
彼が"美味しい"と言っても、なんの信用もできない。味なんて分かっちゃいないのだから。そして一日中、なぜか口がもごもご動いてる。あるゆるものをつまみ食いしてる。わはは

2)食感という概念の不在。。。
 日本では"食感"という言葉をよく使う。だが中南米ではそんな言葉は食べ物には使わない。texturaと言えば意味は通じる。けれどそういう感覚を食べ物を味わう感覚に持ち合わせていない。ついでに言っておくと、中南米のすべての国で彼らはすぐに"そうだよね"、"その通りだ"、"もちろんだとも"というような同意の言葉を口にするけれど、その言葉には意味はない。本当に無意味なのだ。ただの相槌だが、もう日本語的には"へえー"くらいで翻訳した方がいい。まったく彼らに"その通りだ"という中身はない。わはははははははははははははははははは
 彼らに色んなことを説明する度に、彼らの口から"そりゃ当然だ"とばかりに色んなセリフが飛び出すが、まったく意味はないから、"ああ、分かってくれたんだ"みたいに勘違いしないことだ。なんにも分かっちゃいないから。ただ"へぇー"って言ってるだけだから。。。
さて、食感だが、その所為で彼らにとっては"柔らかい"が最上級になる。柔らかければ良いのだ。硬いのはダメ。その中間もダメ。ただ柔らかさだけが食感の中で美味しさとして認められる。だから歯ごたえやプルンとした食感、むにゅとした食感、ふわっとした食感なんてどんなに言葉を尽くして説明しても彼らの心には届かない。彼らは食べ物は柔らかければ美味しいと感じるのだ。だから生のサラダでもニンジンなどはどうしてもすぐに茹でようとする。それもフニャフニャになるまでだ。パスタのアルディエンテがどうしても伝わらないのもそこにある。柔らかいのが好きだからどうしようもない。たとえアルディエンテに茹でることが出来たとしたも、アルディエンテの美味しさは理解しない。歯ごたえがいいなんて決して感じない。わはははははははははははは

3)レシピばかりで技術という概念がない。。。
 とにかく調理を教えようと思っても、彼らの関心はレシピにしかない。
なんでもかんでもレシピだけ知ろうとするし、レシピだけで満足する。。。できやしないのに。
まったく同じレシピでも、彼らが作ったのと、わたしが作った料理、そしてミシュランの3つ星シェフが作った料理ではまったく別物だということが理解できないのか、想像できないのだ。口を酸っぱくして一番大切なのはプロセスだと言っても、そこにある技術(テクニック)には目も向けない。そんなことは些細なことなんだろう。些細なこと(細部にこそ)テクニックがあるのだと口を酸っぱくして言ってみたところで理解する奴はほとんどいない。もちろん"そりゃそうだ、その通り"という例の返事だけは貰えるが。わはははははは
 材料ばかり気になって、食材をどんな風に扱って、どんな風に切るかなんて気にならない。なんでも説明して欲しがる癖にすぐに"ああ、分かった"と言って最後までちゃんと集中してることがないから使い物にならない。

4)保存期間や調理時間の目安にこだわる。。。
 そんな訳で、技術を学ばない彼らと来たら、すぐに"それは何分で調理できる、火が通る"と訊いてくる。。。そんなもの例えば肉なら同じグラム数でも薄かったり、分厚かったりすれば異なるし、気温や水温に依っても異なったりする。だが彼らは時間にこだわる。。。それはちゃんと料理を見てないからだ。どれくらい火が通ったかを分かるのがプロだ。それは視覚だったり、触感だったり...経験というやつだ。揚げ物なら油の温度が5度違えばまったく異なる。けれど料理をずっとちゃんと見てないのでそんなもの分かりっこない。フライヤーで1人前の天ぷらを揚げるのと同じように、4人前の天ぷらを一度に放り込んでしまうような愚行を平気でする。違いが想像できないのだ。
 保存期間もすぐに"何日もつ?何週間もつ?"と訊いてくる。そんなもの状況に寄りけりだ。細菌が付着していれば、あっという間だし、完全滅菌されていてきちんと真空パックされていれば長くもつし、タッパーウェアに保存しても、冷蔵庫を開けたり閉めたりすれば、その度に傷む速度は早くなる。温かいうちにタッパーウェアを閉めたのと、完全に冷めてから閉めたのではまったく違う。とにかく食材を見て、食材に訊いてみないと分からないということが理解できない。
そして彼らはすぐに臭う。。。それはいいんだが、もともとの臭いを理解してないから魚なんて先入観で捨てられる。新鮮な時に臭ったこともない癖に傷んだという先入観で臭ってみたらどうなる??傷んでいるかも知れないと思ったら、絶対に味見してみようとは思わない。極端に恐れている。なにを??(笑)だから本当に傷んでいるかどうかなんて分かりっこない。
 そんなこんなで食べ物を捨てる。。。どういう訳か貧しい育ちにも関わらず、彼らはすぐに食べ物を捨てる。少し残ったご飯なんて捨てて当然だ。ちょっと鶏肉や牛肉が古いと判断すると捨てる(その判断基準が信じられないのだ。ただ5日前のモノだから捨てる、みたいな。)。。。自分たちの賄い用に調理したものが残ったら明日も食べれるはずなのに保存したりせずに捨てる。さっぱり分からないがとにかく食材を捨てる。。。。調理したものをラップもせずに冷蔵庫にしまって放っておいて、ダメになったと捨てる。いろんな食材を古いから、傷んでいるっぽいからと、どんどん捨てる。かと思えば、すでに臭っている肉類をそれしかないからとお客さんに提供しようとしたりする。自分が食べないようなものを平気でお客さんに提供しようとする。もうそこには論理とかない。気分という他ない。だから食材を捨てる前には必ずチェックするルール作りが必要になる。

5)味見しない。。。
 自分が好きな料理に関して言えば、出来上がった料理はつまみ食いしたがる癖に、それでも調理途中で味見する習慣がない。上にも書いたように、味見と食事の区別がない。例えばコロッケでも、ギョーザでも、或いは煮物でも、完成させる前に味見するタイミングはある。けれど味見しない。レシピ任せだから味見しない。ちゃんと毎回、味見しないからいつまで経っても味を覚えない。レシピ以上に味を覚えることが大切なのに...言ってみれば、彼らにとって料理は"美味しい"か"マズいか"しかない。そういう訳で"マズくなければOK"となる。。。どうしようもない。毎朝ちゃんとソース類の味見をしないから提供する段になってソースが傷んでるなんて気づくケースも多い。

6)測らない。量らない。。。
 どうにも矛盾するのだが、レシピばかり気にする癖に計らない。。。目分量だ。口を酸っぱくして言っても見てないところでは計らない。計量カップを使っていてもちゃんと見てない。適当。。。目分量の癖に上に書いたように味見しないから(したところで美味しいかマズいかしたないから)、時々とんでもないものが出来上がる。運任せと思った方がいい。きちんと量れと言って、200gの肉を切らせたら、二切れで200gとかいう結果になってる。それじゃダメなんだと言うしかないが、"そんなことできない"で終わる。そもそも塊を量らずに切った部位だけを量るからいつまで経ってもうまくならない。そう教えても最初しかやらない。ひー。。。

7)フライパンを熱しない。火加減を操らない。。。
 そもそもフライパンをちゃんと加熱することができない。冷たいフライパンに油と食材をほぼ同時に入れてしまう。或いは240度くらいなカンカンになったフライパンに油と食材を一緒に放り込む。。。さらには調理中に火加減を弄ることはない!! 常に強火だ。もう鍋やフライパンの周囲に火が見える。弱火にしろと言っても彼らの弱火はコンロの目盛りの弱火なので、まったくもって日本人の弱火ではない。中火程度だ。
教えても、教えても、"忙しかったから無理だった"という返事が返ってくるだろう。

8)フライパンを意味なく揺する、或いは放置する。。。
 ちょっと細かいが、この際だし重要なので別項目とする。彼らの仕事ぶりを見ていると二通りだ。ひとつは鶏肉でもなんでもフライパンに入れたらもうそのまんま放っておく。角切りの鶏肉が山になっていても、くっついていても平気だ。もうひとつはとにかく揺する。もう調理している気分という他ない。少し焦げ目が必要でも関係なく常時揺すろうとする。これ見よがしにフライパンをコンロから高くあげて何度も何度もフライ返ししても一向に火は通らない。。。或いはコンロに打ち付けながらカンカンと音を出してフライパンを揺すってみせて仕事してますよ感に酔っている?? わはははは
フライパンの中身が魚でも、ギョーザでも揺すろうとする。もうぐちゃぐちゃになるが、フライパンの中を見てない。そもそもフライパンを揺すったり、動かさずに様子を見たりすることに意味を持たせてやっていないし、フライパンの中身を注意深く見ていないからどうしようもない。

9)水に漬けて解凍。。。
 ともかく冷凍庫から出したものを解凍するのに、水に漬ける。。。鶏肉、魚、えび、なんでもござれだ。そして放置する。。。
当然すべてのものは水を吸い込む。。。バカなっ!? ラップしてあっても、ビニール袋の口を括ってあっても無駄だということは言うまでもない。どういう訳か牛肉だけは水に漬けるのはあまり見ないが(皆無ではない)、多分、血が滲んだりするのが見えるからだと思われる。それだけの理由??わはは
どんなに口酸っぱく言ってもこれも無駄。。。どうしても水に漬けたがる。あらゆるものがどうしようもなくなる。。。しかも半解凍で取り出したりしてくれない。放置だ。完全に解凍されるまで、或いは解凍されたあとも放置だ。もちろん、味は落ちるし、腐敗も進む。

10)料理に関係のないデコレーション。。。
 最近はSNSやインスタグラムというやつの所為で、あれこれとお皿にソースでデコレーションしたがる。悪い訳ではないが、そもそも汚い。ソースできちんと線を引けない、曲線を描けないのに、ソースでデコレーションしたがるから、仕上がりは無残なものになる。汚いだけだが、彼らは満足気だ。
さらに料理に関係のない=料理に合わないソースでも平気で使う。料理に添えるソースは料理と合うものでなければならないという当たり前のことを理解しようとしない。色合いだけだから、ジャム系が多用される。どんな料理でもジャム系のソースを飾りたがる。言っても効かないよ、多分。本人が凄くいいと思い込んでいるから。。。わたしがソースの飾りを多用しないのは、彼らには出来ないと知っているからだが、連中はわたしの見てないところでソースを汚く飾って悦に入っている。わはは

11)価格に比例しない仕事ぶり。。。
 彼らは一般庶民だ。中南米で言う一般庶民は貧しい。。。先に書いたように高級レストランで食事をした経験がない。自分が働いているレストランでは味見をしたり、つまみ食いをしたりするけれど、彼らには中級レストランの料理ですら高い。
だから例えば、彼らは5ドルのスパゲティと10ドルのスパゲティと30ドル、50ドルの同じスパゲティの違いが分からない。分かろうとしない。だから自分の働いているレストランの一皿の価格にそもそも興味がない。10ドルでスパゲティを売っているレストランでの仕事ぶりと、同じスパゲティを30ドルで売っているレストランでの仕事ぶりはまったく変わらない。。。多少素材が違うか、レストランの雰囲気代だと考えている節がある。10ドルのスパゲティと30ドルのそれを同じように調理して、同じように皿にのせて提供する訳にはいかないということに気づかないか、興味がない。5ドルのスパゲティなら、"まあまあ"でもいい。10ドルなら"美味しくないとダメ"だ。30ドルならできる限り完璧なものを提供しなければならないし、一皿50ドルのスパゲティなら??という奴だ。
だが自分には関係ないとばかりに、どのレベルのレストランでも同じように調理して、同じように提供しようとする。
 料理の価格に見合った集中力とこだわりを見せなければならないという点に気づかない。

12)自己評価が高いのですぐに出来栄えに満足する。。。
 ラテンアメリカ最大の問題はこれだ。いろんな問題があるけれど、ともかく自己満足、自己評価が高い。自己評価が高い所為で成長しない。もう自分の料理に大満足なので、明日も、あさっても、来年もまったく進歩しない。寧ろ手を抜き始める節すらある。
日本人のように、まだダメだ、まだまだだ...なんてこれっぽっちも感じてはくれない。寿司なんて一回教えたら、もう自分は完璧なつもりだ。そんな奴にいったい何を期待できるだろう??わはははははは

13)覚えたら辞めてゆく。。。
 最後は(多分、そろそろ最後なはずだ。笑)、どこの国でも、日本でも同じ悩みだろう。もっと極端なだけだ。
仕事をちょっと覚えたら辞めてゆく。。。給料が月に50ドル上がるならさっさと辞める。さらにもう自分は一人前のシェフだと勘違いしているので、シェフとして働きたいと考える。寿司を覚えて1ヶ月もすれば、もうどこかのレストランで寿司シェフとして働こう(稼ごう)と考える。
仁義なんぞない。わはは
 もちろん、それは彼らの自由であり、権利だが、経営者としてはいろいろ言いたいこともあるだろう。
調理師学校代りに働くなら月謝を払えという気持ちになることもない訳じゃない。わはははははははははははははははは





 さて、そんな訳で、中南米でレストランでも...とお考えになる方は以上の問題と向き合うことになる。わはははははははははははは
わたしは絶対にご免だ。だから金輪際、わたしは自分で経営しようとは思わない。雇われシェフでいい。
 どうしたって自分が厨房に入るしかないが、そうしたらホールはどうなる??
どの程度料理をするかは別にしても、オープンキッチンで調理場をチェックしながら、レジも見て、接客サーヴィスもチェックするのか??帰宅して帳簿つけて、仕入れして。。。
色んな事を考え合わせると、どうしたって家族の手助けが必要になるだろう。そう考えると現地人と結婚してVISAを取るという手段が現実的には一番なんだろうな。でも子供が出来たら出来たで大変です。わはは

 おまけ。。。日本風の食器は手に入らないと思え。
お皿は白皿だけだ。日本風の食器はアルゼンチンを除いて、どこの国でも入手できない。プラスチックの味噌汁の椀と寿司用の平皿、それとお寿司の船盛用まで、だ。中国製の食器はほとんどの場合、やはり使えない。どんぶりも中国製の中華柄のプラスチック製ならあっても、あとは小ぶりの白のセラミックだけだ。本格的にやるならどうしたって色んなモノを日本から持ち込むしかない。


 この文章をすべての、"中南米でレストランでもやってみよう"とお考えになる人々に捧げる。わはははははははははははははははははは


※最後にもうひとつ。。。
多分、水質や子供時代からの食べ物の所為だと思われるが、中南米にはとにかく下痢症の人たちが多い。本当に驚くほどみんな胃腸に問題を抱えていると言う。
困った話だ。。。考えてもみてくれ。寿司職人が年中下痢だったら??
もちろん、毎回きちんと手は洗わせるし、わたしなんかは寿司場には絶対にアルコール消毒スプレーを常備させるけれど、それでも年中下痢症の奴が寿司場に立つなんて、危険この上ない。寿司場のコックを採用される時は必ずその点を質問した方がいい。万が一が起こってからでは遅い。
 今はラーメンブームだけれど、生麺だって菌の繁殖は凄そうだし、麺の茹で時間程度ではすべての菌は死滅しない。




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些細なお知らせ、どうでもええわな。 [Argentina 2017]

 どうでもいいことだけれど、昨日、コメント欄を閉鎖しました♪
別に何があった訳でもなく、いや、寧ろ何もなさ過ぎて?? わはははは

 昔は荒らしというか、バカなコメントを頂いたこともあったのだけれど、ここ数年はもうすっかりそんなこともなく、誰にも荒らされることなく、寧ろ好意的なコメントを頂くこともあったりする訳ですが。。。いずれにせよ、コメントなんて付くことの方が珍しい。わはは
いや、それでいいんです♪ そんなことは別にどうだっていい。
(※近年だと、1年以上前に"安倍晋三のアホ"と書いた時に2度ほどバカなコメントあったかな??2日ほど晒して消してやりましたが。わははははははははは)
 ちなみにネットニュースなどで見かける"炎上"というような状態になったことは一度もない。特定のバカからコメントを頂戴した程度だ。まあ、炎上するほどにも有名ではないということで。わはは
 以前から何度も書いてきたように、自分の為に、自分自身で考える為に、書きながら考えるというスタイルでやってきた。
だからもともと決してblogを通じて友人募集、仲間募集なんぞする気はなく、"いいね"や賛同者の群れが欲しい訳でもなく、寧ろそういうのは面倒な訳で。。。ついでにどこの誰とも分からぬ糞バカと議論を繰り広げる気なんぞ毛頭なく(そもそも数行で本気で議論できるとでも思ってること自体にびっくり!?原稿用紙100枚-200枚くらいは最低だ)。わははははははははははは
 もちろん、近年は愚かな日本政府の所為で、人々に伝えたい、知って欲しいという想いも強くなったりしたのですが、そう思ったところで、誰にも伝わらないのも実情。もちろん、こんな糞blogでもわたしが思うより遥かに多くの方々に読んで戴いているのだけれど、実際のところ、それで社会が変わる訳でもないのは言うまでもない。
blogランキングなどというわたしらしからぬものに登録してみたのも、ただ少しでも多くの人々に伝えたいことが、気づいて欲しいことがあった所為なのだが。。。無駄な抵抗というやつで。。。わはは
 幾人か、こんなblogを通じて知り合えた貴重な方々がいるのも事実ですし、それはそれで良かったと思っているのだけれど、そもそも基本そんなスタンスなのでコメント欄には総じて意義がない訳でして。。。わはは

 ついでに言うと、そろそろ10周年。なにがって??(笑)
この日本永久脱出の旅も今年いよいよ10年が経ちます。blog自体はもう3代目で、最初は1999年くらいから始まっているので(so-netのバカが日本を出る為にプロバイダー契約を解約したら、必然的に有料会員から無料会員に変更されて、blogそのものは無料なのに、全削除しやがった。。。)もう18年というとんでもない長い歴史というのか??があるんですけどね。わはは

 ...そそ、それで、もうそろそろいいかな?と考えてる。
どうせ旅自体はアルゼンチンまで辿り着いた訳だし(まだしばらく続くことになるのだけど)、最近は特に日本批判に特化していて。。。けれど日本政府は、そして日本国民は一向に目覚める様子もなく(例のデモすら一過性のブームで)、反面教師ながら安倍晋三と橋下徹のおかげで、政治的な意識が芽生えるかと思ったが、相変わらず興味のない人間は興味のないままで。。。

 こともあろうか、このご時世にいい歳こいて、"政治のことは分からない..."、"政治には興味ない..."なんて、もう人間として終わっているというか、社会と断絶して引き籠って存在しているとしか思えないのだけれど、ついでに相も変わらず"仕事上、政治のことには触れない方がいいので..."という輩の存在も大きくて(そんなこと言ってる間にみんなで崖っぷちに立たされて"なんか崖に近づいてるなあと思ってたのだけれど、みんな誰も何も言わないから口にしない方がいいかなって..."なんてバカげたことになるのに)それこそ自ら進んで社会に"忖度"して、自分たち自身を自ら追い込んでいることに気づきもしない連中、いや、どんなに教えられても固執している連中のことを"気づきもしない"とは言えないな。。。そんな連中がそれこそ友人たちの半数以上を占めていることにこちらが気づかされる始末。。。。
 もうこうなったら罵詈雑言しか出て来ないな...と。

 まあ、また改めて報告しますが、そんなことを考えつつ、取り敢えず特に意味のないコメント欄はいらないか、という訳で閉鎖してみました。わはは
まあ、ホントにどうでもいいことなんでしょうけど。


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ごめんよ、アルゼンチン。 [Argentina 2017]

まあ、アレだ。

正直に告白してしまうが、アルゼンチンが嫌いだ。わはははははははははははははははははは

なんだ、この国わっ!?
いや、前言を撤回して置こう、アルゼンチンが嫌いなのではなく、首都Buenos Airesとそこに住む人々が嫌いなのだ。わはは
もちろん、Buenos Airesにもいいところはあるし、観光で訪れてそれなりにきちんとしたホテルに宿泊したらとっても気に入るかも知れない。
Buenos Airesにも素敵な人たちはたくさんいるし、わたしにも友人と呼べそうな人たちが何人も出来た。。。けれど、だ。
けれど、Buenos Airesはとても住みにくい。。。快適に住むことは難しい。
これからBuenos Airesの嫌いな点をどんどんあげてゆく。けれど本当にケースバイケースだし、人によりけりだし、何を求めるかにもよるだろう。
わたしの中南米の友人たちの中にはアルゼンチンが大好きという人たちがたくさんいるのも事実だ。
わたしも1-2週間なら友人たちがBuenos Airesを訪れるのをおススメできる。。。けれど本当にここは住むところではない。
少なくともわたしにはとても住みにくい。だからアルゼンチン・ファンの方はお読みにならない方がいいかも知れないと最初に断っておく(笑)。

これまでで嫌いな順位となるとChile1番、Argentina2番だな。(アルゼンチンにはかなり期待していただけにちょっとショックなんだけど。。。)

まず、この街と人々が、古き良きヨーロッパを自認し、誇りに思っているというのは何度か書いた。
けれど、申し訳ないけれども、わたしにはそんなものは何の価値もないし、どんな興味もない。わははははははは

実はここへ着いてすぐにBuenos Airesが嫌いだと感じたのだけれど、これからともかくも半年か1年以上長く住もうという街を嫌いになる訳にいかなかったので、なんとか好きになろうと努力してきたのだけれど、最近になってそれは無理な話だと認めざるを得なくなった。わはは

いや、別に何があった訳でもない。
以前にも書いたようにひとつには住宅の問題がもっとも大きい。市内でまともな住居を見つけるのは並大抵のことではない。こんな大都市(大きいという意味だ)でそんなバカなと思うが、本当に住み心地が悪い。

1).古い建物を保存する為に(政令で定められている)、慢性的な住居不足に陥っていて解決方法はない。
 古い建物は一部屋の大きさが天井、床面積ともと非常に大きくて、居住できる人数が極端に限られてしまう為だ。だから市内で勤める多くの人々が通勤に1時間半から2時間以上掛かる郊外に住んでいる。もちろん、水道設備なんかも古い。ボロボロだ。そして家賃も驚くほど高い。郊外の倍だ。ついでに言うと、それも関係してか、ホームレスの多さにも驚く。年齢・男女関係なく、子連れまでたくさんのホームレスが街のあちこちにいる。
2).賃貸の問題。
 多くの貸し部屋は、市内中心部では特に、女性は一人一部屋であるのに対して、男性は二人一部屋を常識としている。 (赤の他人と一緒に部屋を分け合う) また外国人にもアルゼンチンの居住VISAの提出やアルゼンチンでの給料明細提出を必須としたりするケースも多い。およそまともな賃貸は1年契約が最短であり、3ヵ月~半年での契約はなくはないが少ないし、碌な物件がない。家具着きの賃貸と言いながら、シーツや枕など(夏と冬)多くのモノを自分で用意しなければならない。中には家主(土地家屋所有者)と大家(貸主)に対しそれぞれ保証金を求めたり、3ヵ月から半年もの保証金を要求してくるケースも少なくない。契約家賃は公的に半年後には10%値上げされることが認められている(インフレの常態化によるという理屈だが意味不明。)
3).南米で一、二を争う大都市の癖に、停電が街の半分を覆うとか、水が止まるとか、そんなこと信じられない。この夏にはなんと数週間に渡って、Buenos Aires市内ど真ん中の半分近い部分が停電のまま過ごしたのだ。真夏の糞暑い真っ只中に、だ。全期間としては1ヶ月にも及んだだろう。少しずつ地域を移動しながら(出戻りもありだ)停電は数週間、この都市を襲い(慢性的な電力不足だと言うのだが)、バスは発車せず、スーパーから物がなくなり。。。一応はアルゼンチン危機も去ったというのに、このあり様だ。
4).そして先にも書いたが家賃が高い。わたしが払っているのは、居候1部屋借りで、月に500ドルだ。なんのサーヴィスもない。
 小汚い、片づけない大家一家が占拠しているボロアパートの、小さなたった一部屋で月500ドルだ。日本より高くないか??

ふたつめは、ややこしいポルテーニョ気質??とでも言うのか、甘えてる?甘やかされている??我が儘??Buenos Airesの人々に対する違和感だ。ちょっと信じがたいくらいだ。。。
 何度も書いてきたが、半数の人々はとても親切なのに、残りの半数と来たら殴りたくなるような不親切で無愛想な人間だということ。
勤務先ではみんなから敬意を払われているが、それにも裏表というのか?いや、扱いが難しい連中だということが分かってきた。(笑)
30-40代の男たちを仕事で叱ると、1人は拗ねて一日中口をきこうとしないばかりか、わたしの前から逃げ出す始末。もう1人は怒って?キッチンから走り出して、一時的に職場放棄??悔しくて泣いてたらしい。帰ってきても鼻啜ってたし。わはははははははははははははははは
で、呆れるのがその後、2人とも、年下の女性たちに慰められ、機嫌を取られているということ。アホか?? 子供か??
とても感情的なのだけれど、甘えてる?? わたしには理解不能だし、こんな男たちをラテンアメリカ14ヶ国、10年間で見たことがない。
またどういう訳か女性たちの中には、やたら権利意識を強く持っている連中がいて、職場環境について不平ばかり言ってる。社会主義者的思想なのか、それとも単に怠け者なのか??(わたしは権利意識については歓迎するタイプだが、不平不満の多いタイプはそれとはちと違うと思っている。)
 今の職場は、わたしから見れば信じられないくらいぬるい仕事だし、恵まれた環境なのに、文句ばかり言ってる。そしてすぐに辞める。。。信じがたいくらい毎月どんどん辞めてゆく。。。それも今日言って、突然、だ。
 トータルして、先に書いたように、甘えてるというか、甘やかされているというのか、嘗めてるというべきか、何に関しても被害者意識がとても強くて"悪いように"捉える傾向がある。ガキっぽいというべきか??被害妄想に近い。
職場にはまだ辞めたくてタイミング?(自分の転職先探し)を図ってる連中がゴロゴロいる。そんな連中は必ずと言っていいほど、わたしにレシピを訊いてきて控えようとする(次の仕事で使いたいからだ)。わははははは
 また食事ひとつにしてもそうだが、恐ろしく好き嫌いが激しいというが、これまた我が儘だ。もともと偏食のわたしが言うのだから間違いない。もうそれぞれの言うことに耳を傾けてたら、毎日同じものしか食べれない(だから連中は年中同じものを食べている)。アルゼンチンの食文化がどれだけ貧しいかまったく理解していない(不思議なのは、アルゼンチン人というと大の海外旅行好きなのに、だ。きっと出掛けた先でも食べ慣れたものしか口にしないのか??)
 わたしは面倒くさい人間関係が大嫌いなので(日本が嫌いなのもそこだ。笑)、こういう本当に面倒な野郎どもは相手にしたくないのだ。
 最初に借りたアパート(部屋借り)のオーナーはいい人だったが、その友人の糞女はとんでもない奴で喧嘩したほどだったし、現在のアパート(同じく部屋借り)のオーナー家族はもう揃いも揃ってホントにヘンコな糞野郎ばかりだ。(大阪弁。笑)このアパートの最大の問題はここの家族なのだ。だが契約は1年だから保証金は戻って来ないし、また一から借りるとさらに保証金を支払って1年契約を強いられる。そんなのはご免だ。

 だが本当に理解できないのは、これまで10年間ラテンアメリカ各地でホントにたくさんのアルゼンチン人(ポルテーニョ含む)たちと触れ合ってきた。みんな明るくて親切で、気心のいい連中だった。。。だのに、だ。だのに、アレはいったいなんだったのだ!? 旅行中だけいい人になるのか??
 ハッ、Σ(゚□゚;)←変換で出てきた(笑。初めてこのblogで顔文字を使う。)そうだっ!! そうなのか!? 日本人と一緒だ。わはははははははははは
日本人も旅に出るといい人モードになる!! わははははははははははははははは
いや、ホント絶対嘘だろ?と思うくらいこの10年間、旅をしている日本人は何故かいい人モードだった。。。嘘臭いくらい、だ。いや、きっと嘘なのだ。いや、なんていうか、旅先では心細さからか、日本人という村意識=同胞意識が出るのか、若者たちもみんな丁寧で低姿勢で。。。いい人モードだった。。。みんな、だ。。。それが旅行中にいい人モードになるだけなのか、それとも日本社会ではいい人モードでいられないのかは知らないけれど、本当に日本社会で見かけることのないような"いい人モード"オーラが全身から発せられている。気持ち悪い。。。わはははははははははははははははは

さらに3つめは、最初から書いてきたように物価が高い。異常だ。さらに食文化の貧しさからくる品不足だ。
 たとえば他の国々で普通に2-5ドルで見られるような中国製のプラスチック製品を中心とする雑貨日用品などがここでは7-12ドルする。ホントにバカげた話だが2-3ドルで買えるようなものは何一つない。食料品にしてもフルーツは軒並み他の国の倍から3倍だし、野菜にしてもかなり割高だし、どこも品揃えは悪い。まずい食パンなども3-4ドルする。恐ろしいのは家電製品、特にデジタル家電とでもいうのか、携帯電話からコンピューター、デジタルカメラなどは、他のラテンアメリカ諸国の1.5倍から2倍という高値だ。一眼レフカメラを盗まれたわたしは新しく買う必要があるのだけれど、600ドル相当のカメラがここでは1000ドル、800ドル相当のカメラだと1500ドルはする。携帯は詳しくないが、最低でも他の国の倍から3倍近くするらしい。安い買い物ならいざ知らず、高い買い物が倍というのは新しくカメラを買うのを躊躇してしまわざるを得ない。ワンクラス上の一眼レフが買えてしまう金額だからだ。
 食文化の貧しさで言えば、ここでは大型スーパーへ行っても、フレッシュのオレガノ、タイム、ローズマリーなどの香草は一切売っていない。バジルをごくたまに見かけるけれど、それ以外は一度も見たことがない。んなもの、雑草の世界だと言うのにだ。例えばパスタ用のレトルトソースだって他とはまた随分と違うミートソース2種とクリームソース1種など3種類ほどあるだけで貧相なこと。バジルソースなんてほとんど見かけたことがない。これが国民の半分がイタリア系移民で残りの半分がスペイン系だとは信じられないほどだ。ナチュラルヨーグルトは小さな一食用が、たった1箇所CallaoのスーパーCotoにしかなく、市内にたくさんある同じ大型スーパーにも、他の大型ショッピングセンターにも何処にもない。
 今月初めからわたしは延長コードを探しているが未だに見つからない。売っているのは6-8ヶのタコ足配線用の延長コードというより分電コードばかりで単に1本のシンプルな延長コードはどこにもない。。。(分電コードは30ドルくらいするし、そもそも長さは大してない。)
 前にも書いた通り、アルゼンチン製のパスタはマズくて食えたもんじゃないし、かと言って輸入物のパスタ(他の国々ではパスタの大半は輸入品だ)もまた他の国の倍以上する。乾麺のスパゲティ一袋に6ドル-8ドルなんて払いたくもない。ピザだってうちの店のコックたちが美味しいという店で食べたけれど、なんか違う。Menuの中身が微妙に貧相だ。。。インド料理レストランは信じてもらえないと思うが甘い。。。激辛で注文したのに全然辛くない。美味しいフランスパンはないし、アルゼンチン珈琲はマズいのでコロンビア珈琲を買っている。
 アサード(アルゼンチン炭火焼き肉)は期待したほどではない。何しろ焼すぎだ。ミディアムなんて存在しない。(ダイナミックに大きな塊で焼くので自分だけミディアムなんてことは難しいし、みんなウェルダムしか食べない。美味しい肉も台無しだ。わはは)

 ついでに言うと冬が厳しい(らしい。。。)。。。なんと8月(南半球だからね)には平均最低気温が5℃くらいらしい!!
こないだ朝8度だったらしい。。。ひー。。。
もうラテンアメリカ常夏の10年間の生活ですっかり寒さに弱くなってしまった。。。それに寒くなると衣類とか色々買わないとね。。。ひー。。。

4つめ...  おまけに(まだあるのか!?笑)、言葉の問題も少なくない。本当にPorteño(Buenos Aires人)たちの話す言葉は標準スペイン語(Castellano)でないばかりか、如何なるスペイン語とも異なる。語録がまったく異なるのだ。同じ意味を表すのに使用する言葉が他の中南米諸国とは抜きんでて異なる。その所為で彼らが何を喋っているのかいまだによく分からないし、彼らの方でもわたしの言っている言葉が何を指すのか分からないなんてことがしょっちゅうある。これはわたしのスペイン語能力の問題ではない。アルゼンチンで生活するにはアルゼンチン語を学ぶ必要があるのだ。どこの国でも多少は異なるし、比較的教養のない人々が話す下町言葉みたいなものは本当に分からないものが多いけれど、ここアルゼンチンでは教育があるないに関わらず、お店の看板から商品の名前、使用する動詞まで独特で辞書の使用例にはないものばかり並ぶ。
 コミュニケーションが十分に取れないというのはいつだってストレスだ。アルゼンチン語はホントに変わっていて、他の追随を許さない。わはははははは

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 こういうすべてがわたしをBuenos Aires嫌いにさせている。ひとつやふたつなら、我慢できる。なんてったって中南米14ヶ国で生活してきたのだ。ないものだらけの国々で生活してきたのだ。最初はないものだらけのCubaから始まったのだ!!(笑)
 そもそもわたしは日本食なんてなくたって、洋食だけで十分生きてゆける。美味しいフランスパンと珈琲、それとカレースパイスだけは必要だが、それらもどこの国でも大抵は入手できたから問題はなかった。ここへ着いてから、日本食材店でわたしは色んなものを買っているけれど、もしもその1店舗がなければBuenos Airesはないものだらけで食べるものに困ったろう。たった1店舗に支えられている。中華街でも少しは売っているが、基本的なものだけで、お寿司は出来ても、他にめぼしいものは蕎麦くらいしか売ってない。わたしがこんなに日本食に頼っているのは、それしかないからだ。それ以外は肉を焼いて食う、それしかない。(美味しいんだけどね)。ここへ来てからパスタは最初に何回か作ったきりで、もはや作る気もしない。(※なにしろ、蕎麦が10束で10ドル、讃岐うどんが5玉で10ドルなのに、普通の乾燥パスタ400gに7ドルも払う気になれないのはご理解いただけるだろう。)

 Buenos Airesに、もし日本食材店Nueva Casa Japonesaがなければ、ここは中南米14ヶ国でも食料品の豊富さでは最低ランクの国だ。あのないもの尽くしのNicaraguaと並んで遜色ないほどだ。今はEcuadorが輸入規制でほとんど輸入食材が品薄なので、最低ランクは同率Ecuadorということになるだろうけれど(Hondulasはほとんど知らないと白状しておく)、ついこないだまではBuenos Airesよりもっと豊富だった。だがそのEcuadorですら美味しいフランスパンはあるし、珈琲も美味しい。インド料理はきちんとしているし、美味しいピザレストランだってある。変な話、Costa RicaのPuerto Viejoは海岸しかないどんな産業もないホントの村だけれど、(日本食材店を除けば)それでもここBuenos Airesと大して変わらない程度には入手できる。中南米の中では物価は高い方だけれどBuenos Airesに比べたら安いもんだと言える。

 もちろん、冒頭に書いたように、Buenos Airesにもいいところはあるし、それなりにきちんとしたホテルに宿泊して、観光で数週間訪れるなら、とっても気に入るかも知れない。キッチン付きなら尚いいだろう。。。けれど住みにくい。。。外国人観光客は多いのに、他の中南米より居住している(欧米)外国人は少ないように思えるのはそういう理由があるのかも知れない。ここで見かける外国人は南米諸国が中心だ。それとユダヤ人(正統派=原理主義者)のとても大きなコミュニティがあって、よく目立つ彼らを目にしない日はない。
  何度でも言うが、売りは"古き良きヨーロッパ"だ(笑)。Buenos Airesにも素敵な人たちはたくさんいるけれど(最大半数まで。苦笑)、Buenos Airesで快適に住むことはそれほどまでに難しいと思われる。けれど本当にケースバイケースだし、人によりけりだし、何を求めるかにもよるだろう。何度でも書くが、肉は中南米で他の国々とは比較にならないくらい美味しいし、ハムやソーセージ、チーズ、ワインも豊富だ。演劇が盛んで、タンゴ好きにはもちろん、ArgentinaとUrguayだ。
 アルゼンチンの愉しみ方は、寧ろBuenos Aires以外の地方にある。地方で雄大な大自然を堪能して、首都Buenos Airesで古き良きヨーロッパの雰囲気を束の間楽しむなら、アルゼンチンは最高の訪問地であるかも知れない。ちなみにアルゼンチンのおねーちゃんたちは平均的にとてもスタイルがいい(顔はそれぞれ人の好みがありますから)。ラティーナとお知り合いになりたい男性諸氏にはそれも魅力かも知れません。わははははは

 ...とまあ、そんな訳で(笑)、もうすっかりBuenos Airesに嫌気の差したわたしはいろいろ考え中。。。
どうしたってカメラは必要だが、倍の値段を出して買うのはバカげている(それならもう少し我慢して他国でワンランク上のカメラを買いたい)。それに週4日だけのぬるい勤務でそれなりには稼がせて貰っているけれど、この物価の高さでは一ヶ月に500ドルほど貯金するのがやっとだ(不快な住まいを我慢して、だ)。他の国なら月1000ドル以上は貯金できることを考えたら、ここで1年働くのはどうにも間尺に合わない。それなら週5日、週6日働いてでも、もっと稼げる国で1年働いた方がずっと効率はいい。
 ...とは言え、引き受けた以上、まだしばらくは今のレストランで仕事しないと...だ。ひー。。。
いつまで??(笑)

 アカン、アカン、まだまだ働かなアカンのに、こんなに嫌いな点ばっかり書き連ねたらますます嫌いモードになる。わはははははははははははははははははははははははははははははははは

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先日の書き漏れ(北朝鮮を巡るシナリオ) [Argentina 2017]

先日、ひとつ書き忘れたことがある。(ん!? どうでもいい??笑)


北朝鮮がすでに核兵器を所有していると仮定するならば、何も米国と挑発を繰り返す必要はない。


そもそも考えてみればいい。

核兵器のある軍事施設を空爆したら?どうなる?? わはははははははは

笑えないが、そういうことだ。

イラク空爆時はイラクが核兵器なんぞ保有してないことは自明の理だったから、空爆できたのだ。

もしも北朝鮮が核兵器を保有しているなら、そして核兵器の保管されている軍事施設を空爆したら、それは未曾有の大災害となる。米国のようにある程度孤立している訳ではない。ロシアのように広大な国土を有している訳ではない。

もしも北朝鮮の保有する核兵器を空爆したら、中国から韓国、日本、一部ロシアに至るまでとんでもない被害を被ることになる。

だから本来なら北朝鮮政府は米国に対し先制攻撃などという愚かな挑発を繰り返す必要はまったくない。


ただこう宣言すればいいだけだ。


"愚かな米国とその同盟国よ、聞くがいい。我々は保有する核爆弾を米国ならびにその同盟国が空爆を加えるであろうと想定される場所と各国の国境付近に振り分けて保管してある。空爆を加えるなら、してみるがいい。その被害は我が国のレベルには決して留まらず、地域全体を汚染し、我々を陥落せしめようと考えた愚かどもたちを道連れにするであろう。無論、それらは自爆装置も備えている。"と。


そう宣言されたら。もはや米韓日本には手も足も出ない。

それはまさに地域全体に取り返しのつかない甚大な被害を与えることに繋がるからだ。


だがそんな宣言をしないのは、核なんぞ持っていないからだ。

実験は試みたが、まったく成功していないのだ。

下手すると、ただの張り子の実験である可能性すらある。


かつて金日成時代、パレードで行進に使われたミサイルが張りぼての作り物だったことは有名だったのに、それ以降より苦境を舐め続けてきた経済破綻の極みにある北朝鮮政府がいったいどうして核開発などできるというのだろう?




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安倍晋三の支持率が上がっていることに疑義を差し挟む連中はいまだに存在する。。。
もはやそれは事実なのだと受け入れなければならない。
事実を受け入れずに対抗することはできないのだから。。。




いずれの国にせよ、戦争の危機が迫ればタカ派の支持率が上がる。トランプですらシリア空爆で支持率を取り戻すのだ。
戦争の危機が迫っている(と喧伝される)時に、ハト派を支持する国民は少数派だ。そんなことは当然だ。
だからこそ政府は必死になって、戦争の危機を煽るのだ。
もちろん、メディアの手を借りてだ。
危機が現実のものになれば政府はもう大喜びだ。ハト派が顔を出すのは、戦争が長引き、落ち着きを見せ始めた時だ。それまではタカ派が支配する。
国民はすべて危機感に煽られる。本気にしていても、していなくても、だ。
現実には起こらないだろうと思っていても、万一のことがあった場合にと考えて、タカ派を黙認してしまう。
我々の側は自分たちが少数派なのだという事実を肝に銘じて社会を見据えなければならない。




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2つのシナリオ [Argentina 2017]

 先日書いたフランスの第一回大統領選挙結果はマクロンとルペンが勝ち上がったということで、メディアではもはやマクロンの圧勝と書かれている(第一回投票前の事前アンケートで、すでにもし決選投票でふたりが選ばれた場合はどちらに投票するかという結果が出ていた)が、どこまで接戦となるかは別にして決選投票でのマクロンの勝利は我々の理想や希望も含めて確かなように思える。(極右との二者択一ならフランス国民はその対抗馬を選ぶだけの良識を持ち合わせているはずだという図式)
 もちろん、それが万が一にも51:49になるようなら、やはりそれは多数決主義の弊害であることは論を待たない。
ただEUを中心に加盟各国はホッとしているし、ともかくも英国は5月のフランス決選投票を待たざるを得ないが、それでもEU崩壊のシナリオは描き損ねたとするのが一般的な予想だ。あとは6月の英国国民の独自の判断によるだけとなった形だ。保守党の勝利は動かないにしても議席を増やせるかどうかは相変わらずわたしは疑問だと考えている。(もっともわたしは予想屋ではない。笑)

さて、そんなこんな世界の動きを眺めながら2つのシナリオに気づいた。
正確に言えば、2つのシナリオの可能性があるという事態についてだ。実現性は保証しない(笑)。可能性の世界だ。

ひとつはEcuador経済危機、そしてもうひとつは北朝鮮危機についてだ。

Ecuador経済危機については、コレア前大統領の子分であるレーニンが大統領になる以上、シナリオとしては中国支援が決定的だと思っていた。場合によっては最悪中国通貨ウォンの導入というやつだ。だがもうひとつのシナリオの存在に気づいた。それは根本的な解決にはならないけれど、ウォン導入の為の準備にはなるかも知れないし、一時的な国庫の助けとなる可能性はある。
 それは自国通貨スクレの復活だ。かつて2000年までEcuadorは自国通貨スクレを持っていた。当時の大統領ハミル・マワがドル化政策に舵を切った訳だが、もちろん、それはスクレの信用失墜によるものだった。今回はそれを逆手に取る作戦だ。同じように現在もEcuador経済は破綻の状況を示しつつあるけれど、ドル経済である以上、そしてIMFなどに対する国際借款がない以上、破綻が表面化しにくい。自国通貨を持っていればとっくに破綻し、ベネズエラのようにハイパーインフレと決定的なモノ不足に陥っているはずだが、ドル経済はそれを顕在化させにくい。だが顕在化しないことには荒治療もできないのが実情だろう。

 シナリオはこうだ。。。或る日何の前触れもなく、非常事態宣言と共に、Ecuador国内のすべての金融機関窓口が数日に渡って閉鎖される。
そして自国通貨スクレの導入が発表され、すべての口座預金は(政府の指定した換金率で)スクレ化されてしまう。政府は極秘に印刷しておいたスクレを金融機関に引き渡し、強制的にドルを徴用する形だ。
 もちろん、通常で考えれば、すぐにスクレは暴落する。国民の預金は紙くずとなり、国内はハイパーインフレに見舞われるが、国庫は取り敢えずドルで満たされ、金準備金として蓄えられる。ハイパーインフレがどう動くかはやってみないと分からない。
 そしてハイパーインフレが頂点に達したと判断されたところで中国ウォンの導入となる。もちろん、再びウォンとの交換換金率は政府指定となるから、富裕層を中心とする国民の懐は空っぽとなる。そしてウォンの導入で徐々に落ち着きを取り戻してゆくというシナリオだ。それは中国にとってもドルから直接ウォン経済へ乗り換えるより容易いし、国民にも最後の唯一の解決策として導入を理解されやすいだろう。もちろん、国民は反大統領で団結し、レーニンは解散を余儀なくされるだろう。だが非常事態宣言はどこまで有効かは分からないが、暴徒を武力で抑え込むことも一時的には不可能ではないだろう。
 だがもし解散退陣に追い込まれようと、そんなことコレアにしてみればなんでもない。寧ろ、自身の責任論は棚上げして、混乱した社会を取り戻すと予定より早く再登壇することも可能になる。ひょっとするとコレアによって解決策として、ウォンが導入されることになるかも知れないし、富裕層の蓄財を吐き出させ、懲らしめる為には必要な荒療治だったのだと屁理屈をこねるかも知れない。選挙なんぞ不正を行えば、どんなことでも可能だ。
 もちろん、ハイパーインフレで経済破綻が表面化した時、西側国際社会(未だにこんな言い方が罷り通るのかどうか知らないが)に支援を求める道もないではない。だがコレアを後ろ盾とするレーニンがそれを選択するとは考えにくい。

 ベネズエラの現状を見ていれば分かるが、中国の援助だけでは国を立て直せないことが明らかになりつつある。スクレ・ショックに続く、ウォン・ショックという二重の荒療治によって、富裕層の蓄財を取り上げ、清算し、あまつさえ早期の再登壇をと図るシナリオだ。そんなシナリオ通りに事が運ぶ保証はどこにもないが、他にどんな方法も持たないEcuador政権にとってはそれもひとつの選択肢だということだ。
 原油価格の上昇以外にどんな解決策も示し得ないEcuador政府にとっては、時間稼ぎ以外にどんな政策もない。時間を稼ぐ為にも、或いは次の一手を打つ為にも、その準備としての自国通貨復活は"泥棒政策"として唯一の選択肢となるかも知れないという可能性だ。

さて、次は北朝鮮危機だ。

全般的にはつい先日書いた通りだ。
"後のことを考えたらとてもそんな混乱を処理する能力なんぞ何処の国にもないので、押しとどめられてきた"、"北朝鮮の崩壊後の未曾有の混乱はどの国家にも対処しきれないものとなる。以前にも書いたように、韓国はどんなに併合を望んでもそれだけの経済的余地は持ち合わせていないし、中国が併合を望めば、新たな火種となるしかない。ロシアが国境の安全性を理由に一部を併合支配する可能性も決して薄くない。"、"新たな国境線はピョンヤンを巡る新たなベルリンの壁を生み出すかも知れない。"という見立てに変わりはない。

けれど、もう一歩突っ込んでみれば、北朝鮮の不可欠性はさらに重大な意味を持つ。

上に書いたように、北朝鮮は韓国(=米軍)と中国、ロシアに楔を打つような形で存在する。北朝鮮が消滅するようなことになったら、この3国は国境を接することになるというのは避けられない事態だ。
 中国もロシアも共に、両国の国境が接することは望んでいない。それは両国にとって新たなより大きな問題を抱え込むことになるからだ。況してやロシアにとっては首都から遠く離れた辺境の地だ。そこでの問題はとても厄介なものとなる。
 韓国(米国)にしても中国やロシアと国境を接するなんてもう本当に願い下げだろう。
難民の流出、流入のみならず、スパイ工作の激化や国境紛争の発生などを考えると、どうあっても北朝鮮はそこに存在しなければならない国なのだ。中身なんぞどうでもいい。どんな体制でもいい。北朝鮮国民などどうなろうと知ったこっちゃないから、米国を含む周辺国の思惑としては、ともかく中国でも、ロシアでも、韓国=米国でもない、独立した国家としてそこに存在し続けることに意義があるのだ。

 だとしたら、いったいどんなシナリオが存在するだろう。
もちろん、金正恩の退位は避けられない事態となりつつある。それは彼自身が招いた事態だ。彼がこの力関係を理解していれば、ただ援助を求めるだけで良かったかも知れないものを(援助合戦すら考えられた訳だ)、それをまったく理解しない彼は(彼とその先代たちは)各国に対して敵対行動ばかり取ってきた。もはや後戻りが効かないほどに、だ。

 三竦みの中で、一番手を出しやすいのは中国だろう。金正恩が同盟国として中国に軍の派兵を依頼すれば、中国は堂々と平壌へ駐軍できる。もちろん、ロシアも韓国も歓迎はしないし、非難声明を出すだろうが、そうやって金正恩の首根っこを抑えて、彼の退位まで十年掛けてでも追い込んで、新しい体制作りをし、その後に撤退するというシナリオを三国(韓露米)に対して明示できれば、文句は言っても指をくわえて手出しせずに見ているしかない。もちろん、その後の体制は親中国、或いは傀儡政権ということになるだろうから、火種は尽きないけれど、ともかくもこの核騒動と危機は収めることができる。
 問題は中国の取り組み姿勢だし、そもそも北朝鮮政府からの要請なしには機動し得ないという点だ。
その為には北朝鮮にプレッシャーを掛け続けることしかないが、そこで厄介なのは北朝鮮の核保有幻想を周辺国がよってたかって(韓国、米国、日本)現実であるかのように仕立てあげてしまったことだ。北朝鮮はその幻影に乗って虚勢を張っている。

どういう訳だが、本当に始末が悪いけれど、中国政府は北朝鮮の核保有を容認しないと何度も発言しているにも関わらず、米国に支配された国際メディアはそういう発言を大きく取り上げない。すなわち核はまだ保有されていないということだ。米国も何度か政府関係者が似たような発言をしている。北朝鮮が核攻撃能力を保有したと判断した段階で北朝鮮は終わりだ、というような発言か先日もあった。(改めて探してみたが見つからなかった)。。。そもそも、1998年、パキスタンが核実験を公開した時、世界は事実上その最初のたった一発で(連続して行われたが)、パキスタンを核保有国と認め、即日と言ってもいいくらい直ちに、核不拡散条約への加盟すら求めた。北朝鮮が本当にすでに核開発に成功しているなら、曖昧なまま何度も核実験を繰り返す必要などない。ことは自明ではないのか?。。。張り子の虎を膨らませるだけ膨らましてもはや後戻りが効かなくなってしまったのだ。だからあちこちでチグハグな発言が漏れる訳だ。
 ※当時、一部の扇動家たちが、パキスタンの核実験は北朝鮮の核の代理実験だとまで主張したが、ならどんな理由があって、2017年の今になっても北朝鮮は核実験を繰り返すのか?(笑)

 この架空の核の脅威は、米国、日本、そして北朝鮮の三者にとって、とても有意義な構図だった。北朝鮮はいまだに国際社会が核保有の幻想を信じていると確信しているようだが、もちろん、米国も日本政府もそんなこと信じちゃいない。信じているのは日本国民だけだ。(どうやら韓国ですら信じちゃいない様子だというのに。)だが今更、米国は北朝鮮は核なんぞ持っていませんでした、とは言えないのだ。もちろん、その陰で時間稼ぎをしながら北朝鮮はなんとかしてホンモノの核を保有しようと必死に核開発を進めているが未だに成功していないというのが実態だろう。だが北朝鮮政府が自分たちのハッタリが世界に通用していると考えている限り、上のシナリオにあるような形で中国に軍隊の派遣を求めることなどないのが実情だろう。それがこのシナリオの実現を妨げている。
 
 それはともかくも北朝鮮が存在し続けなくてはならないという構図は変わらない。あとは北朝鮮内部での軍事クーデターの可能性だが、これもまた金正恩の度重なる粛清で、その芽は摘まれ続けてきた。外国政府と接触した者は直ちに疑いを向けられるので、スパイ活動も個人単位ならいざ知らず、軍隊を動かすまでのスパイ工作が成功する確立は現在のところ見込めないでいる。そもそもどの国(米国、ロシア、中国)の支配下でクーデターが行われるかでその後の他国の反応と危機の構図は大きく左右されるから、それもまた各国が牽制し合い二の足を踏む材料となっている可能性がある。誰も新たな危機の構図を自ら率先して創り出したくはないのだ。
 もはや米中ロの三国が金正恩と直接会合を持って、彼の王国を認めてやる代わりに一切の敵対行為をやめろと説得するしかない。ところが、そんなことは韓国政府と国民が絶対に認めようとしないし、おまけに米国は日本から駐留軍隊を撤退しなければならないハメになる。或いは中国の危機を煽るかだが、相手はデカ過ぎるに、国際貿易上、もはや中国は巨大な取引相手の化してしまった。それに金正恩がいつ密約を公表しないとも限らない。それほどまでに信用するに値しないとみられているはずだ。

 そんな訳で北朝鮮に関するシナリオはどれも実現は難しい。。。
一旦、戦闘の火蓋が切って落とされれば、金正恩に最後まで付き従う北朝鮮軍の兵士はほとんどいないと思われる。本格的な戦闘行為は3日ほどで終わる可能性すらある。
 けれど本当にその後が問題なのだ。そうなった場合、一番可能性が高く、もっとも周辺国の思惑に合致しているのは、米韓軍の空爆開始からほどなくして、完全落城前に、中露が待ったを掛けて、金正恩を保護=軟禁してしまうことだ。その上で北朝鮮のその後についての話し合いを金正恩抜きで4ヶ国が話し合い、平壌付近までを韓国に併合し、平壌以北を中露の管理管轄区域としたのち、武装解除・放棄の小国として北朝鮮を存続させ、金正恩に統治させるというような形だ。韓国の南北統一という悲願は達成されないから韓国はまだまだ納得しないだろうけれど、人々の移動を含め、離散家族の移住は果たされることになるだろうし、北朝鮮がゆるい社会主義国家として韓国に対しても開かれた扉を持つ国となるならば、(政府にとってはとても厄介な存在の)韓国国民はともかく、韓国政府としても不承不承でも条件を呑まざるを得ないだろう。

 ちなみに金正恩がこの後に及んで、日本を名指しして危害を宣告するのは、従来の日本政府の及び腰を知っている所為で、脅せば日本政府が米国政府に取り入って危機を拡大しないように取りなしてくれると考えている節がある。安倍晋三が底抜けの(想像力の欠如した)極右だとはまだ信じられないのだろう。今一つは万一、攻撃せざるを得ないとしても日本なら韓国の宿敵でもあるから、韓国政府は過剰には反応しないはずだという微妙な読みすらあるかも知れない。自国の本気度を見せつけるだけの目的なら、韓国本土に一発ぶち込むと脅すより日本を脅した方がリスクが少ないという考えだ。もちろん、米軍の存在が大きく影響しているのは事実だろうけれど、なんと言っても韓国国内にも規模はやや小さいながらも駐留米軍はある訳で、本気で戦争を始めるならまず最初に韓国国内の基地を叩くのが常識だ。正確に届くかどうかも分からないようなミサイルを沖縄に向けて発射するよりも、韓国国内に一発(もし原爆を持っているなら原爆を、だが)落とせば、ひょっとしたら状況が一転するかも知れないと彼が考えるのは道理だろう。もしも彼らが本当に核兵器を開発済みだというなら、余計な脅しは不要だし、米国と雖も不用意に恫喝したりはせずに、懐柔を試みるものだ。

 だがメディアは誰も北朝鮮は核なんて保有していないとは言えない。。。万が一の時にそんな責任は負えないと考えるから政府広報を垂れ流すのが一番の責任逃れなのだ。それになんと言っても時間稼ぎの傍らで北朝鮮は核開発を進めたいと望んでいる。その可能性はほとんどないと思われるが、それでも明日成功する可能性はゼロではないとしたら(わたし個人の見解としてはゼロだと言っておくが)、メディアとしてはそれを発信するのは相当の覚悟がいる。すべての情報は米国諜報部から齎される。独自に観察・収集したものはなにもない。米国筋から北朝鮮が核開発をしていると言われれば、それを否定できないし、北朝鮮が核兵器を持っていると言われてもそれを否定できない。北朝鮮が大陸間弾道弾を完成させたと言われればそれを信じるしかないし、北朝鮮が水爆を持っている(核保有の後に出てきた情報としてはおかしくはないか?)と言われれば、それを信じるしかない。
 すべての情報ソースは米国衛星情報を解析したという米国諜報機関なのだ。
そんなものに振り回されているのだということだけは100%真実だということ。

 何を信じるかは個人の自由であり、個人の責任だ。信じるということには少なからず責任が伴う。
人々は政府見解を信じた方が"自分は騙されたのだ"と言い訳できると思うようだが、そうではなく、責任は同じだけある。
 敢えて言うならば、わたしは信仰の自由よりも、思想・思考の自由を選ぶ。
単に"誰かや何かを信じる"よりも"自分自身で考え"辿り着いた結論を信じるということだ。

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