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Jazzとの出逢い その1.?? [Jazzとの出逢い]

エクアドル65日め(脱日本1357日め)・・・11.Enero de 2011 (本当のViernes)


  そんな訳で、本日金曜日を土曜日とすっかり勘違いしていて半日を棒に振ったわたしです←アホ。。。
それも昨日(木曜日)からずっと勘違いしてた様子。。。なぜ??(笑)
で、ゴミ出すのも間違えておかしいな~と思いつつ、午後になっても昼飯も食わず、本を読んでいて・・・電話でふと気づかされる、あっ!!マジで!?金曜日??うそん!?ほんでか??・・・と色んなことに納得しつつ、だとしたらNotaria(司法書士事務所)開いてるやんけっ!!と駆け出す。。。

 というのも、昨日も書いたように日本から証明書類は届いたものの当然日本語。。。そんなものEcuadorの政府機関に提出しても誰も読めない。。。ということで翻訳が必要。。。翻訳そのものはいろいろあるけど不可能ではない。だが問題は翻訳が正しいかどうかという証明。。。そんなもの誰がどうする??。。。という訳で、こういう各種翻訳書類は司法書士事務所で公証を貰わなければならない(日本国内でも外国文書は同じ手続き)。。。だがどうやって?司法書士事務所ったって日本語分かる奴なんて誰もいないのに。。。
 そう、これがまたバカげたシステムなのだが(日本でもまったく同様、世界共通)、翻訳者自身が公証役場へ出向いて、"(例えばスペイン語に堪能な)わたしがこの文章を間違いなく翻訳しました"と宣誓する訳だ。翻訳家に頼むこともできるが、そんなことしなくても、自分自身で翻訳して、自分自身で宣誓するだけで足りる。。。なんてバカげてシステムなんだ??(※だからその後、弊害が出て、法廷闘争などになった場合に、初めて証明書の翻訳が正しかったかどうか、そしてそれが虚偽の翻訳であった場合は、そこでさらに罰則が加担されるという理屈だ。)

 で、そんなバカげた手続きのために、Notariaへ。。。(※前にも訪問して手続きについて問い合わせ済みだった)
ところが・・・、前回と同じ担当者でわたしを覚えてもいるのに、"アポスティーユapostillが必要だわ"などと抜かしやがる!!バカ野朗!!
アポスティーユというのは、上に書いたようにこんなシステム誰でも悪用できるので、日本国内の外務省・各国大使館に出向いて、ちゃんと両国語が話せる(翻訳)できる人に"付箋証明"というのだが、お墨付きを貰うこと。但し、これは日本国内でしかできない。Ecuador国内の各国大使館でも実質は同じことが可能なのに、それは認められておらず、そのお墨付きを付与することができるのは、日本国内の外務省・各国大使館・領事館のみらしい。。。
 バカなっ!そんなこと今更もう一度、日本へ書類を送って、外務省またはエクアドル大使館まで出向いて(誰が??)、アポスティーユを得るなんて出来る訳がない!!でわたしが"そんなことは不可能だ。第一、前回そんなこと言わなかったじゃないですか。今更そんなこと言われてもどうしようもないです。"と丁寧に、そしてちょこっと威圧する。わはは
隣りから何事??と顔を出した同僚も"アポスティーユはすべての書類に必要よ"なんて抜かしやがる。。。
だが肝心の司法書士が居ない(昼休憩)ということで"40分待って!"と言われる。。。

 で、戻ってきた司法書士と相談したようだが、結局何事もなくOK♪ホッ♪
またそれからダラダラと1時間くらい待たされてようやく完了~♪
ふぅ~っ。。。いい加減にしてくれ。。。
これであとは月曜日の犯罪証明書を待って、ホテルに届けにゆくだけ。。。
後は弁護士の仕事。。。あの弁護士ちゃんと仕事しろよ。。。。

 昼飯も食わないまま、終わった時刻は午後5時でしたよ。。。おまけに。。。
途中で雨が降り出したのは知っていたのだが・・・

ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ、洗濯。。。
びしょ濡れ。。。ひーん。。。どぼちょ。

 

---------本日のBGM番外編(ナニそれ?笑)---------------


 やっぱりどうしても書いておきたいことってのがあるもんだ。。。
って、いや、とっても個人的な想い出の話(笑)。
わたし以外のいったい誰にこんな話が意味を持つ訳でもないだろう。
だからこれらの文章は、他者にとっては或る種の"自己紹介"として以外の意味を持つことは難しいだろう。
だから別に読まなくったっていい(すべてのこのblogにある大量の文章と同様に、だ。笑)

 実はこれらは消されてしまったわたしのJazz専用HomePage "Outbreakin' Jazz"に30ページくらいのエッセイのようにして書き連ねてあったものだ。勿論、残念ながらカナダ初日でPCがお釈迦になった所為で、わたしの手元にはもはや何のデータも残っていない。(※IDや passwordもPC内に保存していた所為で、それらをダウンロードして再取り込みすることさえ出来なかった。)
 そんな訳でこれは新たに書き起こすしかなかった訳だが、とは言え、別に難しいことでもなんでもない。今でも色褪せることなく記憶に沁み付いている13才のわたしとJazzとの始めての出逢いの瞬間の物語だからだ。。。

ここに30ページすべては書かないから安心していいが、相当長くなることだけは間違いない。
だから興味の持てない人は読まなくていい(できるだけ正確に、面白く書くつもりなのだが・・・)。

 12~13才当時、わたしは映画と映画音楽に夢中だった(勿論、読書にも。笑)。。。前にも書いたようにアイドルはアラン・ドロン、チャールズ・ブロンソン、ジャン=ポール・ベルモンド、ジェームズ・カーン、フランコ・ネロ、ショーン・コネリーなどだった♪そして自宅にあった映画音楽大全集という12枚セットのLPを何度も何度も聴いていた。。。

 少し遡れば、わたしだって、小学4年生までは人並みに日本の"歌謡曲"というやつを聞いて育った。だがその頃、正確には何が最初だったかもはや思い出せないのだが、おそらくTVで生中継で放送されたElvis Preslyのハワイコンサートを観たのが最初じゃなかったろうか?それ以降、3つ年上の姉と親戚の兄がいろんな洋楽を聴き始めた所為もあって、Elton Johnの"Crocodile Rock"やGilbert O'Sallivanの"Alon again"、Carpentersの"Top of The World"、前にも書いたことのあるMichel Polnareffの"シェリーに口づけ"や"トランペット"お馴染みBeatlesなどが耳に入ってきはじめた訳だ。だがわたしがとっても好きになったのはそういう姉の趣味とはちょっとズレて、小学校の悪友の家にあった(笑)同じようにそいつの姉貴の持ち物であるSuzi Quatroの"Can the Can"やRolling Stonesの"悪魔を憐れむ歌"だった。(勿論、Elton JohnやGilbert O'Sallivan, Polnareffなんかも嫌いじゃなかったけれど)。
 なかでも"悪魔を憐れむ歌 Sympathy for the Devil"は"デビルマン"世代だったわたしたち小学生にとってはタイトルの刺激さもさることながら、<その曲を聴いて自殺者が続出!!>という衝撃的なコメントでわたしとその友人を魅了した♪おまけにその音楽ときたら、デダシからなんかフューフュー叫んでいて、奇妙で、歌謡曲やRockと言っても、もっとメロディアスなものしか聴いたことのなかったわたしたちには"歌"という感じじゃなかったから、相当なインパクトがあった。わははは♪一方、皮ジャンのつなぎを来たSuzi Quatroは(素肌に皮ジャン一枚だけという噂だった)思いっきりエッチなマセガキだった小学生のわたしを異常に興奮させた♪わはは。

※いまでも当時のSuzi Quatroの曲は好きですよ♪(くそRockやけど。笑)
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 だが当時の小学生と言えば、英語なんてthis is a penとi love youしか分からない(笑)英語の歌詞なんてさっぱりだし、歌うこともくちずさむことも出来ない洋楽に少しずつわたしは厭きていった。。。それにclassicギターを習い始めたわたしは例のel-guitarのサウンドが嫌いになってしまった。。。友人たちは再び、歌謡曲へ戻っていったようだったけれど、とにかく"背伸びしたいタイプだった"わたしは"もう日本の歌謡曲なんて金輪際聴くものかっ!後戻りはしない!"とばかりに宣言した(小学5年生の春)。わはは
 でそれ以降、TVの洋画劇場に齧りついたり、ちょうどリバイバル・ロードショーされた"007ロシアより愛を込めて"を映画館に観に行ったりしながら、映画音楽にのめり込んでいった。大半の映画音楽はインストゥルメンタルだったし、その音楽は歌謡曲よりずっと刺激的でカッコよかった♪(笑)
 
 で、中学1年の冬、まもなくチャールズ・ブロンソンの"狼よさらば Death Wish"が公開されるというニュースが飛び込んできた♪
で公開に先駆けて、原作本が出版され、同時に映画のサントラLPも発売された。早速わたしは原作本を買って読み、おかしなことにまだその映画音楽を一度も聴いたこともなかったのに、"いいに決まっている!!"というちょっと早計な考えで、1ヶ月のお小遣いを全部はたいてサントラLPを買った。。。
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※左写真は後年イタリアで再発されたCDジャケット。右日本版。

 そして狂喜した♪それまでに聴いたどの映画音楽よりもカッコよかった♪他に言葉がないくらい気に入った♪
LPにはライナーノーツが入っていて、それによるとこの音楽を作曲・演奏しているのはすんごいアフロヘアーのHerbie HancockというJazzミュージシャンだという。"へぇ~っ、これがJazzってやつなんだ♪"。。。で、わたしはこう考えた訳だ、"Jazzか、見つけたぞ!もうこれからはJazzファンになるんだ♪"と。わははははははははははははははは

 で、翌月のお小遣いを貰うや否や、わたしは当時住んでいた寝屋川市香里園(大阪)の駅前にあったレコード屋さんへ自転車を飛ばした。だがどんな予備知識もない。知っているのはHerbie Hancockの名前だけ。。。レコード屋のオヤジに"ハービー・ハンコックって何処にありますか?"と訊いたら或るコーナーを指し示された。小さなレコード屋には予想に反して10枚くらいのHancockのalbumが並んでた。。。どれがいいかなんてサッパリ分かる訳もない。。。イラストの描かれたジャケットに混じって、ライブハウス風の写真ジャケットを一枚見つけた。当時のレコードの帯には"ハービー・ハンコック、フレディー・ハバード、スタンレー・タレンタイン、イン・コンサートvol.2 CTIオールスターズ・ジャム・セッション(1973)"と書いてあったはずだ。それも当時はまだ新譜の部類だった。後から考えれば当時としてはイラストの描かれたジャケットを選ぶべきだったのだが、わたしはオールスターという言葉に惹かれた。"誰も聞いたこともない名前ばかりだけど、オールスターズなんだからいいに決まっている!!"そう考えた訳だ(笑)
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 で、それを小脇に抱えて家路を急ぐ。。。

 自宅に着くなり、応接間の大きな古いステレオの前に座って、レコードに針を落す。。。ドキドキワクワクといったところだ♪

 またしても驚いた!! 本当に驚いた。。。

なんじゃこりゃ~!? 

な、なんなんこれわっ?? 

ち、ちがうやんけっ!!

・・・それは"狼よさらば"のサントラ盤とはまったく懸け離れた音楽だった(当時はそう聴こえた)。。。

しまった。。。Jazzってこんな音楽のことだったのか??(汗&涙)ひーん。。。

 だが、まだそれを全部聴き終わるか否かのうちに応接間のドアが開いて、姉が文句を言ってきた"あんた、ナニ聴いてんの!?うるさいなー!!もっと静かにして!!"。。。
 売り言葉に買い言葉だ!! わたしはそういう性格だった(笑)
"うるさいわ、アホっ!!これはジャズちゅうんじゃ!!俺はジャズが好きなんじゃ!!ボケっ!!"そう叫んでだ。。。
姉も黙っちゃいない。"ジャズなんか分かりもせぇへん癖に!!静かにして!!"

・・・姉の言う通りだ。図星というやつだ。Jazzなんてまったく分かっちゃいない。。。
だが1ヶ月の小遣い全額を注ぎ込んでたった1枚のレコードを買った訳だ。今更どうしようもない。。。
だがそれにしてもガチャガチャと乱れに乱れた演奏はそもそもどんな曲(メロディ)なのかさっばり掴めもしなかった。しかもどういう訳かA面には同じ曲が2つ(ツアー別の日の演奏)も収められていて、Jazzの特質も即興演奏なんてことも何にも分かっちゃいなかったわたしは、それもなんでかサッパリ分からなかったし、まるで損した気分になったものだ。おまけにB面は21分という一面一曲!!長ぇ~!!どういうこと???????? 意地悪??

 それから1ヶ月、意地になって、"狼よさらば"と"イン・コンサートvol.2"の2枚を交代交代に聴き続けるしかなかった。。。そのうち少しずつJazzのルールが見えてきた。。。なんとなくだけれど、テーマメロディも掴めるようになってきた。そうなると少しずつ好きになりはじめた(いや、無理矢理好きになったという側面も否定しないが。笑)最初に気に入ったのはトランペットだった。Freddie Hubbardというミュージシャンだ。"トランペットってカッコいい"そう思ったものだ♪(※このalbumではのちにマニアとなるJack Dejohnetteがドラムを叩いているし、Eric Galeも参加している。)

 そしてその後さらに1ヶ月くらいしてから、やっとロードショー公開された本編の映画"狼よさらば"を映画館で観る。勿論、映画にも大満足だった♪(順序間違ってるよな。笑)


 さて・・・もう失敗は許されない。それからJazzというものがなんとなく色んなタイプの音楽があって、すべてが好きな感じばかりじゃないと知ったわたしは"週間FM"という雑誌を買って、カセットテープを片手に、JazzのFM番組をエアチェックしはじめた。高いLPを買うのはちょっとお預けだ。わはは

 だが当時はまだクロスオーバーという言葉も、フュージョンという言葉もなかった。Jazzとジャズロックというような区分だった。。。当時のわたしにはFM番組から流れてくる古い60年代のジャズはすぐには好きになれなかった。。。かと言って、Miles Davisの70年代ジャズロックもギターのギャイーン、ギュワーンという音が嫌いで、どうにも馴染めなかった。。。Chick CoreaのReturn to foreverも同じようにロック臭かった。。。そんな中、中学2年になっていたわたしの前に、或る日Herbie Hancockが率いているHeadhuntersというグループが、リーダーのHancock抜きでalbumを出すということでFM番組からそれが流れてきた。。。カッチョええ♪ナニこれ??えげつなー♪(笑)アフリカン??

 そんな訳で、わたしはお小遣いを握り締めて、今度は大丈夫だと"Survival of the Fittest(1975)"を買った。
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とにかくカッコいい♪アフリカンなパーカッションも凄い刺激的で、当時はFunkyというものが何を意味するのか分からなかったけれど、一曲目のタイトルが"God make me funky"というものだったから、"これがFunkyなんだ"と納得した(笑)しかもalbumの帯には確か"ハービー・ハンコック来日記念盤"と書いてあったはずだ(ちょっとあやふや)。だがそんなこんなであのHerbie Hancockが日本に来るということを知った訳だ♪調べたら大阪にも来る!!!!!!!!!!!!!! 母親の声楽・クラシック関係以外のコンサートなんて行ったこともなかったわたしはオヤジに相談することにした(笑)で、見事チケットをゲット♪なんとオヤジ付きでフェスティバルホールへ足を運んだ♪わはははは

 勿論、大満足♪めっちゃカッコええ♪。。。だがもともといろいろあって喧嘩と勉強にばかり明け暮れてた(←おかしいけれど、本当です。笑)わたしには友達は大していなかったし、仲のいいクラスメートと雖もJazzなんぞに興味がある訳もない。。。誰とも共有できない喜び。。。わはははははは

※同ツアーの東京公演を収めたHancock唯一公認のHeadhuntersライブ。まさにわたしが体感したステージそのものが収録されている。
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 で、その後ライブ・コンサートで聴いたHancockの"Maiden Voyage 処女航海"というちょっとエッチで刺激的なタイトル?(アホ。笑)の同名albumを買う。。。これが初めての(購入した)アコースティックな60年代のModern Jazzとの出逢いになる。こうやって漸くにして、わたしは本物のJazzファンとなった訳だ。わははははは 
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 ついに1976年には待望のHerbie Hancock自身のニューアルバムが出た。"Man Child (1976)"
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音楽としてはフュージョンだが、今のヘッポコJazzなんかより、よっぽどちゃんとJazzしてる♪サイコーのalbum♪
1曲めの"Hung Up Hung Ups"の後半2分からはじまるHancockのピアノsoloを聴けばそれがどういうことかすぐに分かるだろう。ここで繰り広げられる音楽はその後、Clossoverだとか、Fusionだなとと呼ばれて一時代を席捲することになるものとはまったく一線を画する音楽だ。とても高度かつ複雑で、多彩な今聴いても決して35年も前の音楽とは思えないくらい素晴らしいHancock自身のひとつの完成された頂点を記録したalbumだ。
 ただ惜しむらくは、ここでの演奏がライブで再現不可能な点にある。それは大勢のミュージシャンを一同に集めたという点もあるが、それ以上に、これが多重録音によらなければ、決して誰にもライブで演奏することができないという一点にあった。だからHancockはこの後、ライブではもう一人のkeyboard playerを加え、さらには打ち込みのような形でプログラムされた何台ものsynthesizerを同時に鳴らせてみせることになったが、Jazzという音楽の性質上、それでもここでの演奏をステージで再現することは不可能だった。。。Hancockはこの試みを断念せざるを得なかった。。。それがJazzというものの宿命だからだ。

 勿論、ここに挙げたalbumは当時すべてLP(CDなんぞ誕生するずーっと前の話。笑)。
聴けば聴き込むほどLPは傷んでゆく。。。プツプツ、ブツ・・・という音が・・・(それがまたいい味なんだが。笑)そういう訳で、その十数年後、すべてをCDで買い替えました♪(今だって、全部DLしてわたしのPCに入ってる。だからちゃんとBGMとして聴いてますよ♪)わはは

 だがそれはおいといて、その後は、しばらく高校受験のためJazzなんて聴いてられる状況ではなくなった。。。大好きな映画も、読書も、Jazzも(FM放送も)脇に置いて、ともかくも中学3年の1年間はひたすら勉強に打ち込んだ訳です(←ホントの話。なぁ、Tくん←中学時代を知る唯一の友達。笑)


/////////多分、続く(笑)/////////// 
 


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Jazzとの出逢い その2. [Jazzとの出逢い]

 そんな訳で第二部♪←いらん??(笑)

 さて、高校受験から解放された(第一志望校を落ちて、私学へ通うことになった訳やけど。笑)わたしはひたすら読書とJazzに狂う(笑)。
読書、Jazz、映画、それらの為のバイト、classicギター、Boxing、油絵。。。それが当時のわたしの99%感心事のすべてだった(笑)勉強??何処へ行ったっけ??もうわたしの驀進は誰にも止められなかった。残りの1%は実はとっても大きなウエートを占めてもいたが・・・あくまでも1%だった(ウソ)それは・・・やっぱ"女体の神秘"というやつでしょ♪ホラッ、思春期だからさ。わはははははははははは

 それはさておいて、音楽の話(笑)

 時代はあっという間に、クロスオーバー、続いてフュージョンと呼ばれることになるJazzならぬJazzに席捲されてゆく過程にあった。専門誌ではまだKeith Jarrettですら、"あんなものはJazzではない"とか、"音楽に分類はナンセンスだ"という議論が熱く闘わされていた時代だ(笑)。わたしもその時流に乗って色んなタイプのFusion Jazzにのめり込んだ。。。そしてまたJazz以外のさまざまなタイプの音楽とも出逢い、やがてその後の路線を決定づけることになるFree Jazzと呼ばれるものと出逢うことになる。。。だがそれはまだ少し後の話だ(笑)

 FMのエアチェックをする中で、アレもコレもどれもみんな欲しかったが、それでもやはり小遣いをはたいてLPを買うには相当悩んだ。
そんな中、もう順番は覚えちゃいないが、何枚か印象的なalbumがあって、わたしのJazz歴は紆余曲折しながら先へと続いてゆく。。。
今回はそういうラインアップを紹介したい(勿論、BGMとして聴きながら書いてますよ。笑)
 以前紹介したようにFusion真っ盛りのこの時、突如HancockがV.S.O.P.Quintetを率いて、アコースティックJazzへと回帰した訳だ。

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Eric Gale(el-g) "Ginseng Woman 夢枕(1977)"

 まだStuffとか結成される前の話だ。FMでタイトル曲を聴いて、その出だしのテーマでわたしはイカレてしまった。。。彼のギターはRockのそれとは違ったし、なんと曲によっては彼は主旋律メロディを弾かない!! まるで合いの手のように、メロディの間隙を縫って弾いたりする。フラメンコギターに憧れ、数軒隣りにあったギター教室へ通っていたわたしは、意に反してフラメンコではなく、クラシックギターを学んでいたのだが、そんなわたしは何度も書いたようにRockギターのギャーンという汚い音が嫌いで、el-guitarそのものに反感を抱いてすらいたが、この人のサウンドを聴いてわたしはel-guitarというものについての認識を改めたりした。

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 Earl Klugh(g) "Finger Painting (1977)"

 彼はなんとアコースティックギターでFusionを演奏するという当時としては画期的なスタイルで世の中に登場した訳で、上にも書いたようにclassicギターを学んでいたわたしは当然、彼に大注目した訳だ。楽譜も買ってみたが、どういう訳かほとんど練習もしなかったのを思い出す。なぜ??当然のようにsolo用ではなかったからか!?わはははははは(汗っ)

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 Chick Corea(key) "The Mad Hatter (1978)"

 前回彼のReturn To ForeverというグループがRock臭くて苦手だったと書いたが、これは彼がRTFを解散して取り組んだ別のコンセプトによるalbum。なんと下敷きになっているのは"不思議の国のアリス"というのだから驚きだが(笑)、そんなことは関係なく、とてもイメージ豊かな世界が拡がるステキなalbumだ。ただChickのsynthesizerはいかにも・・・という感じで時に鼻につくきらいがある。Hancockは或る種の装飾音やオーケストレーションなど音楽全体に厚みを持たせる為にsynthesizerを使用する側面が強かったが、Chickにとっては寧ろ単にメロディ楽器そのものだった。それがふたりの徹底的に大きな差だ。


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 Astor Piazzolla(bandoneon) 映画"Il pleut sur Santiago サンチャゴに雨が降る (1976)"サウンドトラック ※右はコンピレーションCDとして再発されたもの。

 またしてもわたしは映画によって新しいタイプの音楽と出逢った。映画はチリで起きた軍事クーデターによって、アジェンデ政権が倒されるまでを描いた社会派映画だ。そしてそのサウンドトラックは当時一部で有名になりつつあったとは言え、本国アルゼンチンでは酷評され、世界的にもまだまだ大して評価されていなかった過渡期のPiazzollaが担当していた。Piazzolla一人によって確立されたモダンタンゴと呼ばれるそれは、それまでダンスの伴奏か、歌唱としてしか認められていなかったアルゼンチンタンゴを"聴くための音楽"として成立させた。当時、PiazzollaはJazzやRockを融合させて、el-guitarやel-bass, synthesizerなどを自身のバンドに持ち込んでいて、その後彼がアコースティックな音へ回帰し、オーケストラなどを率いて、世界的名声を獲得するようになった時とはまた違う過渡期にあった。だが当時のわたしにはそれこそ最先端のFusionのひとつだった。"タンゴだって??やっぱ菅野は変わってる"。。。往年の"黒ねこのタンゴ"しか知らない級友たちは呆れてたな。わはは

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 George Adams(ts.fl,vo) "Jazz a confronto ソング・オブ・アダムス(1978)"

 残念なことにこのレアなalbumはもはや手に入らないし、ジャケット写真すらこんなのしかない(多分、わたしのHomepageからクリップされたものの使いまわしなはず。笑)。。。わたしがこのalbumを買った理由はひとつだった。当時tenor saxoponeに魅入られていたわたしは、とにかくtenor saxの聴けるalbumが欲しかった。だが誰がいいかよく分からない。FMで流れてくるSony RolinsやSonny Stitt, Hank Mobley、etc...それに"FMで流れてくるような"John Coltraneは苦手だった。そんな中、専門誌スウィングジャーナルで新譜として紹介されていたのがこのalbumだった。まだCharles Mingusには行き着いてなかったが、とてもいい評価だったので買ってみるひとにした。で、初めてbluesというものと出逢う♪ブルースって青江美奈とか、淡谷のり子じゃないのん??なんて本気で思っていたわたしはA面を占める"Payday Blues"でAdamsがシャウトし、せせりあげるように響かせるtenorにノックアウトされてしまった。(※このalbumだけはmp3として見出せず、BGMとして聴けません。涙)

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 Pointer Sisters "Having a Party (1977)"

 実はわたしが小学生の頃、TVでは毎年、東京国際音楽祭というのをやっていた。世界中から色んなジャンルのミュージシャンたちを招いて行う一夜限りのフェスティバルだった。それに彼女たちは確か2年連続で出演を果たしていた。彼女たちが何者かなんて小学生のわたしにはよく分からなかったけれど、とにかく物凄く強烈な印象だった。おかしなファッションで、コミカルに、歌って踊る彼女たちはそれでも凄く歌が上手いのだけは確かなようだった。わたしは毎年彼女たちが今年も出演しないかと楽しみにしていたが、それ以降は彼女たちの姿を見ることはなくなってしまい、一時期は、そのグループ名もあやふやな記憶となっていた。
 だが或る日、FMラジオから彼女たちの新譜が流れてきた瞬間に"あっ、彼女たちだ!!"とすぐに想い出した♪それほど強烈な個性をもった素晴らしいグループだった。そしてすぐにLPを買いに走った。今度こそ彼女たちを見失わないように♪残念なのは、4人姉妹でデビューした彼女たちの4人での活動はこのalbumが最期になってしまったことだ。(※お気づきのように実はこの数年前Headhuntersのデビューalbumで彼女たちが健在であることは知っていたものの、Soulという情報の少ないジャンルの所為で、わたしはもう彼女たちはそれほど活動してないのだろうと勝手に決めてかかっていた節がなくもない。当時はまだBlack Comtenpolaryなんて言葉が定着するかしないかという時代だった。)4人組み時代の彼女たちのalbumはどれも本当に素晴らしいものばかりだが、このalbumも最高にゴキゲンです♪

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 Dee Dee Bridgewater(vo) "Just Family (1978)"

 ちょっと信じがたいかも知れないが、わたしはvocal albumすなわち歌モノが好きではない。あれだけフレンチ・シャンソンだとかPointer Sistersだとか(まだ紹介したことないがbluesだって聴く)紹介しておきながら、ナニを今更!?という向きもあるかとは思うが、実際のところわたしが聴くvocalistはごくほんの僅かだ。日本にいた頃所持していた膨大な数千枚のLP, CDのうち僅か5~7%ほどがvocal=歌モノであったに過ぎない。残りはすべてインストゥルメンタル(器楽曲)だった訳だ。で、もっとも苦手なのがJazz vocalだと言っていい(笑)そんな中、数少ないjazz vocalistが彼女Dee Dee Bridgewaterと、いつか機会があればご紹介したいRachelle Ferrellのふたりだ。もっともこのalbumに限って言えば、JazzではなくFusionまたはブラコンというジャンルに入れるべきものだ。このalbumに収められているElton Johnの"Sorry Seems To Be A Hardest Word"が堪らなく凄いっ!!FMで流れてきた瞬間これまた翌日にはレコード屋へ走った記憶がある♪当時は聴く度に背筋に寒気が走ったものだ。わはは
 ※蛇足だが、このSorry Seems to be a Hardest Word"という曲は何度もわたしの前に立ち現れることになる。勿論、本家Elton John... , Joe Cocker...,Ornella Vanoni...、最近では誰が歌っているのか知らないが、ここEcuadorのスーパーマーケットでスペイン語版を聞いた(笑)

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Steve Khan(el-g) "The Blue Man (1978)"

 当時のKhanのサウンドは唯一無二の強烈なものだった。それはRockでお馴染みのギュィーンという音ではなく、さらにエフェクターで加工された、もっと硬質なキーンという金属的な音で、ホーンライクなフレーズを弾いてみせるという超個性的なguitaristだった。だがこの3年後、彼は突然、それまでのサウンドとコンセプトを捨て、どちらかというともっと一般的なguitar soundで、FusionからJazzへと転身してしまう。現在はよりストレートなJazz演奏で特定のファンを魅了しているが、この当時の華やかさはないし、時に単調さを露呈する。それはともかくここに聴かれるサウンドはハードで、Brecker Brothersを従えて、彼らとhorn seccionを競い合うかのようでさえある。これだけストレートにメロディラインを弾くguitaristはタイプはまったく違うが、Carlos Santanaを置いて他にいないかも知れない(笑)。わたしはSantanaは大嫌いなのだが、この時代のタイトでハードなKhanサウンドは大のお気に入りだ♪


 ちなみに当時、日本では時代はフォークソング一色だった。。。それまで子供から大人への"趣味としての音楽の登竜門"は洋楽だったが、それはフォークにとって代わられていた。。。わたしの級友たちはみんなフォークギターを弾いていたし、かつてはPolnareffだとか、Carpenters, Beatlesと言っていたうちの所詮クラシック?の姉ですら、吉田卓郎のalbumを買ってきて、わたしは"アホかっ、オマエわっ!!なんやねん、そのお経みたいな音楽は!!"と思い切り罵った記憶がある。今から思えば、うちの姉は単に周囲に流されるミーハーだった訳だ。わははははははは(※あらゆる意味で姉弟とは思えんな。。。)


 さて、実は今回はちょっとした幕間のつもりなのだ。もし次回があるとすれば、それが本当にわたしが書きたかった部分に当たるだろう。1回めがJazzとの出逢いであり、2回めが途上史であるならば、3回めはついにわたしが見出すことになった特別な音楽としてのJazzについて熱い想いを語ることになるだろう。それはちょっと考えただけでとてつもなく長くなりそうで、正直そんなものを書く必要があるのかどうか未だに迷いがなくもない(実はすでにちょっと書き始めたのだがColtraneだけで1回分←ナニそれ??を遥かに越えてしまう。笑)誰も興味を示しそうにないものを何の為に長々と書く必要があるだろう?(ねひつじさん、NetHeroさんありがとう。笑)
 だがそのずっと先にはひとつの、わたしにとって重要な物語が続いているのだけは間違いない(それはJazzとは何の関係もないわたしの人生についての物語だ)。


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第三回....Jazzとの出逢い   John Coltrane編 [Jazzとの出逢い]


 少しばかり話を遡ることを許して欲しい(誰に??笑)
10才くらいまでは人並みに日本の歌謡曲を聴いていたということは書いた。そして11才でRockなどの洋楽を齧ったかと思うと、すぐに映画音楽へ蔵変えしたことも。さらにはフラメンコギターが弾きたかったのに何故かクラシックギターを習うハメになったという話も。。。
 だが実はもうひとつ好きな音楽があった。もっとも小学生だったから、好きと言ってもLPを買い集めたりした訳ではない(笑)。それはクラシックの中の現代音楽だった。多分、最初はメシアンのパイプオルガンだったはずだ。母親は姉とわたしをよくクラシックコンサートへ連れて行ったが(ひとつには留守番させておく訳にいかなかったからというのもあるだろう。笑)、わたしはハッキリ言って、クラシックが大嫌いだった。況してやオペラなんて真っ平ご免だ。母親はわたしを小遣い銭で釣って、ピアノを学ばせようとしたこともあったが、1ヶ月ほどで投げ出してしまった。わははははは
 そんな中、大抵は日曜の朝NHKで放送されていたりした現代音楽ならわたしは齧りついて聴いていた。。。特にパイプオルガンはメシアンからバッハの"トッカータとフーガ"も含めて、なんかカッコいいと思ったものだ(子供の頃はなんでもカッコいいか、カッコよくないかだったな。笑)そして現代音楽というやつ。。。ついでに言うと、オーケストラの演奏が始まる前の音合わせ、そしてピアノの調律の音が好きだった♪要は不協和音が好きだった訳だ。。。不協和音好きな小学生。。。あはは。

 話は高校時代に飛んで、Fusion時代の真っ只中、それでもV.S.O.P.QuintetやGeorge Adamsによって、アコースティックJazzに目覚めつつあったわたしは、そろそろFMのJazz番組のエアチェックから離れ始めた。何故ならFM放送では相変わらずFusionぱかり流れていたし、古いJazzはずっと60年代初期までのモノが大半で、何年経っても同じ曲ばかり繰り返し流されていることに気がついたからだ。そろそろとわたしが求め始めていたJazzはFM放送から流れてくることはなかったし、スウィングジャーナルというJazz専門誌を買うようになって、FM番組では決して流れて来ないたくさんのJazzがあることを知った訳だ。

 そういう流れで、以前書いたようにtenor saxophoneを捜してGeorge Adamsに行き当たった。AdamsはCharles Mingusという人のバンドメンバーらしい。じゃあ、そのMingusという人のalbumを聴いてみるか!?という感じだ。そしてGeorge Adamsの参加しているMingusのalbumを買い、今度はJazz専門誌にMingusの歴史的名盤として紹介されているalbumを買ってみる。そしてEric Dolphyに出逢い、今度はDolphyからJohn Coltraneへと舞い戻るといった感じだ。好きなmusicianが出来る度に、今度はそのmusicianと共演している別のお気に入りmusicianを求めて・・・と果てしなくJazzのサイクルは続いてゆく。もう"Jazzは聴かずに買う"というテーゼが自然にサイクルを作りあげてゆく訳だ。そうなったら、もう逃れられない(笑)マニアと化してゆくしかない。わははは

 さて、本当は順序から言えば、Cecil Taylorか、Charles Mingusから始めるのが妥当かと思われるのだが、ちょっとした理由からJohn Coltraneを最初に取り上げたい。

 

 John Coltrane (ts,ss)...

 第二回で書いたように"FMで流れてくるような"John Coltraneは苦手だった。今でも変らないと思うが、結局のところFMで流れてくるのは、BlueNoteの"Blue Train"、"Atlantic時代の"Giant Steps"や"My Favorite Things"などからのナンバーか、impulse中期の"Ballads""and Johnny Hartman""Afro Blue"などと決まっている。どれも素晴らしい音楽だ。だが当時のわたしはそれらに特別なものを見出さなかった。。。端的に言えば"古臭い"と感じ取った訳だ。だがColtraneの音楽はそこからずっと先へと延びているし、それ先に彼が到達した音楽はわたしの感性を震わせるに十分な素晴らしい演奏だった。。。

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※初期のalbumの中でわたしが一番好きな作品。"Blue Train"

 だが、どういう訳かそういった彼が死の直前3年間に吹き込んだ音楽はFMラジオから流れてくることは"絶対に"なかった。。。そしてJazz専門誌でもほとんど取り上げられることがなかった(もはや日本には月刊の専門誌はない)。その傾向は勿論、jazzファンにまで及んでいて、"Coltraneが最高だ!!"などという人々の大半が、後期impulseとされる作品群を無視したり、拒否したりしようとする傾向がみられる。後期と書いたけれど、Coltraneは決して老境に達して落ちぶれて死んだ訳ではない。彼は41才で、まさに彼自身の絶頂期のうちに世を去った訳なのだが、どうにもその到達点を拒否する人々が多いということだ。いや、好き嫌いのことではないと最初に断っておく。音楽の好き嫌いは勿論、自由だ。同じjazzmanの作品でもこのalbumは好き、この時期のものは嫌い、それが普通だろう。だが理解(誤解)ということになるとそうも言ってられない。理解した上での好き嫌いは問題ないが、誤解したまんまで、無視を決め込んだり、否定したりしながら、一方で恰も"信奉"しているような発言をする人々をみるのは余り愉快ではない。

 実はわたしが初めてColtraneの演奏を聴いてから、彼の音楽が好きになるまで、おそらくは3年以上の歳月が流れた。それはFMラジオから流れてくるのが先に挙げたようなAtlanticとimpulse中期の同じような"一般ウケする聴き易い"演奏ばかりであり、専門誌を読んでも、彼の代表作として紹介されるのが"A Love Supreme"までであったからだ。だからわたしは彼の"専門誌に紹介されている中でもっとも後期で評価の高い"alnum"A Love Supreme 至上の愛"を最初に買って聴き、不遜にも"なんだ大してことないじゃないかっ!?"などと感じてしまった訳だ。。。いや、勿論"A Love Supreme 至上の愛"は素晴らしい作品であって、決して"なんだ大してことないじゃないかっ!?"なんて評価されるようなものではない。だが当時すでにCecil TaylorなどのFree Jazzを聴きはじめ、Coltraneの最高傑作と呼ばれる同作に初めて接したわたしにはpart1とpart2の、そのちょっとばかり野暮ったいテーマメロディが気にいらなかったのと(part3とpart4はすぐに気に入ったのだが)、先に書いたように専門誌、Jazz評論家たちの同albumに対する評価が"晩年のColtraneが達したアグレッシブな最高傑作"などというものであった所為で、もっと違う何かを期待していたからだろう。

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※"A Love Supreme 至上の愛"

 決して晩年でもなんでもないものを、恰もそこから先は存在しないかのように、"後期"だとか"晩年"だとかいうコピーを付けて、そこから先、結局のところ自分たちが理解し得ないものを葬ってしまおうとするかのような扱いだと言える。"彼ら"の見解ではどうやらその後のColtraneは"迷走した"とでもなるらしい。それはまったくバカげた、失礼な話なのだ(笑)。
 もしもFMから、"Meditations(1965)"や"Kulu Se Mama(1965)"、或いは"Live In Seattle(1966)"や"Live in Japan(1966)"、"Interstellar Space(1967)"、或いはせめて"Expression(1967)"の中の1曲でも流れてくれば、わたしはすぐにColtraneを好きになったことだろう。だがそんなことは"決してあり得ない"ことだった。放送時間の所為なんぞではなく(フェイドアウトでもなんでも可能だし、そんなこと言ってたらクラシックなんてFMでは流せなくなってしまう。)、みんながみんなグルになって、それらのalbumを隠してしまっていた。
 何処の世界にもいるように、Jazz界にも保守勢力というのがいる。そういう連中がやはり業界を仕切っていたのも事実だろう。そしてレコード会社も"セールスできない"と投げだしてしまい、上に挙げたようなalbumは再プレス販売しようとさえしなかった(信じがたいことだが、比較的高価なプレスではなく、安価なCD時代になって、ようやくそれらは市場に再び出回るようになった。勿論、それにも10年以上の長い時間が掛かったはずだけれど)。。。だからまだCDなどなかった時代、わたしはそれらをすべて輸入盤、あるいは中古であちこち探し回った挙句、ようやく購入することができた(そもそも国内盤のプレスされなかった作品もある)。Jazz界でMiles DavisとJohn Coltraneと言えば、代名詞のような巨匠であるにも関わらずだ。
 そういう業界ぐるみとでも呼べるColtrane理解のあり方をおかしいと感じ、或る種の憤りを覚えずにいられない訳だ。

 それは自分に理解できるところまでしか受け入れないという態度なのだろうか?これは何も彼に限らない。Cecil Taylorでもそうだし、Ornette Colemanだってそうかも知れない。前衛的フリージャズスタイルを持つ彼らのごく最初期のalbumを重要な作品だと認めておきながら、それ以降(本格的な活動期)を認めようとしない態度のことだ。理解できるものしか愛せないというのは大多数の人々にとっての真実なのかも知れないが、それを残念でないと言えばウソになる。
 人々は決してColtraneの本質を理解しているとは言い難いし、況してやその誤解を下にして、"死を直前にしたColtraneは悟りにも似た境地に達し、静謐なテーマを取り戻した"みたいな恐るべきデマを長く流布させてきた点は容認できない(近年、最晩年の真の姿がライブテープによって明らかにされたが、それまでは最期のalbum"Expresion"のライナーノーツを初め、Jazz専門誌に至るまで我慢できないようなウソ=曲解を並べ立てていた)。
 どうやら本当にほとんどのColtrane信奉者たちにとってはColtraneは"A Love Suoreme 至上の愛 (1964)"までであり、残りごくほんの僅かの人々だけが最期の3年間"The Olatunji Concert オラトゥンジ・コンサート(1967)"に至るまでのColtraneが最期に到達した音楽を愛しているに過ぎないと思われる。。。impulse時代は1961年に始まって1967年彼の死によって終わる。わずか6年間の活動を彼のスタイルによって初期・中期・後期と区切り、そのうち中期までしか認めようとしない姿勢だ。

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※"The Olatunji Concert オラトゥンジ・コンサート(1967)"

 まったく彼のことをご存知ない方々のためにalbum紹介を含めて、impulse時代についてだけまとめてみたい。

初期と呼ばれる時期・・・
 "Africa Brass"の野心的ブラス・オーケストラを初めとして、ColtraneはそれまでのAtlanticレーベル時代には叶わなかったより自由で創造的なalbum(音楽創り)を目指そうとした。決して後期のalbum群が彼の突然の転身によって成り立っているのではなく、この頃にはすでに彼はその種の音楽的志向を抱いていたことが、"1961 The Complete Village Vanguard Recordings"などを聴けば明らかとなる。当時すでに彼の頭の中にはアフリカ志向や当時New Jazzと呼ばれた前衛的ジャズ(但し、Free Jazzではない)に対する志向が明確にあったし、オーケストレーションだけでなく、コンボ編成の複雑化も念頭にあったのだ。

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※"Africa Brass"、"1961 The Complete Village Vanguard Recordings"

中期と呼ばれる時期・・・
 だがproducer ボブ・シールのマーケッティングに対する考えもあって、Coltraneは半ば嫌々、コマーシャルなalbum制作を強いられることになる。この葛藤はすでにColtraneへのインタビューによって、彼自身の口から明らかにされているにも関わらず、それをみんな無視してきた。ボブ・シールは"数年我慢しろ、いくつかのコマーシャルなalbumを売って、もっとメジャーになったら好きなことをさせてやる"(骨子)という形でColtraneを説得して、"Ballads""and Johnny Hartman""with Duke Ellington"など等の多くのColtraneファンを自称する人々がこよなく愛する作品群を吹き込むことに同意した。だからこそColtrane信奉者を自認する人々が、Coltraneが半ば嫌々吹き込んだ諸作を最大限に評価しつつ、彼が本当にやりたかった音楽を理解しようとしないことを不思議だと思うしかない。勿論、この時期のalbumはどれも決して悪くない。素晴らしいショーケース的作品であることは認めていいし、Ellingtonとの共演をColtrane自身も敬愛を込めて、"とても貴重な体験だった"と答えている。。。

後期と呼ばれる時期・・・
 そしていよいよColtraneは"Ascention"から、自分の目指す音楽を演奏し始める。だがそれでもヨーロッパツアーなどでは新しい音楽は演奏させて貰えない。。。当時はalbum発売ですら、海外では1年遅れとかが通常だったから、ツアーなどではさらに以前のスタイルを求められるしかなかった。当時、米国国内ではJazzはお金にならなかった。レコードセールス額なんぞしれていたから、Coltraneと雖もalbumの売り上げなんかでは生活できなかったし、その為にはヨーロッパツアーを精力的にこなすしかなかった訳だ。。。
 だが徐々に彼は飽くことなき即興演奏に挑戦しはじめる。それは1曲の演奏時間を30分、60分と延長させたし、共演しているQuartetのメンバーでさえ、いったいいつ終わるのかサッパリ分からなかったと言う。。。Coltraneの意図を理解できないメンバーは怒ってステージを降り始める(McCoy Tynerはその間、単調にブロックコードを演奏するしか知らなかったし、Elvin Jonesもまたずっと同じポリリズムを刻むしか知らなかった。それがバンドの限界でもあったのだろう)。さらに自らの目指す音楽を探求するにはコンボを解体するしかなかった。。。TynerとJonesが同時に去り、新しいメンバーが加わった。。。
 Quartet解体直前から、彼は手始めに、中断されていたアフリカ志向から初め、ホーンセクションやパーカッションなどを加えて、より即興演奏にシフトした形でレコーディングを始める。。。だがボブ・シールの懸念通り、世界中のJazz批評家とファンから猛烈なパッシングを受ける。時代がFree Jazzへとシフトしてゆきつつあった中で、Coltraneは正当派のJazzに留まって欲しいという身勝手な見識がそれを支えていた。

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※"Ascention(1965)"、"Meditations(1965)"、"Kulu Se Mama(1965)"、"Live In Seattle(1966)"、"Live in Japan (1966)"

 だがColtraneは決してコードの否定や不協和音などによるFree Jazzを志向した訳ではない。ただインプロヴィゼーションにこだわり、飽くことなく即興演奏の可能性を追求し続ける過程で、おのずとその演奏が予定調和的には破綻してゆき、楽器の限界にまで達し、限界を越える音を欲するが故にその音はおのずと調和音から外れてゆくしかなかったと言っていい。彼自身のコメントはないが、自分自身で身体の不調は誰よりも一番よく知っていただろう。心身ともに限界に挑戦するような演奏スタイルが彼にそれを教えなかった筈がないからだ。
 もはや誰にも止められなかった。。。残り時間のそれほど多くないことに気づいていた彼は、ライブで聴衆がブーイングを投げかけようと、席を立とうと、もう自分の目指す音楽だけを演奏する決意を固めた。そして通常のレパートリーではもはや楽想的に限界に達したと感じ始めた彼は、しばらく中断していたcompositionの創作に入る。"My favorite Things"や"Afro Blue"などのかつてのレパートリーの即興演奏だけでは限界に達してしまったということだ。より自由な即興演奏(Free Jazzではない)のモチーフを求めて、彼はその楽想テーマを"Expresion"というalbumに吹き込む(これらはlive演奏のための作曲モチーフだと言っていい)。さらにそのレコーディングではいくつかの野心的な演奏展開をも吹き込んでみせる。だがなんとそれらはボブ・シールによって封印され、その後行方不明となり、死後30年近くも経って始めて"Stellar Regions"として陽の目をみた。

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※"Stellar Regions (1967)" ... 1995年になって初めて陽の目をみた。

 わたしがこんなに熱くなるのは、ひとつには、"Coltraneを愛している"とか平気で口にする癖に、死の直前のColtraneを理解しない人たちがみんな未だに(おそらくは永遠に)、ColtraneはFree Jazzに走ったなどと誤解しているからだ。先に書いたように彼自身は決して、"前衛的で不協和音を問題とせず、作曲テーマのない完全な即興演奏形態による"Free Jazzなんぞを目指した訳ではない(Free Jazzにも様々なものがあって、決して一枚岩ではあり得ないのだが、それは別として)。彼はあくまでも作曲テーマ=コードによる即興演奏の限界と、楽器の持つポテンシャルの限界を追求し、挑戦し続けた訳であって、少なくとも死の寸前まで、彼はそのスタイルを変えなかった。だから彼がやってきたことはモード手法による即興演奏の探求から始まって。ずっと一環して同じ延長線上にあると言える。

 わたしは本当に死の直前までのColtrane最期の3年間の凄まじい生命を削るような咆哮する演奏を敬愛している(わたしには、人物そのものを"信奉"したりはできないが)。さらにimpulse初期のalbum群も同じように。
 もしそれらを消してしまったら、わたしにとってColtraneは、まぁ、そこそこにステキなアーチストで終わっただろう。特別な存在ではなく、"好きやけど、それほどでもない"という程度で・・・。こんなこと言う奴は滅多にいない(笑)。だからここに書いたことは、ほとんどのColtraneファンの総意ではない。こんなことに同意できる奴はFree Jazzマニアだけだろう。わたしも勿論Free Jazzマニアなのだが、決してFree Jazz マニアとしてColtraneを評価している訳ではない。彼がfree jazz improviser ではなく、偉大なる真の jazz improviser 即興演奏家だという認識は揺るがない。

 そういう訳で本当のところ、わたしがこんなにも熱くなるのは、本質的な部分で、理解できないものを"理解できないもの"として認め、尊重するということを知らず、誤解に基づいて、すぐに否定したり、批判したりする態度に対して怒りを覚えるからだ。物事は理解して初めて否定したり、非難したりすることが可能になる。そもそも理解もできないものをどうやって否定できるだろう。アインシュタインの相対性理論を理解できない人が、それを否定したりできるものだろうか!?理解できないものは理解できないと認め、好きであろうが嫌いであろうが、少なくとも"取りあえず"理解できるまで尊重する他ない。

 出会ってすぐ(一見して、或いは一読、一聴して)、理解できないものを理解するには当然のように努力を必要とする。それは決して容易ではないし、人によってはそんな努力は必要ないというかも知れない。だが一見して理解できないものを投げ出すならば、結局のところいったい何を理解し得るのだろう。理解できないものを理解しようとする努力のことだ。先に書いたようにそれは容易ではないし、能力や知識の不足(限界)に突き当たることだってあるだろう。だが理解できないものに対しては、せめて一定の尊重を与えることが必要だろうし、理解できないものに対する興味というものこそが、感性にしろ、知性にしろ、そういったものを彼方へと押し広げてゆくのだと思うのだが。。。


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第四回....Jazzとの出逢い   Cecil Taylor編 [Jazzとの出逢い]


 そんな訳で、不協和音(前衛的現代音楽)好きでもあった変態小学生時代を経て、映画音楽をきっかけにしてJazzと出逢ったわたしは、それでも一応Fusionの波に呑み込まれたりもしつつ、V.S.O.P.QuintetやGeorge Adamsによって、アコースティックJazzにも目覚めつつあった。。。

 そんな中、最初に手を伸ばした前衛的JazzはなんとCecil Taylorではなく、Chick Coreaだった(笑)へっ!?Chick Corea??ナニが!?・・・そんな声も聞こえてきそうだが、実はChick Coreaはデビュー後、一時期、Circleという前衛的Quartetを組んで演奏活動を行っている。メンバーもAnthony Braxton(as), Dave Holand(b), Barry Altcshul(ds)という現在に至るまでFree Jazzを中心に活躍し続ける怱々たる顔ぶれだ。第二回で挙げたChickの"The Mad Hatter"が甚く気に入ったわたしは専門誌で彼の経歴を調べていて、彼が前衛的Jazzに取り組んていた過去を知った訳だ。だが当時、Circleのalbumはすべて廃盤で、見つけてもとても高価で手が出なかったので、上記のメンバーからBraxtonの抜けたTrioによる作品"A.R.C Trio(1971)"を買う。その音楽は確かに前衛的(現代音楽的)で、硬質なものだったし、なんと当時フロイトを読み始めていたわたしにとっては特別な意味を持つ"Thanatos タナトス(死の本能)"という曲まであって、気に入った訳だが、わたしとはもっと凄いもの(笑)はないのか、と探し始めた。。。

 さて、そんな訳でいよいよわたしは紛れもないFree Jazzの巨匠Cecil Taylorと出逢う。わたしが敬愛するJazzmanはたくさん?いるし、誰が一番好きかなんて訊かれると困ってしまうが、どうしてもただ一人のmusicianを選べと言われれば、彼の名前を挙げることになるだろう。そういう意味で彼Cecil Taylorはわたしにとって、現在も尚、本当に特別な存在であり続けている。

 出逢いは盲滅法だった(笑)。偶然というやつだ。Chick Coreaの古いalbum"A.R.C. Trio"を聴いて、前衛音楽好きだった自分を思い出し、またJazzにもそういうタイプの音楽があることを知ったわたしは専門誌を捲って、Free JazzというそのジャンルのJazzを捜すことになる。Jazzを齧ったことのある人ならお分かりの通り、そういう場合は必ずOrnette Colemanの"Free Jazz(1960)"か、Cecil Taylorの"The World of Cecil Taylor(1960)"や"Nefertiti, The Beautiful One Has Come ; Live at the Cafe Mont Martre (1962)"のどちらかに行き着くことになる。Coltraneの項でも書いたように、そういう初期のalbumしか紹介されないからだ。だがわたしはやはり古い名盤と呼ばれるものより、最新の録音albumを聴きたかった。そしてついに新譜レビューのコーナーにCecil Taylorの新譜"Live In The Black Forest(1978)"を見つける!!もちろん、その時点までTaylorの音楽なんてただの1曲も聴いたこともない(FMでは彼の音楽が掛かるなんてことは絶対に!!ないからだ。笑)。けれど、Free Jazzの闘将・・・という言葉を見ただけでもう我慢できない♪そんな訳で、LP発売日を待ち侘びてついに購入~♪(※高校2年の夏くらいじゃなかったか!?)

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 もうぶっ飛んだ♪わははははは
"これだっ、これこれっ、これがわたしの欲しかった音楽そのものじゃないかっ!?"って感じだ♪
こんな出逢いは滅多にあるもんじゃない。当時のわたしが求めていた音がまさにそのままに其処にあるという感じだったからだ。
その音楽は暴力的で、破壊的で、カオスに満ちていて、それらを突き動かしているのは、怒りであるかのように感じられた。しかもその合間に、時折りとても美しい音階たちがほんの一瞬顔を覗かせることがあるかと思えば、トランペットやバイオリンは叫ぶかのように響き渡り、ドラムは原始的な躍動を持ち込む。Taylorのピアノはいくつかの創造的断片を積み上げたかと思うと、それを破壊し、粉々に突き崩し、まるでピアノを破壊してしまうかのようだった。。。

 そしてすぐに次のalbumを買いに出掛ける・・・

いや、ちょっと待って!! (誰に??笑)
上のalbumと同時に専門誌に紹介されていたOrnette Coleman(as)の"Free Jazz(1960)"も購入した♪
その話を一言書かせてくれ、頼む!!(だから誰にさ??)
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albumタイトルそのものが"Free Jazz"。そしてFree Jazz史上の名盤と誉れの高いこの作品には、なんとFreddie Hubbard(tp)も参加している。悪かろうはずがないっ!! で、ドキドキしながらLPに針を落す・・・

出だしはカッチョええ♪・・・続いてEric Dolphyのsoloが始まる・・・
なんじゃこりぁ~!? バカにしとんのか~!? ふさげるなっ!! 金返せっ!!

・・・それくらい衝撃的、いや、笑劇的で滑稽な音楽だった(に聞こえた)。。。撃沈(※当時まだDolphyを名前くらいしか知らなかったわたしには彼のsoloパートさえも珍妙に聴こえたもものだ・・・)
 このalbum、今でこそ意味は分かるが、それでも正直なんでこれがそれほどの名盤と呼ばれるのかイマイチわたしには理解できない(笑)。いや、実験的価値はなくもない。だがそれが名盤の選定基準なのか??いろんな意味で衝撃的なのは分かる。だが2つのリズムセクションに別々に、そして同時に演奏させたようなものにしか聴こえなかったし(当時)、結局はsoloのリレー演奏じゃないのかって感じに受け取れなくもない。確かに調整からは外れがちだが、それはたぶんにDolphyの個性によるものであって、もしDolphyが参加していなければ、このalbum"もっと普通"だったのは間違いない。Dolphyに比べればColemanの演奏は革新的でもなければ前衛的ですらないことがそれを証明している。意外にもメロディはしっかりとあるように聴こえたし、2つのリズムもバラバラとは言え、全体としては4ビートに乗っているように聴こえなくもない。。。哀しいくらいわたしを落ち込ませた出逢いだった。わははははははは
(※その後、Colemanは意外な形でわたしのコレクションに入り込み、ほぼ99.9%すべてのalbumをコレクションしたが、結局のところ、わたしにはColemanが好きなのかどうかは、未だ謎のままであり、とても評価のしにくいmusicianとなっている。笑)

 さて、本題のTaylorに戻ろう(笑)   "Silent Tongue 黙舌(1974)"
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 これはまた本当に素晴らしい作品だった。今でも愛聴盤だと言っていいだろう。前掲のunitとは違って、solo pianoによる作品だが、Taylorの真髄が記録されている。当時はまだ分からなかったのだが、実はここで演奏されているテーマこそ、Taylor自身の深淵から湧き出てくる、こう言ってよければ彼の魂から発するフレーズなのだ。
 現在82才で尚且つ現役のFree Jazz演奏家である彼はデビュー以来、何度もマンネリやスランプとそれを越えてのピークを迎えている。。。コード進行によらない完全な即興演奏によるFree Jazzを目指す者たちは例外なく、ひとつの壁にぶち当たる。二度と同じ演奏はしないという理念の下に、彼らは毎回違ったフレーズを意識するという罠に陥る。だがそれは不可能事でしかない。勿論、実際そんな風に厳密に即興によるコンポジション(作曲)を目指している訳ではない。いずれにせよ作曲はまた別の意味で感性の赴くままに即興する・・・というのとは相反する部分さえ持つからだ。
 そういう訳で、彼らは或る種のテーマや約束事に基づいて、発展させたりもするし、それにJazzの演奏はもともと"二度と同じ演奏はない"ということを大前提としているので、そこに固執する必要はない。だがそれでもコード進行によらない即興主体の演奏を目指す者たちは必ずそこに足を取られる。。。Taylorとて例外ではない。だが人間にはそれぞれ固有のメロディ感覚とでもいうべきものが備わっている。だからこそ我々はPOPSやRockなどでは曲を聴いただけで、作曲者(artist)がおよそ誰であるかが分かったりする訳だ。そこから逃れる術はない。だが作曲コンポーズを拒否したとき、そこに捉われずに演奏を続けることもまた難しいのが現実だ。ほとんどのmusicianたちがそこで挫折し、音楽的方向を変転させるか、マンネリズムのうちに溺れてゆく。。。

 だがTaylorは80年代の長いスランプとマンネリを乗り越えたときに、そこからついに脱却する!!
もはや現在の彼はシェークスピアの"リア王"しか演じない役者のようでもある。勿論、あくまでも彼の演奏の真髄は即興演奏にある。だが彼はもはやコンポジションのバリエーションという悪夢に捉われることなく、同じであるか、似ているか等という"些細な問題"から真に自由になって、その瞬間、自らが演奏したいように(禁忌・躊躇なく)、彼自身の深淵から湧き起こるナチュラルなひらめきのままに演奏に没頭することにした。それは必然的に彼の肉体の中にあるいくつかのフレーズを導くことが多い(決して毎回ではないが)。それがもっとも完全な形でsolo pianoによって記録されたalbumがあるとすれば、まさにこのalbum"Silent Tongue 黙舌"がそれにあたる。
 ここでの演奏は破壊的であると同時に、時に驚くほど美しくロマンチックなフレーズを出現させる。凝縮された音を積み上げてゆき、そしてそれを完膚なきまでに破壊し尽くす行為を繰り返してみせる。。。彼の弾き出す音、紡ぎだす音は他の多くのpianistとは違って、さまざまな表情を持っている。深い音、硬い音、柔らかい音、弾けるような音、ひっかくような音、浅い音・・・様々な表情を持つ音が重なり合い、積み上げられ、そして砕き尽くされる。。。わたしはその音の洪水の中から響いてくる叫びに耳を凝らす。。。わたしにはそういう風に響いてくる。。。が、それはただわたしの感性によっているに過ぎない。受け取り手、聴き手によって、これらの音群はまた違った響きを持つことだろう。言うまでもなく、音楽を言葉で表わすなんてことが出来るはずがない。それは承知の上だ。

"The World of Cecil Taylor(1960)"と"Nefertiti, The Beautiful One Has Come (1962)"
 ・・・という訳で、Jazz専門誌でTaylorの代表作として紹介される2作品についても触れておく。前者ではTaylorはまだビートの呪縛から解放されてはいない。彼自身のpianoは思索的ながらもビートの概念を打ち捨てているが、リズムセクションはまったくそれを実現できていないし、Archie Shape(ts)もまったく"普通"だ。だから何故それを名盤扱いするのかは本当に疑問だ。後者はいよいよTaylorがAndrew Cyrill(ds)を得て、ビートの呪縛から解放された素晴らしい瞬間を収めた記念すべきalbumだ。だがTaylorの進撃はここからスタートするのであって、やはり歴史的記録ではあっても、代表作とは言えないだろう。

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※"Nefertiti, The Beautiful One Has Come"、"Live at the Cafe Mont Martre (1962)"ややこしいが2つのタイトルで、それぞれ同内容のオリジナル盤とコンプリートバージョン、計4種類のalbumが計6種類くらいのジャケットデザインで出ている(笑)。

 "Conquistador(1966)"、 "Unit Structures(1966)" ... Blue Note Recordings
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 1965-66年にTaylorは最初のピークを迎える。この時期のTaylorは創造的アイデアに満ち、さまざまな相貌をみせてくれる。そのうちの2つが名門Bule Noteに吹き込まれた上記2作品だ。ここではNew Jazzと呼んでも差し支えないほどコンポーズされ、構築された彼の楽想イメージが記録された類稀なalbumとなっている。決してこれらのBlueNoteによるスタジオ・レコーディングだけが素晴らしいのでないことは言うまでもない。この時期に記録されたブートレグはどれも本当に創造的で圧倒的な記録となっている。
 正規のレコーディングとしては"Sudent Studies(1966)"をみるばかりだが、ここでは打って変って現代音楽的なアプローチがみられ、いつもの凶暴で暴力的なTaylorとはまったく異なる顔をみせてくれる。これもまた素晴らしい作品だ。

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 そして70年代、"Silent Tongue 黙舌(1974)"をもうひとつのピークとして、ややマンネリに陥りかけた彼は大学で講義を持つ傍ら自らの生徒たちの中から選抜して新しいunitを組む。その第一弾が''Dark to Themselves(1976)"であり、若干メンバーを入れ替えて挑んだ冒頭の"Live In The Black Forest(1978)"などの諸作として結実する。特に後者のRonald Shannon Jackson(ds)を加えたunitは最強であり、トータル4枚の正規albumと1枚のブートレグを残しているが、それまでビートの呪縛から逃れることで自身の荒野を切り開いたTaylor相手にJacksonがアミニズミックな力強いリズムを持ち込んだことでそれまでとは明らかに異なる地平を出現させた。Ramsey Ameen(vl)やRaphe Malik(tp)の参加も変化に富んだ素晴らしいサウンドを生み出すことに成功している。だが残念なことにその集大成と呼べるLP3枚組の大作"One Too Many Salty Swift And Not Goodbye(1978)"を最後にこのunitも短命なその活動を終えてしまう。

 そしてこの直後から、Taylorは再び長いスランプに陥る。。。しかも62年以来の相棒だったJimmy Lions(as)を86年に亡くしてしまう。
Jimmy Lionsはなかなか評価されない不遇なmusicianだが、彼はまさにTaylorの女房役として彼の音楽を支え続けた。実はLionsは、ほぼひたすらTaylorがpianoで弾くフレーズをaltosaxでなぞってみせることに徹したと言っていいかも知れない。パーカッシーブなpianoのフレーズを彼はaltosaxでなぞってみせることでピッタリと寄り添ったのだ。彼の死は新しいunitを模索していたTaylorをさらにスランプに陥らせる。頑迷な彼と共演者を繋ぐ回路を失ってしまったのだ。
 Taylorは、そこからの脱却を求めて、Max RoachやTony Williamsなどと他流試合に臨んだり、詩の朗読とバレエ・パーフォーマンスを取り入れてみたり、さらにはヨーロッパFree Jazz界とのFMPによるコラボを組んだりするが、共演者たちのおかげもあって、瞬間的な輝きは取り戻せても、自身のマンネリからは逃れることができなかった。だがその試みを続ける中で、当初は誰と競演しても、ほとんど相手の音を聴いていないのではないかと思えるほど、頑迷に自己の道を貫いていたTaylorにも、少しずつ変化が現れる。彼が自分より遥かに若いヨーロッパのFree Jazzmenたちの音に、指導者としてではなく、真に対等な競演者として耳を傾け始めたのだ。 だが彼がスランプから脱却し、柔軟にさまざまな共演者たちとインタープレイができるようになるには、なんと1990年まで待たねばならなかった。実に10年以上に及ぶ試行錯誤とスランプが続いたことになる。
 ※わたしは彼のステージに2度遭遇しているが、2度とも、この長いスランプの時期に当たっている。

 ここでも初期FMPの10枚組CDなどを評価する向きがあるが、Peter Brotzman(ts)などのネームバリューや編成の豪華さ多様さ(そして物量)に誤魔化されているだけで、本当に音世界をきちんと聴いているとは思えない。
 ※また人によっては、William Parker(b)の参加したTrio作品を評価する向きもあるが、"わたし個人的には"と断っておくが、彼のブンブンとうるさい、早弾きチョッパーベースか!?と思えるような粗野なベースは評価できないし、決してTaylorと相性がいいとも思えない。

 Coltraneの項でも書いたが、こんなにも評価がちぐはぐなのは、まともな批評文化が育っていないからだ。自己陶酔的で、自分の知っている(所持している希少盤など)ものだけが最高だとしたり、或いは他者の評価や既存の歴史的評価を鵜呑み(同調)にしたり、好きなmusicianを批判的にみれなかったり、古いものがなんでも素晴らしい(保守的)としたり、或いはレコード会社のコマーシャルに協賛する形で宣伝の片棒を担いだり(クリティカとしてはもっとも唾棄さるべき姿勢だが、日本ではどの分野でもそれが普通だ)・・・、数え上げれば切がないほどに愚かで浅はかな批評が罷り通ってきたからだ。歴史的価値と作品的価値を混同したりするのも上に書いてきた通りだ。個人的な自分の好みと他者に対するレビューを区別して書けないのも最悪だろう。そもそもの執筆家としての能力不足・資質不足だ。日本では評論家というもの自体の評価が低い。その所為もあって、評論という文化が育たない=存在しないということ自体が、この国にいかに"批判的精神"が欠如しているかという大きな問題を露呈している。マーケッティング戦略と商業主義が横溢する世界だからこそ、きちんとしたクリティカ(批評文化)が意味を持つ。評論文化のない温室栽培で、アーチストが育つことは難しい。況してやブーイングという反応を持たない"マス化"された日本の聴衆・読者・観客に任されるようでは如何ともしがたい。

さてもう一度、Taylorに話を戻そう。。。

 復活は"Nailed (1990)"で始まった。続く"Melancholy(1990)"、そして"Always a Pleasure (1993)"を経て、
2作品に分けられた同日のコンサート、"Almeda"と"The Light of Corona(1996)"でほぼ20年ぶりに最高のパーフォーマンスを繰り広げた。

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その後もTaylorの充実ぶりは続き、"Qu'a: Live at the Iridium, vol. 1 & 2 (1998)"、"Algonquin (1998)"、"Incarnation (1999)"と充実した演奏を聴かせてくれるが、以降再び彼の活動は停滞期に入ってゆく。。。間歇的にTony Oxley(ds)とのDuoをひとつのunitとして維持・活動したり、Anthony Braxton(as)などと競演したりしているが、決して新味のある想像的なプレイに成功しているかというとそれほどではない。やや安易に流されていると言ってもいいだろう。82才という年齢的にも、もはやいつ亡くなっても不思議ではない彼が、これまであの爆発的で凝縮された音の絨毯を渾身のテンションで演奏し続けてきたこと自体が不思議なくらいだ。以前にも書いたようにもはや、Keith JarrettやHancock、Dejohnetteに至るまで多くのmusicianたちが老境に達し、かつてのような創造的な演奏姿勢を喪失しつつある中で、さらに一世代上の彼がより過酷で激越なエクリチュールの世界で第一線にあり続けていることは脅威というしかない。近況が伝わってこないのが寂しいが、いずれにせよ、もうまもなく彼もわれわれの前から姿を消すことになるだろう。すべてのJazzが芸術であるはずなどないが、Jazzを真に芸術足らしめてきたアーチストがいるとすれば、間違いなく彼はその第一人者のひとりということになる。一度たりとも時代に阿ることなく、スランプにも挫けず、ただひたすら自身の信じた道を彼は歩み続けてきた。(※最近ではアイドル歌手もどきまでアーチストと名乗る所為で、アーチストという言葉はすっかり"芸術家"という意味をなくしてしまった感がある。)

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 たくさんのalbumを紹介してしまった。勿論、スランプ時期も含めて作品評価とは別に、すべての彼の活動記録には意味がある。だがもしもこのblogを読んで彼の演奏を聴いてみたいという奇特な人がいらしたら(笑)、次の中から"取り敢えず"入手できたものを聴いてみて欲しい。
 ※残念なことに彼のalbumはBlue Notoの2作品以外、CD時代になっても入手するのが困難であり続けているし、実は90年代以降のTaylorのalbumはどう探してもネット上にはほとんど存在しないため、上記に挙げた90年代ピークの作品のどれひとつ今のわたしには聴くことができない。ちなみにわたしは2007年までに発表されたブートレグを含むすべての彼のalbumをコンプリートに所持していたのだが・・・。涙>涙>涙。。。

"Sudent Studies(1966)" ... Trioフォーマットで現代音楽的な響きを聴かせる貴重なLive音源。
"Silent Tongue 黙舌(1974)" ... piano soloによるTaylorミュージックの原型(Live)。
"Live In The Black Forest(1978)" ... 若手を従えた最強unitでの躍動的なLive。
"Almeda"、"The Light of Corona(1996)" ... 欧州で活躍する若いmusicianたちと多人数編成で取り組んだ66年以来の現代音楽的な響きを持つLive。FMP。

 もちろん、ほぼ常にLive演奏を主戦場としてきた彼の最高のパーフォーマンスの瞬間は記録されていないものもたくさんあるだろうし、いくつかはブートレグとして出回っている。ここでも紹介したい素晴らしいブートレグがあったが、それは割愛した。

 最新作は2008年に"The Dance Project"(FMP)が発表されているが、録音自体は1990年と古い。(未聴)
現時点では2004年の演奏が最新のレコーディングとして陽の目をみているが(ブートレグでは2008年の演奏まで確認済み)、1956年のデビューから数えて54年間、現在も尚、彼は現役であり続けている。まさにその姿勢はFree Jazzの闘将と呼ぶに相応しい。


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第五回....Jazzとの出逢い   Eric Dolphy編  (附:近況報告) [Jazzとの出逢い]

エクアドル102日め(脱日本1394日め)・・・20.Marzo de 2011 (Domingo)

 どういう訳か今日一日ボーッとしている。。。久しぶりに1週間みっちり昼夜働いて疲れたのか??何もする気にならない。。。こういうことはわたし的には珍しい。ボーッとしていることが苦手で、そんな一日があると苛々してくるのが常なのだが、今日は一向にエンジンが掛からない感じだ。勿論、それでも朝から頭を刈って、洗濯をして、週末に撮影した写真の精査を済ませるくらいのことはしたし、昼飯もちゃんと自炊した。。。だがそれ以降、まったく何も手につかない。。。眠い訳でもなく、なんだかボーッとしたまま時間がゆっくりと過ぎるてゆくのに任せている。読書をする気にもなれないで、 ただ無駄に時間をやり過ごしている。。。ダメだな。。。
 そんな訳で、エンジンでも掛けてみようと、bogを書き始めたが、やっぱり無理みたい(笑)今日は長文も書けそうにありません。わはは
 Menuデザインの仕事も2件あるので、そのラフデザインくらいには取り掛かっても良さそうなものなのだけれどねぇ。。。ダレまくり。。。


 ニュースというのは世界を隠す。
日本の地震とリビア情勢が大きく取り上げられる一方で、スーダン情勢はほとんど見かけることがなくなり、クエートとサウジアラビア、バーレーン、アルジェリアなどアラブ各地の様相は隠されてゆく。パレスチナ・ペーパーとパレスチナ情勢は何処かへ消えてしまい、ロシアのテロさえもう記事にはならない。こうやって我々はハイチやチリ、中国の地震やバングラディッシュの洪水などを忘れ、アフガニスタンやイラクを忘れる。。。我々の意識はほぼ物量に支配されていると言っていい。物量が物事の価値観を示し、最新の情報が昨日の悲劇を、過去のものとして押し流す。限られた紙面という枠のある新聞ならまだ理解はできる。だがインターネットという本来、情報の量的制限がないはずの情報ソースがより著しくその傾向を示すのは頷けない。たかが百数十カ国の独立国家情勢について、日々配信する国家別・地域別のニュースソース(データベース)が存在しないことがインターネット文化の限界を示している。そしてそれが人々の記憶力と意識の限界を形づくっている。商業ベースという資本主義システムが情報そのものをコントロールしているのだ。そうやって日本の地震もいずれ世界から忘れられる。それはあっという間のことだろう。それを否定するのなら、同様に世界中の出来事に対して等しく目を向け、関心を寄せ続けなければならない。ありがたいことに、資本主義システムは大勢の人々が求めるものを提供してくれる。すなわち人々が求めない限りそれらは決して提供されないということだ。地震被害だけでなく、これから先、数十年に渡るであろう復興状況をつぶさに世界の人々に知ってもらうことは無意味ではないだろう。だがその為には・・・ということだ。

 


 ・・・そんなこんなという訳で、これまたPeruへ出掛ける前に、ほぼ書き上げていた"Jazzとの出会い その5."をupしてごまかすとしよう(笑)。
 

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第五回....Jazzとの出逢い   Eric Dolphy編


 Jazzという音楽はそれに触れたことがない人々が想像するより、ずっと幅広く、本当に様々なタイプ・スタイルに分かれている。Rockファンには申し訳ないが(笑)それはHard RockとHeavy Metal, Progresive Rock, Funk Rock, Acid Jazz etcという''些細な差異"よりもずっと幅広く、それこそClassic~現代音楽~Rock, Blues~Pops~Folkloreまでのあらゆるジャンルを網羅するくらいの幅がある。Jazzの歴史はたかだか1920年前後にしか遡らない100年ほどのものだ。だがそのごく短い期間にJazzは発生以来、常に多様性を維持しつつ、変化し続けてきた。その変化は直線的なものではなく、進化の樹のようにいくつも枝分かれしながら、他の分野から接木され、その裾野を広げてきたし、現在でも刻々と広がりつつある。
 だからJazzファンだからと言って、みんながみんな似たような好みであったり、似たようなJazzの概念を持っていたりする訳ではない。アーチストの好みということではなく、Jazzの中のジャンルそのものが大きく隔たっていて、まったく異なる嗜好であり得る訳だ。わたしにしたってJazzと出逢って35年以上経っても、いまだ一度も聴いたことがないと言っていい超有名アーチスト・ジャンルが山ほどある(笑)。聴かず嫌いと言われても仕方ないほどに興味を持ったことのない歴史に残る著名なJazzmenたちの群れがそこには存在する。

 そんな訳でJazzファンというのは、誰しも一直線に突き進んでくるわけではない。様々に寄り道しなから、時に行ったり来たり右往左往しながら、他のジャンルに比べて道しるべの極端に少ない、どちらかと言えば、分岐路ごとにそこに置かれたカードを捲って、旅を続けるような、或いは双六で行き先を指示される迷路ゲームのようなを旅することになる。だがすべての道は何処かで隠された地下道のようなものであれ、必ず繋がっている。それらを発見するのもまた愉しみのひとつであったりもするし、時にはその所為で道に迷ってしまうこともある。勿論、一箇所に留まり続ける人たちがいるのも事実だ。それは好奇心や冒険心・探究心の差と言ってもいいだろう。Jazzの世界にも指針となる指南書のようなものはあるし、人々を惑わすコマーシャリズムもある。だがそれらはClassicのように確たる指針とされるような教則本ではないし、RockやPopsのように人々を"マス化(大衆化)"し扇動するほどの強大なコマーシャリズムでもない。

 そう、ここでも誰か先輩や友人のような道先案内人・同行者を求める人もいれば、ただひとりで道を探しつつ旅する人もいる。それらは彼の個性・人格、もちろん環境によっても異なってくるだろう。すなわちJazzの個人史というのは詳しく見ていけば、きっとその人の"人と成り"を露わにするかも知れない。だから書評を通じて自らを語るように、Jazzとの出逢いを通じてわたしは自らの個人史を語っている訳だ。ここでもやはりわたしは独りで旅を続けてきた。上に挙げた"好奇心・冒険心・探究心"で言えば、かなりの偏執狂でもあるわたしの場合(笑)、圧倒的に"探究心"が強い。もちろん、上の3点はすべて必須であって、どれひとつ欠いても旅は続けられないのは当然だけれど。。。そう、タイプで言えば、深堀りしつつ、穴を拡大ゆくというやつだ。常に共演者たちを手掛かりに穴幅を広げてゆきつつも、その中で興味を抱いたjazzmanのalbumはデビューからすべてを徹底的に蒐集して聴き尽くしてきた。だからその穴は蟻の巣のようにあっちこっちに顔を出してはいるが、奥底では深く大きな、― Cecil Taylor, Charles Mingus , John Coltrane, そしてEric Dolphyたちが鎮座する深淵へと繋がっている。

 相変わらず、糞長いイントロだ(笑)。

 ・・・そんな訳で、tener-saxophoneに魅せられてGeorge Adamsへと辿り着いた高校生のわたしは、すぐに当時彼が在籍していたCharles Mingus へと手を伸ばした。何しろ大のお気に入りの"Jazz a confronto / ソング・フォー・アダムス"はMingusバンドからDon Pullen(p)とDannie Richimond(ds)の2人が参加していたので、安心して手を伸ばした。だがすぐに入手できた"Changes One", "Changes Two"という2枚のalbumはスタジオ録音で、悪くはないが期待したようなパワーはない。。。少し残念だったが、Mingusそのものも悪くない。だがAdamsはそれが初リーダーalbumだったから、まだほとんどJazzの知識を持ち合わせていなかったわたしは、次回作を待つ以外にないと思った訳だ。
 ということで、次はMingusの代表的albumを買ってみることに。。。そして専門誌に紹介されていた"Mingus Presents Mingus(1960)"というalbumを買って帰る。。。Eric Dolphy(as, b-cl,fl)が参加している。。。ん!?どっかで聴いた名前だぞ。。。あっ、Orenette Colemanの"Free Jazz"に参加してたな、John Coltraneのalbumでも共演してたよな!?(不確かだが、直前にColtraneの"Live at the Village Vangard"を聴いていたように思う。)ちょっと変なalto saxophone吹く人だよなぁ。。。ダイジョーブかな??。。。やや不安気ながらLPに針を落とす。。。
 ちょっと、いや、正直かなりドキドキ(笑)。。。

な、なんじゃ、コレワー!? す、すげぇー!?
みんなナニわめいとんねんっ!? ナンの楽器の音これ??

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※Charles Mingus "Mingus Presents Mingus"

 またしてもJazzという音楽は奥深さをみせてくれた。グシャ、ドシャン、ガガーン、ブギャーなFree Jazzとも違う(笑)。けれどV.S.O.P.のようなストレートアヘッドなJazzでもないし、George AdamsのようなバリバリゴリゴリのBluesフィーリング溢れるものでもない。それは実験的という意味ではとても前衛的であるけれど、それは何よりも"怒り"そのものの表現のようだった。。。
 そして何よりも例のEric Dolphyという人の演奏が素晴らしかった。それまでに前出の"Free Jazz"とColtraneの"Live at Village Vangard"辺りを聴いたことがあったはずだ。だが正直まったく彼に興味を示してはいなかった。なんだかよく分からなかったのだ。ハッキリ言えば音が外れているような気がして、邪魔だと感じいてた訳だ(申し訳ありませんっ!!汗っ)。。。だがここではそのちょっと奇妙なピッチがまさにピッタリとその音楽に当て嵌まっていた。その不思議な音楽はとてもユーモラスなメロディを持ちながも、驚くほど過激で、なにかよく分からないけれど、全体から"怒りのメッセージ"がオーラのように発せられていた。。。その音楽は決して誰にも、お世辞にも"美しい"とは言えないだろう(笑)。だがとにかく強烈なのだ。。。なんだろ当時嵌っていたBoxingで言えば、ハンサムでスマートなスーパーチャンピオンではなく、ブサイクでずんぐりむっくりで、だが怖ろしいほどに強い殺気だったハードパンチャーって感じだった(笑)Mingusたちの何を言ってるのかさっぱり分からない台詞というか、歌なのか、叫びなのか、そんな声も遠慮なくビシバシ入ってきて、楽器と掛け合い、一体となって、それまでに聴いたこともなく、想像だにしなかった音楽が繰り広げられていた。。。
 しかも信じがたいことにこのalbumから聴こえてくる多彩な音楽はたった4名のmusicianたちによって演奏されていた。だが何度聴いたって信じられない。まるで6-7名のJazzmenによって演奏されているのじゃないかと思うほどに豊かな分厚い音が響いてくる。。。これがMingusマジックだと知ったのはもっと後のことだ。勿論、Mingusを好きになるのにはこれで十分だった。だが・・・

 だがそれ以上に、もうすっかりEric Dolphyの虜になっていた♪わはは
すさまじい。。。耳をつんざくような鋭角的な、そして奇妙にズレたようなピッチの音を発する。。。彼はalto saxophone, bass-clarinet, fluteといった楽器を演奏するマルチ・リードプレイヤーと呼ばれるタイプに属する。だがその音は絶対に他の誰の出す音とも異なる。今でこそ、彼のモノマネ的にそういう音を出す人たちはいるし、多くのJazzmenの憧れである以上それは仕方ないと言える。けれど、彼以前に、彼のような音を出す人は決して誰一人存在しなかった。100%オリジナルな音だと言っていいだろう。まるで何か別の楽器、特注の楽器を吹いているかのようだ。Bass-clarinetをJazzの世界に革新的なスタイルと共に持ち込んだのも彼だ。そしてもはや誰も逃れられないくらいに確固としたb-clarinetのスタイルを確立させてしまった。現在のすべてのb-clarinetを演奏するmusicianたちは未だに彼の呪縛の下にあると言っていいほどに。。。わたしはMingusの音楽性ゆえにDolphyを再発見し、理解した。もしMingusの音楽がなければ、わたしがDolphyを見出すのはもっと遅れたに違いない。

 ※そうやってわたしは再び、"A Love Supreme 至上の愛"や"Live at the Village Vangard"を聴いて投げ出していたJohn Coltraneの作品群と向き合うことになった。今度はDolphyが目当てだった(笑)。彼の参加したalbumを買い漁り、そして徐々に晩年のColtraneへと近づいていった(発見した!!)訳だ。

 "天才"という言葉は彼のためにある。
わたしはやたらと天才なんて言葉を使うタイプではない。出来ればそんな言葉は使いたくないとさえ思う。だが紛れもなく彼は天賦の才を持っていた。。。天賦の才を持つとはどういうことだろう。いや、いろんな定義があって、そんなもの真剣に議論したい訳じゃない(笑)
だが彼の天才ぶりは、デビューしたときからその革新的な自身のスタイルをすでに確固として確立していたという点にある。たとえば、John ColtraneやCecil Taylorが独自のスタイルを完成させるのに要したキャリアと時間というものに比して、Eric Dolphyがその個性的で圧倒的なまでに類稀な演奏スタイルを最初期からすでに確立させていたということは驚くべきことだ。あとは周囲の理解が必要だっただけだ。聴衆だけでなく、pianoのようなsolo楽器ではない以上、一緒に演奏するJazzmenたちの理解が必須だった。また彼の人物像はColtraneやMingusなどにより語られているが、前記とは矛盾するようだが、とにかく片時も楽器を手放さず、練習し続ける努力の人だったと証言されているし、あの気難し屋の(すぐにカッとなってメンバーに暴力を揮うことさえあった)Mingusでさえ、決してDolphyには声ひとつ荒げなかったというくらい誰からも愛され、敬意を払われるに相応しい温厚な人物だったという。
 そして彼は即興演奏インプロヴィバイザーとしても真に"天才"と言えた。。。ColtraneはDolphyを愛した友人のひとりだったけれど、おそらく彼はDolphyの即興演奏家としての能力に嫉妬していたはずだ。ふたりの共演期間はそれほど長くはないし、常にDolphyは一歩下がって、Coltraneに自由に演奏させたけれど(Coltraneのsoloが長くなると彼は自身のsoloパートを大胆に削ってステージの進行を助けた)、さまざまなブートレグから明らかになるのはステージ毎のDolphyの恐るべき変貌ぶり(即興演奏)だ。
 それはColtraneのsoloを延々と引き伸ばしながら徐々にメロディを解体し、手探りで即興的アイデアを試すかのように展開してゆくといったスタイルとは違っていて、彼はもう最初の一音から即興の世界に入ってゆき、呆れるほど見事に展開してみせる。入り方が違えば当然その後の展開も異なってくる。だがColtraneを始め多くのmusicianたちはいつもと同じ入り方で即興に挑む。その差は他の追随を赦さないものとなる。だからDolphyは3分あまりしか録音できなかったSP時代のJazzmanのようにどんなに短いsoloパートでも素晴らしい即興演奏を展開してみせる。一方のColtraneはsoloパートが長くなれば長くなるほど素晴らしい即興演奏へと繋がってゆくという有様だった。これもまたDolphyの天才の証と言えるだろう(無論、陰の努力あっての話だろう)。

 振幅の激しいうねるようなaltoのフレーズ、鋭角的で"馬の嘶き"に譬えられる空間を引き裂くようなb-clや尖ったナイフのようなfluteの響き、それらは聴く者に異様さを覚えさせるまでに斬新であり続ける。。。それぞれの楽器を持ち替えて彼は独自の世界を気負うことなく、まるでそれが当たり前であるかのように淡々と演奏してみせる。。。
 おかしな譬えかも知れないけれど、彼はまるで"色盲の感覚"とでも呼ぶべきものを備えていたのではないかと思えてくる。色盲とはモノクロに見えるのではない。光のスペクトルの1つが欠けている所為で、他の多くの人々とは違った色合いにみえるだけのことだ。そもそも色なんてものは実態のないもので、すべての人がまったく同じ色を見ている訳でもないし、一色に塗りつぶした立方体をテーブルの上に置いて眺めるとき、我々はそこにいくつもの色合いを見つけることになる。それが立体視を可能にもしている。話が逸れたが、彼にはきっと常人とは違う音が聞こえていたに違いない・・・そんな風に考えたくなるほどに彼の紡ぎだす音は唯一無二の個性に溢れている。

 1956年から1964年というごく短いその活動期間に何枚かリーダーalbumを吹き込む機会もあったけれど、それほど多くの聴衆に理解されなかった彼の音楽は、ColtraneやMingusのように、十分な演奏スペース・機会に恵まれたとは言えない(54年のブートレグも存在する)。だから彼は様々なプレイヤーたちのalbumにゲストとして参加する傍ら、ColtraneやMingusのヨーロッパツアーに付き添う。自身の音楽を演奏するのは、寧ろ、その合間を縫ってという具合だ。
 そしていよいよ死の間際、彼は1964年4月、Mingusとの欧州ツアーの終了と同時に、Mingusに別れを告げ、そのまま欧州で独立した活動をスタートさせる。。。だがそれは遅すぎた。。。わずか2ヶ月の活動の後,彼はベルリンで最後を迎える。。。
(1928.6-1964.6 享年36歳、糖尿病による心臓発作)

 ColtraneとのLiveも素晴らしい演奏がいくつも残されているし、Mingusとの最後の欧州ツアーに至っては全ステージがひとつ残らず、彼の偉業として語られるべきものだ。だがそれらはMingusのためにとって置こう。

 Dolphyの奏でるメロディは、(fluteでのそれを除いて)どれも何処かユーモラスだ。だがそれらはキツすぎるブラックジョークのように決して笑えない。。。彼がどこへゆこうとしていたのかは誰にも分からない。時代はFree Jazzへと傾きつつあった。そんな中、彼はNew Jazzと呼ばれたFree Jazzとはほんの少し距離を取ったタイプのalbumを何枚か遺している。New Jazzと呼ばれたそれはアバンギャルドでありながらも決してコンポジションや、拡大されたとは言えビートの概念を捨てることなく、アブストラクトでモダンなJazzの創造を目指していた。。。だがDolphy自身の音楽は完成されるところまで行かなかった。本当にこれから・・・というときだった。

 前述したようにデビュー時からすでに自己のスタイルを確立していた彼の遺したalbumはすべて素晴らしいと言っていい。けれど、ここでも彼が自身の音楽を自由に実現しようとしたその最期の瞬間を紹介したい。わたしがそうであったように、最初、多くの人々は彼の"異様さ"に戸惑いを覚えるかも知れない。好き嫌いは自由だし、別に理解しなきゃならないなんて義務もない。ただわたしが彼に嫉妬を覚えずにいないのも事実なのだ(笑)。もしわたしがJazzmanだったら、彼のようでありたかった。もしわたしが芸術家ならAlberto Giacomettiのようでありたかったし、詩人であったらAntonin Artaudのようでありたかったと思うのと同じように。。。


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1960 "Mingus Presents Mingus / Charles Mingus" ...
これだけはどうあっても、Dolphy自身のalbumとしても外す訳にはいかない。恐るべき傑作。

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1963 "Iron Man" ...
冒頭1曲目のタイトル曲が言葉を失くすほど圧倒的でノックアウトされてしまう。Studio録音。

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1963 "The Illinois Concert" ...
近年になって発掘されたLiveだが、完成度の高い素晴らしい演奏が聴ける。"Iron Man"も演奏されているので聴き比べてみて欲しい。

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1964 "Out to Lunch" ...
Freddie Fubbard(tp), Tony Williams(ds), Andrew Hill(p)らとStudioで吹き込んだアバンギャルドなNew Jazzが聴けるBlueNote盤。一部の隙もない完成度の高いcoolな作品。このメンバーでのLiveでもあれば・・・と思わずにいられない。

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1964 "Last Date" ...
欧州で出遭ったメンバーたちと吹き込んだまさに最後の日々を記録したalbum。美しいflute演奏で有名な"You don't know what love is"も聴ける。


 ※相変わらずの蛇足を許して欲しい。。。前回書いたように、もしただ一人のJazzmanを選べと言われたら、わたしはCecil Taylorを特別なmusicianとして挙げるだろうし、楽器としてはtenor saxophoneがもっとも好きだと答えよう(20才の頃、2年間ほどtenor-saxを練習して投げ出した過去がある。恥)。けれど、もしJazzmanの誰かであり得るとしたら(その才能を受け継げるとしたら)わたしはEric Dolphyを選ぶだろうということだ。わたしはpianistになりたいとし思わないし、寧ろCecil Tyalorと共演してみたいと考えるだろう。同じようにJohn Coltraneとも共演してみたいと考えるに違いない。そんなことが可能なのは、そしてさらに突き進んで前人未到のJazzを創造できる可能性を秘めているのが、道半ばで早逝したDolphyだと考えているからかも知れない。天才になりたい??そうかも知れない(笑)。寂しい話だが、わたしのようにどんな才能にも恵まれなかった(自らを呪う)凡人は真の天才に憧れるものだ。

※勿論、DolphyにしてもMingusの欧州公演ブートレグの2枚ほどを除く99%completeなcollectionだったのだが・・・(涙)。


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