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そんなこんなでBoliovia~Chile国境物語。 [Chile編]

そんな訳で、さっさとBoliviaから逃げたしたいわたしは、バスターミナルへ。。。
なんとChile行きは、午前4時発、午前3時半の2社各1本のみ。。。
そんなこんなでホテルで寝たのか寝てないのかも分からない微妙な一泊。。。もちろん、わたしは夜中2時半頃には準備してコーヒー飲んでました。。。

今回はLa Paz直前の素敵な光景が撮影できなかった後悔を踏まえて、カメラをスタンバイ状態でバスに乗り込む。わはは

さて。。。問題はChile国境。
というのも、噂ではChile国境は食べ物の持込みが厳禁だと言われている。。。罰金を取られるらしい。
生ものなんて持ち込まないが、乾物もダメ、種子もダメというのが原則という。
だが詳しい情報はそれ以上にない。どれくらい、ダメなものか。。ダメなものは破棄で済むならいいが、合否を判断するのは、Chile国内の税関。。。
税関はChile国内だと言い張られればもうどうしようもない。。。
わたしは調味料としてブラックペッパーだの、唐辛子だの、豆板醤などをあれこれ持ち運んでいる。。。

そんな不安を抱えつつ、国境へ。。。のはず。。。はず。。。当然。。。
砂漠を走り続けるうち、なんかバスが時々停車する。。。なんにもない場所で。。。いや、そういや国境前から時々止まってたような気も。。。

そのうち砂漠の中の水溜りにバケツを持って走ってる姿を見つける。。。ん!?
なにしとんねん?? ラジエーター焼けてんのんか??

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そしてBolivia国境到着。。。
バスの助手かなんかに何をしてるんだ?と聞くと、バスの前面を指さす。。。
ダダ漏れ。。。わはははははははははははははははは
もうポタポタとかではなく、ボットボットと見てる前でどんどん水が滴り、いや、流れ落ちる。。。
これどないすんねん??大丈夫なんか?? 汗っ

しかしそんなことはお構いなく??無事になにごともなく、スムーズにBolivia国境を通過。。。

さて、ここからChile国境までは何キロも離れているらしい。。。

走り出したバス。。。と、ついにバスが停止し、運転手からのアナウンスが。。。わははははははははははははは
ラテン社会には珍しく謝罪と丁寧な説明と申し出。。。わはははは
"みなさんもご存知の通り、このバスに問題が生じておりましてxxxxxxxx、別のバスを手配しましたのでxxxxxx、Chile側の国境は物凄い混雑してますしxxxxxxx、到着までの間、ちょうどこの先すぐでフェリア(祭事)をやっておりますので、食事するなり、買い物するなり、トイレするなり(結果としてトイレなんぞどこにも存在しなかったのにだ!!)xxxxx、そこで取りあえず、すべての荷物を下ろしてくださいxxxxx"と言いい、またしばらくバスが走り始めたかと思ったら、また停止した。わははははははははははははは

我々は砂漠の真ん中で下される。。。
だが反対側をみると確かに人の山。。。なに??
そういや、フェリアとか言ってたよな。。。なに??

とバスを降りて反対側の人混みへ。。。
ははーん。。。

砂漠のど真ん中で何をやっているのかと思ったら、ちょうど日曜日の朝、周辺の山々に点在する村に住む先住民インディヘナの人々を対象に、日曜市を開催している訳だ。とにかく持ってきたものをそれこそ風呂敷の上に広げて、販売している。
みんな真剣に値段交渉、品定めをしている。。。
商品は、靴から肌着、衣類、日曜消耗品から、タイヤ、電化製品、ベッドマット、食料品、タンスなどの家具、CD、DVD...とにかくありとあらゆるものが売られている。

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十字架のうしろに貨物用線路がみえるが、その背後はすべて野外トイレですので、ご自由に用を足してください。

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商品は新品から中古までいろいろだ。
砂漠のど真ん中で新品のノートパソコンを品定めしている光景は面白い♪
ネットなんてできないだろ??
まあ、DVDみたり、ゲームしたりするのか。。。わはははははははははははは

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もちろん、傍らにはリャマなどを調理して、食事も販売している。
わたしもそこで軽く食事。。。実はもう国境を通過したので、ほとんどボリビア通貨を持っていなかったので、食べたいものは食べれなかった。。。
(こんなところでドルは通用しませんから、笑)

先に書いたようにトイレなんぞどこにも存在しない。。。
反対側は野外トイレ。わはははははははははははははははは
みんな遠くまで行って用を足す。
大きい方をしたい人たちはずっとずっと遠くまでゆく。
女の人たちはさらにさらにずーっと奥まで、人影が点になるまで、とぼとぼ歩いてゆく。。。かわいそうに。
なんせ剥き出しの砂漠やからね、わははははははははははははははははははははは
退屈すぎて、同じバスにた乗り合わせた唯一の外国人観光客であるフランス人カップル(♂29才、♀22才のウエイターカップル)と仲良くなる。
彼氏はスペイン語ゼロだが、彼女の方がスペイン語をある程度話せる♪かわいい♪わはは

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バスから降ろされた我々の荷物。。。

そんなところで、まあ、興味深くも1時間半ほど過ごす。(8時半から10時頃まで)

で、ようやく代車到着。。。さらにボロい。。。椅子全部壊れてるやん。。。

そんなオンボロバスでいよいよChile国境へ。。。
バスの中で入国申請書と共に、税関申告書が配られる。
あっちゃー。。。税関申告書の裏面びっしりに注意書きがっ!! バス運転手からも、絶対に生ものなどは持ち込めませんとしつこく警告がある。。。
そしてコカイン持ち込みなど絶対にやめてくれ。持っているなら直ちにバスを降りてくれ、とラティーノにしては超珍しいくらい真剣に熱くみんなに語りかける。。。

裏面を読むと、はっきりと明確に、野菜、果物など如何なる生ものの持込みを禁じる。
さらに種子類に至るまで、乾燥させたものであろうと、一切禁じると項目が続く。。。
そして発見した場合は、破棄だけでなく、罰金を科せられることに同意しますという文章にサインさせられる。。。ひー。。。

そんな訳で、ドキドキでChile国境へ。。。

だがここからがとんでもない。。。国境に着いたものの、バスからは降りれない。。。
一台、一台終わるまでバスの中で待機だとし言う。。。
20分経過、30分経過。。。クーラーもないバスの中は空気も入れ替わらず、もうなんだか気分が悪くなる。。。
ちょっと息を吸いたいから5分だけ降ろせと言っても断られる人々。。。
わたしも気分が悪くなりそうだったので(いや、イライラしてね。笑)、運転席まで行って、彼らと話をしながら涼む。。。(扉は開放されているのでそこだけ涼しい。笑)

40分近くして、ようやく降車の許可が下りる。。。
だがここからまた全然進まない。。。他の乗用車などを優先させていて、バスの我々は放ったらかし。。。
再び1時間くらいしてようやく動き出す。。。と思ったら、わずか10分ほどで全員の検査終了。
心配した食品は、すべてひとまとめにしてあったので、彼らに"個人の料理用だ"と説明。新品の山椒(中国生産)で、なにかと疑義があったようだが、それは種ではなく、種を取り除いた殻なのだと一生懸命説明。なんとか納得してもらった。わはは

そんなこんなで散々時間を無駄にしたが、ともかく無事に国境を通過。
いつもいつも国境というやつは何かと問題があるけれど、ホントそれもこれも意外と面白いネタだったりする。ネタかよ。。。わはははははははは

さて、そこからオンボロバスの旅は結局午後3時まで続く。。。
もう忘れた頃にCalamaというこれまた砂漠の町に着く。。。
着く前からバスの窓越しに、わたしはこの田舎町が嫌いになる。。。醜い町だ。。。
こんな町で一泊するなんて嫌だな、という気になる。。。

隣に座っていたボリビア人の女性と話をしてると、夜は麻薬中毒の連中がたくさんウロウロするから気をつけてね、と言われる。
思わず"きみの国の特産品じゃないか"と言いそうになったが、言葉を飲み込む。わはは

さて。。。バスが到着して、最初にすべきことは。。。
そう両替。
Chile国境には両替場所がなかった。。。或いは日曜だからなのか。。。

両替しなきゃ何一つできやしない。。。
喉はカラカラだし、腹はぺこぺこだし。(いっつもコレ。わはははははははは)
でも水ひとつ買えやしない。。。
で、バスターミナルで訊くが、両替はできないし、両替所は日曜なのでどこも閉まっているという説明。。。
Santiagoへのバスは今夜9時半発が250CP(約43ドル)あるが、ドルでは販売しない、と抜かしやがる。。。
あほっ、そんな説明いるかっ、お前とこの責任問題やろっ!!
フランス人カップルもこの後どうするか迷っている。彼らはカードで下せば両替の必要はないと言うが、こんな町で泊まるのか、San Pedro Atacamaという町へ乗り換えるのか。。。

ともかくわたしは両替が先決。
彼らにちょっと荷物を見てもらって、わたしはその一角を人々に尋ねながら走り回る。。。だが両替所はすべて閉店している。。。バカなっ。
どうにもならん。。。

さて、わたしはターミナル前に止まっているタクシー運転手と交渉。
"乗りたいが両替しないと払いようがない。わたしを乗せて、どこか両替してくれるところを探せ。探せたら払えるが、探せなかったら払いようがない。"と。わははははははははははははははははははははははははははは

タクシーの運ちゃんは、なんとかなるんじゃないか、もしなかったらカジノへゆけば、ドルを両替してくれるだろうから、とわたしの話に乗る。わはは
フランス人たちは結論もでないまま、とにかく銀行へゆくと言うので、お別れ。。。

で、タクシーで運ちゃんの心当たりの両替所へ。。。だが2軒とも閉まっている。。。
運ちゃんはカジノへ向かおうとしたが、わたしはあることを思いつく。
そうだ、一番高い長距離バス会社のターミナルならドルで買えるんじゃないのか?そうすればお釣りでタクシー代くらい払えるし、水も飲めて、なんか食べれるだろう。。。

ということで運ちゃんに、Pullman Busか、Tur Busのターミナルへ向かわせる。
だがなんと券売所のおっさんはドルでは販売できないと言う。だが売店で両替してくれるという情報♪
やったあー♪
売店のおばちゃんはレートはよくないけど両替はしてくれると言う。
いいよ、仕方ない。なにがなんでも必要なんだから。
すぐに両替して、タクシーの運ちゃんに支払って荷物も下す。。。いや、その前に水をゴクゴク。。。ぷっはぁー。。。♪
売店のおばちゃんといろいろ話すうち、ちょっとわたしがアレコレ動く間も、荷物も預かってもらう♪

さて、今度は列に並んでTur BusでSantiagoゆきのバスを尋ねる。。。なんと460CP-680CP($79-$117)だという。
高すぎるっ!! 買えるかっ!!
確かに乗り心地や食事サーヴィスなど違うだろうが、そんなもん。。。わはは

という訳で、再び、元来たExpress Surというターミナルへ。
そこでチケットを買って。。。さて。。。なんか食わな。。。
ターミナルの向いの売店で、再び水を買って、なんか安くて腹の膨らむものはないかと尋ねる。
フライドチキンの店を勧められる。。。まあ、仕方ないか、日曜だし。。。

で、歩き出すと、すぐに嫌な連中と出会う。。。まだ5時頃だというのに、異常なハイテンションのもう若くもない大人の男女。。。
中坊並みの異常なハイテンションは彼らがすでにデキあがっていることを示している。。。ジャンキーだ。。。
女たちの仕草は完全にイカレテいる。。。

勧められたフライドチキンの店で食べていると店前では、また別のおっさんが踊っているかのように歩いているのを見かける。。。
ターミナルへ戻ると、目の前のごみ箱をまだ若い女が漁っている。。。
さらにその前で、自転車に乗った少年を無理やり引き留めたおっさんが、"20,000CHやるから、5分だけ自転車を貸してくれ。すぐに戻ってくるから。。。"と自転車を掴んで離そうとしない。。。もちろん、はなっから20,000CHなど持っているはずもない。隙をついて奪いたいだけだ。少年もそれに気づいているが怖いのか、振り切ろうともせず、ただ断わり続けている。。。

そして極めつけはターミナルですることもなくただ3時間、バスを待っている間に起った。。。
先ほどチキンの店を教えてもらった売店の前に若者たちがいたのだが、その隙をつくように誰かが走り逃げた影を偶然見たっ!!
泥棒だっ、直観したわたしはもうどうしようもないけれど、ともかくターミナルを出て、売店の向いで何が起こったのか見ていようと思った。。。と、突然、罵声が響く!!

やはり何か盗まれたのだ、しかもどういう訳かまったく分からないが、店前にまだ泥棒の仲間が残っていたのか、すぐに殴り合いが始まる。だが泥棒の仲間と思われる奴は鉄の棒を振り回して、相手を流血させる。。。もう売店のおばちゃんや息子、娘たちまで悲鳴に近い罵声を、暴漢たちに浴びせかける。多分、もうとっくに顔の知られたゴロツキたちなのだ。さらにその角には仲間と思われる奴がその様子を傍観している。。。
おばちゃんたちの罵声を聞きつけて、隣りの家からも人々が出てくる。近所は助け合わなければならないのだ。
暴漢たちは威嚇を繰り返し、ぐずぐずしながらも、鉄の棒を振り回しつつ、去ってゆく。。

何回か書いてきたが、わたしは本当に鼻が利くのだ。。。
こういう町だということは、なんとなくだが、町並みを見て感じたのだ。。。
嫌悪感がどこから来たかは分からない。けれど、はっきりとこのCalamaの町はとても醜いと感じた訳だ。

タクシーの運ちゃんや売店のおばちゃんたちはみんな親切な人たちだ。
前にも書いたが、危険な町に住む人々と雖も、たとえば95%の人々はとても親切で優しい人々なのだ。
彼らは危険な町だからこそ助け合って生きているし、人々を助けることも知っている。だが彼らもまた被害者でしかない。
95%という数字は、100人に5人がゴロツキだという事実を示す。
100人中5人という数字は、現実的には十分すぎるくらい危険なのだ。
5000人の町だと250人のゴロツキがいる勘定だからだ。。。
たとえ4750人のステキな人々が住んでいても、その町は危険で忌み嫌われる地区となる。。。
とても哀しいがそれが現実なのだ。
それがスラム街の基本構造というものなのだ。
人々は危険であればあるほど助け合って生きている。だが彼らもまた被害者になるばかりなのだ。彼らがいるからといって安全な町にはならないのだ。
それは世界中の紛争地帯でも同様の構造を持っている。過激派だとか言われる連中も実はほんの一握りなのだ。。。
だがそいつらが町の運命を、国全体の運命を悲劇へと導いてゆく。。。


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Boliovia~Chile バスからの風景 [Chile編]



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Bolivia側ではUyuniを出てしばらくすると、火山岩の奇岩が立ち並ぶ回廊を延々と走る。。。

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Chile国境を超えると砂漠地帯が広がる。。。

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完全に枯渇した湖。。。
もう数百年は枯渇しているのだろう、そんな巨大な湖がいくつも散見される。。。

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砂漠の中に主を持たない野生のリャマたちをみかける。。。

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砂漠の中、海岸部へ近づくと、La Serenaの素晴らしいビーチが姿を現す。。。
ここでゆっくりしたかったなあ。。。
いくつものビーチがあって町を成すもの、ビーチだけ、リゾート、手つかず。。。と様々な表情を見せている。


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さらに風力発電機が立ち並ぶ丘が続く。。。
日本にもどこかにあるらしいが、やはりこの雰囲気は海外だな。。。

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基本ずっと海岸沿いを走るものだとばかり思っていたが、突如、海側に山々の連なりが姿を見せる。。。
バスはその山々の背後を走る訳だが、そうなると急に風景が変わる。。。
砂漠が緑へと変わる。。。海からの風を山々が受けて、その背後に緑を齎している。
そうだ、考えれば、日本の国土が砂漠化から逃れられているのはモンスーン気候のおかげなのだ。

そしてそのまま海側に山々を眺めながらバスはチリ市内へと入ってゆく。

ビーニャ・デ・マルやバルパライソといったチリ近郊の港町は、その山々の向こうに隠れて見えない。
極端に細長い海岸沿いの国Chileは基本的には砂漠の国であり、海岸部に張り出した山々によってわずか中央部に首都Santiagoを始めとするいくつかの町を持っているに過ぎないのだということが分かる。

先日も書いたと思うが、これがバスの旅の楽しみ方なのだ。
次々と姿を現す国土、移り変わる風景を眺めながら旅という感覚を味わう。
風景の移り変わりもなく、飛行機でビューンっちゅうのはいかにも味気ない。
いきなり首都Santiagoに着いたら、いったい何を知ることができるだろう。それはただの都会だ。
Chileという国のほんの一部でしかない。



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そんなSantiagoの日々開始。。。 [Chile編]

そんな訳で、10月27日、夜8時、Santiago, Chileのバスターミナルに到着。。。
取りあえず、ターミナルで食事をして、タクシーでガイドブックにあった一番安いホテルへ。。。
ところが満員。。。
仕方ない、ホテルで聞いた情報を頼りにまたまた夜のホテル探し。。。わはは
デカい。。Santiagoの町はデカい。。。結局、散々肩が痛くなるまで歩き回って、なんとか最初のホテルより安い宿を見つける。。。
但し、Chileは異常に物価が高い。。。高いとは聞いていたが、予想を遥かに上回る。。。ひー。。。
なんと最初の宿はドミトリーで$18。。。わたしが宿泊しているのはドミトリーで$15。。。バカなっ、Colombiaよりさらに高いっ!?
個室シングルで1ヶ月の割引値段を尋ねたら$800だとーっ!?それは日本の家賃なのかっ!?
わたくし生活してゆく自信が揺らぎました。。。とほほ

ともかく寝るしかない。わはははははははははは

そんな訳で2日め(10月28日、火曜)、おちおちしてられないわたしは早速、携帯電話のシムチップを買い、名刺に番号を書き込んでから、地図を手に繁華街レストラン街を歩き倒す♪
うーん、そりゃあ、レストランは無数にある。ありすぎるくらいある。巨大でモダンな大都会だ。
地下鉄もあって、移動には困らない。それに歩けない距離でもない。
3-4駅分くらいなんでもない。なぜなら標高がたったの500mだからっ♪若返った気分♪わーい♪
息切れしません♪体が軽い♪
もうターミナルでリュックを背負った瞬間に感じました♪ああ、これが気圧差なんだと。。。
もちろん、これまでにもあったことで、こんな感覚は3-4日しか続かない。慣れれば、相変わらずしんどいもんだ。わはははははははははははは

下見なので、迷いながら限界まで歩く。。。
そそ、一応、地図はもっているし、ときどきは見るけれど、基本的にわたしは地図を多用しないタイプ。
一度大体の方向を見定めたら、あとは勘任せで、ひたすらレストランを探して歩く。。。当然のように迷う。。。
何度も何度も迷う。けれど、そうやって道を覚え、町の全体像を掴むことができる。
道ゆく人々に何度も何度も尋ね、時には、いや、しょっちゅう騙され、とんでもない距離の無駄足を踏み。。。わははははははははははははははは
だがChileは町の構造(番地の組成)がしっかりしているので、意外にみんなしっかり教えてくれるし、分かりやすい。

だがさすがに疲れていることも実感する。12時頃から4時前まで歩き倒して、ホテルへ戻る。。。夜も出掛けたかったが、もうゆっくりすることに。。。

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3日め(10月29日、水曜日)

昨日目をつけたレストランをとりあえずまわり始める。。。
なんとか小さいながらも1件の仕事を受注♪ 他に見積りを一件。。。翌日のアポ1件。。。
まあまあ、上出来です。

ついでにアパート探しも開始。ネットで得た情報を頼りに、アパートも尋ね歩く。。。
高い。。。やっぱり高い、というか、価格はホテルに比べると遥かに安いのだが、狭いっ!!これまでに見たこともないくらいどこも狭いっ!!
もう畳3畳くらいの部屋にシングルベッドと簡易机でいっぱいいっぱいの部屋。。。それで$300-$400だ。びっくりっ。。。学生たちが多く住むアパートなんかは、同じように3畳くらいの部屋にシングルベッドと簡易机でいっぱいいっぱいの部屋なのだが、どこも窓なんてひとつもない。窓のない畳3畳の部屋に4年も住んだら気分も滅入るんじゃないのか。。。大きな建物1軒丸ごとをとにかく小さく仕切って、仕切ってというもので、しかもキッチンは50部屋くらいに対して、たったのひとつ(トイレなどはたくさんある)。だが誰も利用しない。理由はフライパンから鍋、コップやお皿まで全部自分で用意しなければならないということ以上に、なんと共有スペースとしての食堂がなく、狭いキッチンでの飲食を一切禁じ、キッチンには一切の保管用棚がない為(わざわざ釘つけしてある)、住人たちは毎回、自室から鍋釜お皿一式をキッチンに持ち込んで、料理をしたあと、窓すらない自室へ持ち帰って、食事をしたあと、再び、鍋釜お皿一色を持ってキッチンへ行って洗い物をし、再び自室へ持ち帰らなければならないのだ。そんなバカげたことをする学生なんて誰もいない。。。これはまるで監獄並みだ、日本のウサギ小屋どころか、豚小屋に近い。。。
だがこれが学生たちや下層労働者たちの生活の実態なのだ。市内で月$300程度のアパートというやつは、ほぼすべてこのタイプだ。
何軒も回ったが、もうげんなりしてしまう。。。

で、月$400程度のところを回るが、狭さはまったく完全一緒だ。
畳3畳のスペースにシングルベッドと簡易机でいっぱいいっぱいの部屋。
但し、こちらは窓くらいはあるし、普通のアパートなので4-5部屋に対して、キッチンもあれば食事スペースだってある。
それでも決して小奇麗とも言えない古びた部屋だ。最初に見たときには、こんなとこ住みたくないなと思ったが、例の学生・労働者アパートを見たあとでは、なんだか住める気分になってきた。わははははははははははははははははははは

しかし、これがChileの実態なのだ。
物価と家賃の高い市内で、人々はこういう生活を強いられている。
もちろん、市内でも住宅地へ向かえば、広さは相変わらず一緒でも、もう少し快適で清潔な空間はある。
(だからこの畳3畳というのがChileでは或る意味でなにか一人部屋の最低基準の広さなのだ。信じがたいが、どこもみんなそんな広さなのだ)
但し、わたしが見たのは、やはり共同リビングの裏部屋だったり、台所裏部屋だったり、とこれまで他の国々で間借りしてきた"普通の部屋"とはまったく異なる窮屈な空間だ。そして$400以上の家賃と保証金がいる。。。
問題は補償金だ。ちゃんと戻ってくる保証はない。わはは
半額くらいは意味もなく引かれたりする。。。だから定職も決まっていない現段階では払いたくない。
1ヶ月後に遠い地域で仕事が決まって出ると言ったら、最悪没収なんてケースだって考えられない訳じゃない。
そんなことで揉めるのはこりごりだ。(最初にEcuadorで借りたアパートでは保証金の返還で揉めた。わはは)

アパート探しと仕事探し。そんな一日でした。わはは


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死者の日とアジェンデの面影。。。 [Chile編]

4日め(10月30日、木曜日)

そんな訳で、ハンバーガーの撮影。。。わはは
そして引き続きアパート探し。。。

もう一軒のアポ、日本食レストラン。
実はガイドブックに日本食レストランが3軒載っていたのだが、2軒は日本人経営と書いてあったので無視。わはははは
そして残りの1軒に。。。ところが、これまた27年もやってらっしゃる日本人のお店。。。あちゃー。。。
いや、別に何も悪い訳ではない。ただ日本人経営の店にわたしは必要なかろうというだけのこと。わはは
外国人経営の店の方が、わたしの需要は高いはずという読みだ。(笑)
だからこれまでの日本人経営の店と知って飛び込んだことはない。(気ぃ使われるのも嫌やしね。。。笑)
ところがちょうどFB、HP用に写真が必要なのだというお話。それはそれでありがたい♪
そんな訳で、とりあえず来週打ち合わせをさせて頂くことに。

しかしアパートは決まらない。。。どこも保証金がいる模様。。。
ちゃんとした仕事の目途がつくまでは難しいかも。。。しかしずっとドミトリー??
気ぃ狂うわ。ひーん。。。

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5日め(10月31日、金曜日)

昨日遅くまで掛かって、撮影したハンバーガーの写真を精査、そして切り抜き。。。なぜなら朝10時半に引き渡しの予定だったから。。。
そんな訳で、朝から訪問前に、事前確認してくれと言われていたので電話。。。だが出ない。。。何度電話しても出ない。。。
店に電話するも、店の従業員も朝から連絡が取れないと言う始末。。。あはん。。。

そんなこんなでまた営業に出掛けたがどこもかしこも閉まっている。。。なぜ??
えっ!?死者の日って祝日??
何の日かは知らないが、とにかく祝日であることは間違いないらしい。。。営業なんて出来ません。。。とほほ

で、仕方なくホテルに戻る。。。なにしよ??

。。。。。。。。。
。。。。。。。。。
。。。。。。。。。

あっ、

そうやっ、死者の日やん。

墓地行こ♪ わはははははははははははははははははは

そんな訳で墓地cementerio行って参りました♪ 毎度っ♪

デカい。。。信じられないくらいデカい。。。
いままで訪れた中で最大規模。
Guayaquil(Ecuador)やLima(Peru)もデカかったが、そんなもの比較にならない。。。それらの4倍はあるんじゃないかという広さ。。。
驚いたことに、墓地の中を自動車が自由に通行できる。こんな墓地初めて!!
いや、それが当然と思えるくらい広い。。。広すぎる。。。
大勢の人々が花を供えに訪れていて、賑やかな墓地。。。だが迷うわっ。わははははははははははは

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まずはChile社会の豊かさを痛感させられる。。。これまでとは雰囲気もなにもかも違う。
もちろん、貧しい人々、一般の人々の墓もたくさんある。だがそれにしたって、或る種の豊かさを感じさせるほどだ。
それき豊かな緑に表れている。墓地の中は緑でいっぱいだ。こんなに蔽い茂った緑の墓地も初めてだろう。
木陰があちこちに出来ていて、強烈な日差しから参拝する人々を守ってくれる。

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そそ、当然というべきか、アジェンデの墓を探してみる。。。だが広すぎて手に負えない。。。
いろんな人に訊いてまわるが、どれもこれもいい加減。。。
それに富裕層の人に訊く訳にはいかない。。。いや、訊いたって嫌な顔をされるのがオチだとハナッから分かりきっている。
(えーと、アジェンデは世界初、民主主義選挙によって選ばれた社会主義のチリの元大統領で、1973年、軍事クーデターによって倒された。だから富裕層の人々にとっては敵。)
そんな訳で、ともかく事務所を目指すが、どうにもそこにさえ辿り着かない。わはははははははは
広すぎる。。。汗っ

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あちこち撮影しながら歩いていると或る墓碑の前で、ご婦人から声を掛けられる。。。いや、謗られる。。。
"ちょっと、それはグラディス・マルリンって共産主義者の墓よ、分かってるのっ!!"って非難だ。そらっ、見たことかっ!? わははははははははは
わたしは彼女の名前は知らなかったが、2005年に亡くなった活動家で、ピノチェト裁判にも活躍した人らしい。

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※グラディス・マルリンの墓碑。。。

Allendeの霊廟は立派だ。。。
けれど死者の日で、墓地の中はたくさんの人でいっぱいだと言うのに、誰も訪れる人はいないのか、おそらくただ一人が供えたと思われる花かポツンとあるだけだった。。。
もはや誰もが忘れてしまったというのか。。。それが現実なのか。。。

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※サルバドール・アジェンデの霊廟。。。

そしてもうひとつ、事務所で聞いた"行方不明者のメモリアル"へ。
ピノチェトが米国CIAと組んだ軍事クーデターでは(それは後年、CIAの資料で明らかとなっている)多くの市民が逮捕され、拷問され、多くの市民がいまだに行方不明となったままだ。

複数の入り口のひとつの目の前にあるにも関わらず、ここもまた多くの人々が素知らぬ顔で通り過ぎてゆく。。。
わたしが撮影していると、外国人がなにしてんだっ、みたいな視線を感じないこともない。。。
自国への非難でも感じ取る人々がいるのかもしれない。。。

だがしばらく見ていると、何人かの人々が足を止める。
ある老夫人がおそらく娘と思われる女性に付き添われて、行方不明者のメモリアルの中で身内の名前を探している後ろ姿を見せられて、いや、まだ歴史は終わっていないのだ、終わらせてはならないのだと痛感する。
(1973年、わたしはまだ12才だった。もう十分にパレスチナだとか、ハイジャック、軍事クーデターetcという言葉には興味を持って新聞を眺めていたが、実のところ、いや、もちろんのこと、その意味するところは何一つまったく分かっちゃいなかった。わはは。わたしがChileの軍事クーデターという事象を理解したのは16才の時、同事件を扱った映画"サンチャゴに雨が降る"を見たときだ。)

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※軍事クーデターによる行方不明者のメモリアル。。。
おそらくは子供の名前を探す老婦人とその娘。。。

別の若いカップルもまた足を止めて、誰かの名前を探している。親族の誰かが刻まれているのだろう。。。

ついでにパブロ・ネルーダの墓も...と思って尋ねてみたが、そうそう彼はバルパライソのどこかの島か、海岸に眠っているのだ。
ここには彼のものはない。
(ネルーダはチリの詩人。"20の愛の詩"などで知られるが、後年は社会主義闘争の詩を謳い、クーデターの数日後、軍の妨害もあって、病院へ急行できず死亡。毒殺も疑義されたが、推測の域を出ないし、当時の政治状況でそんな面倒臭いことをする必要性はなかったはずだ。"マチュピチュの高みにて"を含む"大いなる歌"は彼の最高傑作である、とわたしは思っている。笑)

 


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Valparaiso / Viña del mar [Chile編]

6日め、7日め(11月1日-2日、土曜日&日曜日)

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そんな訳で、週末はValparaiso / Viña del mar で仕事探し♪
Valparaiso / Viña del marというのは、Santiagoの西、海岸部にある港町で、特にViña del marはリゾート地として有名。
Chileでは12月から夏に入るということで、Viña del marはハイシーズンに突入するという。港町だし、きっと魚介類も豊富だろうから、日本レストランもあるかも知れないという読み。

再び。。。そんな訳で、Santiagoから2時間かけてValparaisoへ1泊2日でリサーチ。ここで安宿を確保して、ともかくViña del marへ急ぐ。
めずらしくネットで徹底的に下調べ済みのリストを手に、片っ端から日本レストランを当たる。ここではシェフとしての仕事を探すのが目的だし、時間もないので、ともかく虱潰しというやつだ。わはは

。。。。。。。ところが、ところがだ。。。。

日本食レストランとは名ばかりで、どれもこれも宅配中心の小さな小さな寿司デリバリー店ばかり。。。
SushibanというSantiagoの和食チェーン店が大きな店を構えていたようだが、すでに閉店済み。。。失敗したのか??
もう1軒あったはずの中規模レストランもすでに閉店し、他のレストランがオープンしていた。。。
小さなデリバリー寿司店がこんなにたくさんあるのに、中規模以上の店が一店舗もないなんて不思議な町だ。
4店舗を抱える寿司店も完全デリバリーなので、わたしの出る幕などありゃしない。わはははは
しかしそうなるとせっかくの港町なのに、観光客が利用できるような日本食レストランはほぼ皆無ということになる。
不思議な話だな。。。

という訳で、わたしを雇って稼がせてくれるような店は一軒もない。。。
まあ、1軒、わたしに興味を持ってくれて、あすにでも共同経営者と相談して、月曜には連絡する、とまで言ってくれた店もあったが、如何せん店が小さすぎる。。。共同経営者とわたし3人分の給料など出るはずもない。テーブル4つとカウンターだけ。。。無理無理。。。
もう1軒、Viña del marにある店を改装中のレストラン。本店は別の不便なところにあって、今回は足をのばせなかったので、とりあえずメールを送っておいた。ちょうど改装中だから、興味くらいは示してくれるかも??だ。 まあ、現時点ではそこもデリバリー中心のようだけど、今なら間に合うか??(なにが??笑)

さて。。。仕事の話はこれくらいにして、Viña del marの方は、わたし的にはなんの興味も湧かない町だが、Valparaisoはなんだかとてもわたしを惹きつける町♪
古びた、鄙びた町で、町中、壁という壁に落書きアートが施されている。。。
それがまたいい味を醸し出しているんだ、これが♪
古い建物がびっしりと立ち並び、港には大型船舶があちこちに停泊している。
断崖の町だから、古いロープウェイでもない、エレベーターのような箱が斜面を登って人々を上げ下げしている。(日本語忘れ気味)わはは
今日は3連休中ということもあってか、ほとんどの店は閉店していたが、平日だともっと活気があっていい町だと思える。
さらに、ここには観光客用のレストランが断崖エレベーターの上の方にいくつもあって、見晴のいい高級レストランもあったりする。中には日本人らしき名前を持つ店もあることにはあるのだが、同じくとても小さい。テーブルはテラスに2つだけという、小さすぎる規模。。。

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※なんとViñaには公共のカジノがあった!!

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ついでに言うと。。。わたしはどうにも勘違いしていたのだが、Valparaiso / Viña del marは意外と寒い。。。
いや、今は夏シーズンではないので、"夏(12月から始まるらしい)になったら暑いよ"と言われたが、いずれにせよ、海水はもの凄く冷たいままらしい。。。人々は今でも泳ぐというか、水浴びしにきたりしているが、本当に冷たくて、冷たくて...と言う。わはは
今はまだ風も冷たく、夜は本当に寒いくらい。。。海岸部だと思って、思い切り薄着で来たわたし。。。ひー。。。わはは

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さて、さらに魚市場を調査に出かける♪
だが魚の種類は極端なまでに少ない。。。貝類はある程度種類もあるようだが、魚そのものでは寿司ネタに使えそうなものはヒラメを除いて、ほとんどない。。。
ここはMantaやLimaとは違って、同じ港町でも随分と様子が異なる。スーパーでは冷凍の魚介類しか並んでいない。
Chileは意外に、海産物には恵まれていないとでも言うのか??そんなバカなっ!?

そんな訳で、Valparaiso / Viña del marは、わたしをお呼びでない模様。。。

となると、もうこの際、仕方ない。Santiagoに帰ったら、片っ端から日本食レストランをローラーしてみるか!?
どうやらSantiagoでわたしが稼いで生きてゆくにはそれ以外に方法はなさそうだ。。。ふぃ~っ。。。しばらく厨房の仕事から解放されたかったのになあ。。。とほほ

 

 


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Valparaiso / Viña del mar 追加写真 [Chile編]


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但し、水は冷たい。。。

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※何気ないヨットハーパーの写真だが、なんとヨットは台車に載せられて陸上げされている。。。
どうやって台車に載せるのか、海に鉄板を下して坂道を作るようだが、それにしても。。。だ。

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海産物市場の車の上には夥しいばかりに。。。わはははは

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長い海岸部を持つチリでは海軍は重要な地位にある。。。映画"サンチャゴに雨が降る"の冒頭でも海軍の戦艦が映る。。。

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お待たせしました♪ いや、誰も待ってない??
なんとValparaisoの墓地は断崖の丘の上にある。わはははははははははははははははははは

 


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イスラーム国(旧ISIS)について。 [Chile編]

さて、世界を騒がせている旧組織名ISISこと"イスラーム国(Islamic State)"について触れない訳にはいかなくなってきた(なんで??笑)
まあ、理由はともかくも、だ。わはははははははははははは

 だが"イスラーム国"について書こうとすると、そもそもムハンマドに遡って書かざるを得なくなる。。。
それはとんでもなく長いものにならざるを得ないのは、さすがに皆さんご存知の通りだ。わはは
おまけに、それらは2001年9月11日の事件当時このblog(前身のblogでもう消えてしまって、その一部は http://hankotsu.blog.so-net.ne.jp/ に転載してある)書いたことの焼き直しになる。
だが考えてもみて欲しい。もうあれから13年が経った。。。当時10才だった子供たちがもう23才になった訳だ。わたしが10才の頃、TVのニュースをみてパレスチナゲリラに憧れたように??、9.11をみて、まあ、憧れたりはしないだろうが、そういうテロと呼ばれる事象や背景に関心を惹かれた子供たちがいても不思議ではない。だが当時彼らは、1971年当時のわたしと同じく政治的な意味では何一つ理解しなかったろう。
(※そう言えば、最近、日本からシリアへ渡航したとか、しようとしたとかいう連中は10才児童と変わらぬ知性な訳だ。いや、それ以下か??苦笑)
願わくば、そういう子供たちが興味を持ち続け、自力で調べ上げ、陰謀論などではなく、世界史と宗教史を俯瞰して、見識を高めてくれていれば...と思うのだが、それは相当に望むべくもないことだったりもする。わはははは

さて、9.11以降、イスラームは絶対悪であると世界が規定してしまった。。。
それ以前、1970年代にパレスチナゲリラを悪と規定してきた世界ではあったが、それをイスラーム全体に押し広げはしなかった。
1980年代、イラン革命(正確には1979年)やイラン=イラク戦争や湾岸戦争で度々、イスラーム国家は非難の対象とされてきたが、それでも尚、それらは指導者や一国の体制の問題とされ、イスラーム教そのものを否定するところまでは辿り着かなかった。。。
だが9.11を以て、イスラームは、イスラーム教とイスラーム教徒、イスラーム国家は西側諸国によって"悪"であると規定されてしまった。。。
それはかつて"共産主義=社会主義"を"悪"と決めつけた1960年代-1980年代のそれに倣うものだ。
キリスト教社会=資本主義世界は、冷戦構造の終結後(実際にはその後の世界も冷戦の継続状態にあるのは変わらないのだが)、ソ連=ロシアに代わる標的を見出すことに成功し、その泥沼に望んで足を突っ込んだ。。。
米国を始めとする軍需産業大国は世界の恒久的平和など決して、これっぽっちも望んでなどいない。それは日本政府が公共事業投資をやめられないのと基本的には同じ構造なのだ。政府は軍需産業界を牛耳るユダヤ人ロビーをどうあがいても無視することだけは出来ないのだ。

 繰り返すが、9.11以降、世界のイスラームに対する敵意は固定してしまった。それはとてつもなく手強い。
人々はISISを見て、イスラーム原理主義者だと認め、"やっぱりイスラームは悪だ"と言う癖に、先日ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユサフザイちゃんをして"イスラーム教徒はなんて立派なんだろう"とは決して言わない。マララちゃんは、敬虔なイスラーム教徒だというのにだ。
悪い方だけみて、善き方は個人の資質として、イスラームには反映しない。どうにも悪い方の言い分だけを信じる訳だ。悪口だけ信じて、いい面を評価しようとしない。それを偏見というのだ。イスラームのことなど知りもしないのに、米国政府の発する悪口だけを信じ、イスラーム世界の発する善行には目を向けようともしない。そもそもキリスト教のことなど知りもしないのに、キリスト教徒でもない癖に、キリスト教的モラルにどっぷりと浸かり、米国の配信する価値観と情報にすっかり洗脳され、あまつさえカトリックでもない癖に、カトリック教会で結婚式を挙げるためだけに3日間改宗するようなバカな国民性な訳だから仕方ないと言っちゃ仕方ないのか。。。わはははははははははははははははははははは(毒吐いておきました。笑)


ところで、ISISとして誕生した組織はすでに当初から自分たちで"悪"であることを十分に意識しているようにもみえる。いや、もちろん、ことは単純ではない。彼らはあくまでも、イスラーム原理主義者を名乗っていて、神の側にいるつもりだ。神の側にいるつもりの者たちが"悪"を自認する訳がない。だが少なくとも彼らはキリスト教世界にとって"悪なる存在"であることは確実に意識している。イスラームの原点という以上に、或いは同等に、キリスト教的価値観の完全否定を目論んでいる節がある。
そして彼らの望み通り、もはや彼らは世界の絶対悪としてイスラーム世界からさえも認められる存在となった。
彼らは恐怖で(戒律で)人々を支配する以外にない道をわざと選んだ。
だがいつの時代も、どこの社会でも"悪"は強いのだ。"悪"は常に或る種の人々を惹きつける。
残念なことに正義は人々をそれほどには惹きつけない。正義のヒーローはいつも孤独なのだ。
"悪"は常に子分たち取り巻きを簡単に増殖し、徒党を組むが、正義はそう簡単にはいかない。正義は他人任せ、それが現実の世界なのだ。
みんなヒーローに憧れる割りには、"悪"になびく方を選ぶ。それは"悪"は美味しいからだ。何かしら得をすることがあるからだ。イスラーム国は女性たちを奴隷にして、好きな女性を自分のものにできる特典がある。しかも4人まで妻を持てる!! 男性の永遠の夢を叶えてくれるなんて素晴らしい国だろう!?わはははははははは(※いや、わたしは妻は要りませんよ、ひとり足りともね。笑)
 一方、正義は窮屈じゃないか。。。

 先日、Calama(Chile)という町のことで書いたばかりだが、補正しつつ、引用しよう"危険な町に住む人々と雖も、たとえば95%の人々はとても親切で優しい人々なのだ。だがたとえば95%という数字は、100人に5人がゴロツキだという事実を示す。100人中5人という数字は、現実的には十分すぎるくらい危険なのだ。5000人の町だと250人のゴロツキがいる勘定だからだ。たとえ4750人のステキな人々が住んでいても、彼らは被害者でありこそすれ、"悪"に対しては無力な存在に近い。それがスラム街の基本構造というものなのだ。彼らがいるからといって安全な町にはならないのだ。それは世界中の紛争地帯でも同様の構造を持っている。過激派だとか言われる連中も実はほんの一握りなのだ。。。だがそいつらが町の運命を、国全体の運命を悲劇へと導いてゆく。。。"

 ISIS=イスラーム国と雖も、中枢はほんの一握りの人々に過ぎないのだ。だが"悪"は人々を惹きつける。時には甘く、時には恐怖でもって人々を支配してゆく。それは学校の苛めの構造をみても同じなのだ。虐めっ子たちは徒党を組み、そうでない善良であるはずの子供たちは多数派であるにも関わらず、団結せず、閉じこもり、ほんの少数の虐めっ子たちが全体を支配するに任せるのだ。
虐めっ子たちと闘おうとする者はとても孤独で危険な戦いを強いられることになるだろう。。。イスラームの世界ではおそらくさっさと殺されて終わりだ。。。


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 ムハンマドに遡ろう。。。その前にイエスからだ。わはははははははははははは
イエスが処刑され、復活し?、キリスト教が成立したのを紀元1年とする世界に我々は生きている。
イエスはユダヤ人であり、ユダヤ教徒であり、彼が望んだのはユダヤ教の改革だった。
聖書のどこをどう読んでも、イエスが独自の宗教=キリスト教を創設しようとしたとは考えられない。

イエスは神の子を名乗ったとされているが、当時、イエスのように神の子や預言者を宣言する者は決して彼だけではなく、何人も現れては歴史の中に消えていった。。。それはイエスの後も同じだった。キリスト教が彼を殺したローマ帝国によって国教とされる皮肉の歴史を経たのちも、何人もの預言者や神の子を名乗るものが現れては処刑されたり、歴史の中に埋もれたり、と消えていった。。。ただ蘇った者がいなかっただけだ。わははははは

さて、いよいよムハンマドが登場する。彼はイエスと違って、"神の子"を名乗ったりはしなかった。決して、だ。
彼は自分は人間であり、ただ"神の預言者"だと名乗ったに過ぎない。ここからして、彼はとても現実的な人間でもあったことが見てとれる。
さて、"預言者"と"予言者"を混同しないようにして欲しい。"予言者"とは未来を知る者のことであるが、"預言者"とは、読んで字のごとく、神の言葉を授かる者のことだ。彼は神憑りとなって、神の言葉を伝えたと言われる。最初は...だ。
彼はただ神の指令を伝えただけだ。彼の神には独自の神の物語=歴史などない。彼の神はユダヤ教の神、キリスト教の神と同じであり、名前などはどうでもいいとばかりに(言語によって名付けは変わるしかないという現実ゆえに)、彼はただ"神=アッラー(フ)"と呼んだに過ぎない。
彼は独自の神を創造したのではない、彼の神はユダヤ教の神、キリスト教の神とまったく同じ唯一の絶対神なのだ。
だからアッラーなどという名前と背景史を持つ独自の神はいない。ただ世界には唯一絶対の神が存在するだけなのだ。
コーランを読んだことのない人は知らないかも知れないが、だから当初、彼はユダヤ教徒やキリスト教徒を同じ"経典(聖書)の民"と呼び、兄弟の民として互いに敬い、仲良くしたかったのだ。
(呪術の対象に近い八百万の神以外に)絶対的な存在である神を持たないアラブ=ベドゥインの上に、ユダヤ教、キリスト教と同じ唯一絶対神が降り立ち、アラブ=ベドゥイン民族に規律を齎すのだ、というのが彼の主張だった。

現在コーランは時系列からゆくと逆さまに編纂されている。(古いものが後ろのページに来るような形で成立した)
彼は何度もコーランの中で"はユダヤ教徒やキリスト教徒は同じ経典の民であるから敬わねばならぬ"と書いている。
だがユダヤ教徒やキリスト教徒側は冷たかった。。。彼らはムハンマドを預言者とは認めなかった。ユダヤ教徒はどちらかと言えば無関心に近かったようだが、キリスト教徒は"嘘つき贋預言者"と攻撃を加え始めた。キリスト教迫害の主から一転し、キリスト教徒の庇護者として名を挙げたローマ帝国も、教会も、イエス以外の預言者など一切認めるつもりはなく、ムハンマド以前にも、ムハンマド以降にもさまざまに登場してきた預言者、神の子に対して、徹底した迫害を加え続けた。
 そういう経緯があって、次第にムハンマドはユダヤ教徒やキリスト教徒と対立せざるを得なくなってゆく。。。
さらには戦いごとに、ムハンマドのもとには大勢の信者たちが集うことになる。。。誕生まもないイスラーム教団はユダヤ教徒やキリスト教徒の攻撃から自らを守る為に、軍事組織としての性格を強くしていかざるを得なくなってしまう。

そしてそれはコーランの中に永遠の言葉として刻まれ始めることになる。。。
当初、ムハンマドが討伐の対象として記した非難すべき"異教徒"はベドゥイン族など未開の信仰(呪術や祭儀の対象)だったものが、"異教徒=ユダヤ教徒とキリスト教徒"として、固定されてゆくことになる。
すべての悲劇はここから始まっていると言ってもいい。聖典(ムハンマドの死後、彼の発言をまとめたもの)に刻まれた言葉がその後に重大な意味を持つことになったのだ。。。

 ムハンマドの実在性についてイエスのような疑義はない。彼は現に人間の母から生まれ、労働し、子供を設け、人生に悩み、すっかり当時で言う壮年を迎えるに年齢になって初めて神の啓示を受けたのだ。彼はただ神の言葉を賜る者として人々に、唯一絶対神の存在を告げることから始めた。。。
 だが信者が増えるに従って、物事はどんどんと複雑になっていった。。。
彼に告げられる神の言葉は、人々に規律を齎すものが多かった所為で、事態は加速的に混沌としてゆく。
彼の周囲に集った信者たちは、彼にいろんな相談をし始める。。。彼はそれに答えなければならない。だがどうやって??
少なくとも当初は、神は一方的に、不定期に言葉を下さるだけで、彼の質問に答えてくれるような存在ではなかった。。。
さて、どうする??
人々は次々と、問題を持ち込んでくる。。。
彼は懸命に神に問う。。。けれど、そんなに簡単に神は答えてはくださらない。。。

彼は集団の指導者だ。神に選ばれた指導者だ。神が答えてはくださらないとは口が裂けても言えない。。。
次第に彼の預言は、生活に密着した細則を網羅する法体系に近づいてゆくことになる。
だからコーランを読み始めたら、すぐに、離婚と女性に対する遺産の分与などの項目に行き当たる。
素晴らしい。この時代、ユダヤ教もキリスト教も女性の法的権利など一切認めていない、奴隷制度(黒人奴隷ではなく、戦争奴隷、賦役=負債、犯罪等による奴隷)を労働の前提としている時代に、彼は奴隷の解放や支払いについてもコーランの中で述べている。
ムハンマドは当時の社会では実に進歩的な考えの持ち主だった。それは彼が善良な人間であったことを如実に示している。
カトリックはこのあとさらに中世に至って、頑迷な人権を否定した社会を繰り広げるというのにだ。

だかムハンマドも次第に迷走し始めるかにみえる。
彼は当初、一夫一婦を支持していたかにみえる。そもそも彼は預言者となるまでただ一人の妻を持っていたに過ぎない。
だがベドゥイン族の間では、何人でも好きなだけ妻を娶ってよかったのだ。当初彼はそれを非難する言葉を記している。
だが、彼が教祖様として偉大な存在に祀り上げられるに従って、当然、彼のもとには彼を崇拝する女性信者たちが集まってくる。
彼はただの人間だ。すでにそこそこの老齢に達してはいたが、誘惑と欲望には勝てない。彼は2番目の妻をもらい、3番目、4番目まで妻をもらってしまう。。。それがイスラーム教徒が4人まで妻を持てるという根拠になっている。
いつの間にか、神に代わって、人間ムハンマドが預言の主となる。。。彼は当時としてはとても進歩的な善良な人間ではあったが、それでも当時の社会常識・社会風俗・道徳的価値観からすれば、彼の進歩的な考えにもおのずと限界がある。
それがコーランをして、コーランの一字一句を規律として守らなければならないという原理主義的考え方を現代社会の中で、非社会的なものとしている。

そしてさらにはもうひとつ問題の源泉がある。
コーランは彼の発言録だ。それは間違いない。
だが彼はもっと多くのことを指示し、解決し、実際に彼の私生活の中で、さまざまな出来事に対処した。当然だ。
彼の死後、薄い冊子のコーランだけでは収まらない、ムハンマドの規律をきちんと編纂しようという動きが始まる。

それが人間ムハンマドの言行録として成立することになるハディースという分厚い書物になった。。。
これはちと性質が異なる。。。
神の預言ではなく、人間ムハンマドの言行録だから、次第に尊大になってゆくムハンマドのもとに寄せられたさまざまな実際上の問題や出来事が、イスラーム教徒にとって"神の言葉"と同等に近いものとして崇め始める訳だ。いや、イスラーム教徒はコーラン以外に聖典を持っていない。ハディースと雖も一切聖典とは認められていない。だがコーランを解釈する上で、コーランの延長線上で物事を判断するときに、どうやらハディースに書かれている事柄が影響を齎している風がある。。。これが事態を一層複雑にしている。そこには当時の社会風俗における様々な問題と指針が書かれてある。それがコーランの延長線上としてイスラームの考え方に影響を与え始めると、ことはさらに混沌としてくるというのはご理解頂けるはずだ。

イスラーム教徒たちとイスラーム指導者たちは、ムハンマドの教えが、イスラームの教えが、女性の人権にも配慮した進歩的でとても善良な教えであったことを忘れている。それこそがイスラームのエッセンス(本質)であるはずなのに。。。
或いはそれはイスラームが十字軍以降、第一次世界大戦で再び見出されるまで、国際舞台から消えていた間にイスラームの規律を守らせるために必要な処置だったのか?
イスラームの指導者たちは、イスラームの神がユダヤの神、イエスの神と同一であるというムハンマドのもとに帰依しなければならない。そしてユダヤ教徒やキリスト教徒はそれを受け止め、受け入れることだ。
ムハンマドが語った通り、イスラーム教徒とユダヤ教徒、キリスト教徒は同じ経典の民、兄弟の民なのだ。
だがイスラームの指導者たちは、これほどまでに理不尽な西側の攻撃と虐殺にあって、民衆の反感と不信を買うのを畏れている。イスラームの法学者たちの以前に、宗教学者たち、政治家たちが始めなければならないのかも知れない。
困難かも知れないが、それは決して不可能なものではないと思える。だがその前に米国が(国際社会が連座して)イスラーム世界に向けて謝罪をせねばならない。それこそが不可能の壁となって立ちはだかるだろう。。。

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"イスラーム国"は反米、反現代社会の旗のもとに、絶対悪として結成されたと言っていい。
それは決してイスラーム原理主義などというものではない。
もちろん、そういう存在を生み出したのは米国だ。

米国は9.11の翌日、ビンラディンを首謀者と決めつけ、アルカイダを壊滅させるとして、アルカイダとは何の関係もないアフガニスタンを滅ぼした。
そもそもはビンラディンも、アルカイダすらも犯行を一切認めてなどいない。
事実は単独犯だったのだ。大胆な計画を練り、実行に移した複数の犯罪者たちがいたのだ。彼らはビンラディンやアルカイダにシンパシーを感じ、傾倒し、師と仰いでいたかも知れないが、犯行は単独で行ったのだ。。。そして彼らは自爆テロ的にその場で死んでしまった。。。
米国=ブッシュは、犯人たちは死にましたでは済まされないことは明らかだった。
まさか犯人死亡の為、被疑者死亡として送検して終わらせることなどできなかった。
この際誰でもいいから犯人を素早く特定し、反撃と報復に出なければならなかった。
一番いいのはイラクのフセインやイラン革命政府が背後にいるという説だったが、一国の大統領が9.11のような犯罪を起こすなどというのは荒唐無稽にも程があった。仕方ない、次善の手は...ちょうどいい、ビンラディンという危険人物がいる。彼は米国を悪魔だと呼び、米国に死を!と常々叫んでいる。奴だ、しかもアフガニスタンというどうだっていい国にいる。そんな感じだ。
奴が"アメリカを撃て"と叫ぶから、テロリストたちが犯行に及んだのだ。テロリストも同然だ。連邦政府ビル爆破事件のアブデル・ラーマンと一緒だ。反米主義を説く輩はすべて排除しなくちゃならん。。。

 それにアフガニスタンは、タリバンという同じく原理主義者たちが支配する国だ。いつ反米テロの狼煙をあげても不思議ではない。アフガニスタンに親米国家を設立することができれば、米ソ代理戦争だったアフガニスタン戦争の憂さも晴らせるというやつだ。
ビンラディンは決して9.11テロの首謀者なんかではなかったし、ビンラディンはアフガニスタン政府の来賓でもなんでもなかった。たまたま滞在していたと言ってもおかしくはないほどだ。だが米国はビンラディンを犯人と名指し、アフガニスタン政府に彼を拘束して引き渡せと命じた訳だ。もちろん、アフガニスタン政府がそんなことできる訳もないし、する気もないことはお見通しだ。そして外交的交渉の猶予を与えることもなく、アフガニスタンを空爆し、事実上、政府を完全に滅ぼした。数万ものアフガニスタン人が犠牲になり、今度はその矛先をイラク、フセインへと向けた。。。
 当初はフセインがビンラディンを背後で支援したという嫌疑だったが、そんなものあっさりと否定されるしかなく、今度は核兵器開発疑惑なるものをデッチあげて、査察を迫った。。。だがイラク政府が核査察を受諾すると、さらに大統領府、大統領宮殿まで査察の対象だと恫喝した。さすがに独立国家のすべての政府施設、私宅まで査察するなどというのはあり得ない話だし、本来の核査察とは無関係な話だが、ともかくフセインの面子を潰し、査察にNOと言わせるのが本来の目的だったから(ブッシュは何がなんでもイラク、フセインを滅ぼしたかっただけだ。遡ること、彼は大統領就任早々、いきなり自らの就任の祝砲とばかりに、父ブッシュの遺恨の残るイラクに空爆を命じている。)、無理難題を重ねるだけだ。
 アフガニスタン侵攻で、米国国民の溜飲は少しは下がったけれど、資源などないアフガニスタンの戦費負担は膨大で米国経済に大きな影を落としかねない。だがイラクなら、原油資源を確保すれば、戦費の調達回収も不可能ではない。。。
 そしてついにイラク空爆に踏み切る。。。
アフガニスタンとイラク両政府を退治し、両国に親米政権を打ち立てれば、両国に挟まれた糞忌々しいイラン革命政府など簡単に落せる、そんな思惑もあったかも知れぬ。

 もちろん、というべきか、イラクから核開発の証拠など一切出ては来なかった。
本来、米国は虚偽の根拠で戦争を起こし、イラク国家を破壊し、国民に多大な犠牲者を出し、フセイン大統領を捕獲した訳だから、すべてを謝罪しても済まされるような問題ではなく、戦争犯罪として断崖、法廷で有罪を下されるべきであった。
だが驚くべきことに、国際社会はそれを見て見ぬふりをし、容認し、あまつさえフセイン大統領を国際法廷ではなく、米国一ヶ国の法廷で裁き、死刑を宣告するといった信じがたい暴挙をさえ黙認した。。。
 だがそれでも国際社会は黙ったままだった。。。米国の振り回す"独善的な正義"は国際社会のお墨付きを得た訳だ。

 そして新しい戦争の舞台が幕を明けた。。。

これだけ米国に好き勝手をされ、かつ世界の悪役とされてしまったイスラームの人々が大人しく米国の覇権に付き従うはずがない。。。
憎しみの種は十分に撒かれ、肥料も水も十二分に与えられたのだ。
復讐の芽が吹かない訳がない。。。
復讐者たちは、どんどんと砲弾の後から生まれ出た。。。

さらにはそんな米国の独善的支配に対して抗議もできない無力な政府に対して、イスラーム圏の人々の不信感はいや増し、それらは様々な思惑を持った人々と連合することにより、SNSを通じて、単に政府にNOを叩き付ける玉石混合の民衆デモと化した。民衆の民主主義を求めるデモとされ、西側諸国に歓迎されたデモは、そういう側面も手伝って、拡大したのだ。
 もっと自分たちの意見を反映できる政府を。。。それはまさしく民主主義的統治を求めるものだが、その民主主義の行く末は決して、資本主義的価値観ではなかった。それはあくまでもイスラーム的価値観の範囲で、民衆の意見を反映することだったろう。


さて今一度、"イスラーム国(Islamic State)"が、悪であるのは最初に書いたように異論の余地がないように思えるし、彼ら自身もそれを自認しているようにみえる。だが彼らを生み出したのは我々なのだ。我々が米国のやりたい放題に任せ、米国の情報操作に乗せられ、イスラームを完全に悪視し、アフガニスタン、イラク、リビアを空爆し、人々に多大な犠牲を払わせ、イスラエルが定期的にパレスチナを空爆・侵攻するのを許し、一方でシリア政府が好き勝手に人々を殺害するのを放置し、イスラームの人々に敵意と報復の概念と、絶望と怒りという混乱を齎したのだ。

 

 一方、"イスラーム国(Islamic State)"のアブー・バクル・アル=バグダーディーは、「カリフ」を自称しているらしいが、カリフというのは汎イスラーム的な存在であって、国家毎に選出される大統領のような存在ではない。当然、他の如何なるイスラーム諸国も彼の「カリフ」という地位を認定していないし、今後もおよそまともな国家は彼を認定したりしない。
 彼はイスラーム諸国からも排斥される立場にあるし、だから彼をもって、"だからイスラーム教ってのは..."などと評するのはお門違いも甚だしい。
だが他方で、彼が「カリフ」を名乗ったおかげで、"イスラーム国(Islamic State)"討伐はやりやすくもなった側面がある。彼を殺害すれば、"イスラーム国(Islamic State)"は、国家の基盤となるカリフを失う。先ほども言ったようにカリフは、大統領とは異なる。アブー・バクルが亡くなったからと言って、翌日にカリフを擁立できる訳ではないし、そんなことをすればカリフという地位にどんな権威もなくなるだけだ。


 ご存知のように、わたしにとって神などという概念は糞だ。
モーゼもイエスも、ムハンマドも、ブッダも、神も仏も糞くらえだ。
だがわたしは神という概念を打ち破るために(読んだこともない癖にと言われないために。笑)、聖書やコーランのみならず、ユダヤ教史、キリスト教史、教会成立史からイギリス教会史、ユダヤ近現代史、イスラーム現代史まで、遡ればメソポタミア、エジプト、ギリシア~北欧、ラテンアメリカ、アボリジニに至る神話体系まで読み漁った。
わたしはいかなる絶対的存在なるものを信じないし、科学者たちのいう宇宙の創造者も、だ。
だが他人が何を信じようがそれもまた自由だ。
わたしの自由を侵害しないなら、勝手になんでも信じるがいい。

------------------------------------------------ 

だがイスラームを滅ぼすことなんぞ出来やしない。それは絶対的に不可能だし、イスラームを根本的に欧米社会の都合のいいように変えることも不可能だ。できることはイスラームと和解することだけだ。それ以外に方法はない。
だが誰一人(国家として、或いは権威ある個人として)それを成し遂げようとする勢力はない。。。

国際問題に関する我々の世界のニュースソースの大半は米国の齎す情報によっている。ヨーロッパが独自に配信する情報などほんの一握りだ。
それは日本だけでなく、すべての欧米社会が抱える問題だ。
たとえばテポドンだとかいうやつ(笑)、発射情報はすべて米国衛星が確認し、米国情報部を通じて世界へと配信されている。日本や他の国がテポドンの発射を確認したことはないし、確認する術を持たない。わははははははははははははははははははははははは
そういうことだ。我々は米国の情報操作の手の平にいるのだ。我々の価値観の大部分は米国によって洗脳されたものだということだ。
吐き気がしてくる。。。

一度、すべてを吐き出した方がいい。それが身体のためというものだ。わははははははははははは

 ※あれれ??意外に短かったね。。。残念。
これの3倍くらいにはなると思って書き出したんだが。。。ちっ、わはは

 

 


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そんな訳で仕事ゲット~♪ [Chile編]

あれですわ、そんな訳でチリ到着10日め。。。
シェフの仕事ゲットしました♪ わはは

早い?? 遅い??
もちろん、コックの仕事ならいつでもあるのだけれど、シェフとなるとそうはタイミングが合わないものなので、手っ取り早く見つけたほうかな、と。。。
まあ、カメラの仕事2件もあるんですが、ともかく住むところを確保する為には、安定した仕事が必要なもんで、ここは急遽、シェフの仕事一本に絞って探してみたんですが、あっさり3日めで決まってしまいました。わはは
まあ、あれです。こちらの希望した金額はとりあえず高過ぎると言われて、2割減となりましたが、2ヶ月後にはわたしの働きぶりをみて再交渉という形で。まあ、2割減でも決して悪くはない金額です。物価が高い分あれですが、これで部屋も借りれるし、ともかく安心して生活できます。
2ヶ月後にわたしがいなくなれば困るのは先方で(笑)、わたし的にはあっさり希望額を戴くつもりですが、とは言えラテンアメリカですからねぇ。わははははははは

 経緯はこんな感じ。。。

昨日、おとといと、ネットで調べた日本食レストランのリストを手にシラミ潰しに当たることに。。。
と言うとアレなんだが、どうにもエンジンが掛からない。。。どした??お疲れか??
そんなこんなでおとつい2軒、昨日たったの3軒という、とっても怠慢なシラミ潰し。。。わはは
しかも2軒目と3軒目は同じ大型ショッピングモールにあるレストラン。(どんだけやる気ないねんっ!?)汗っ
で、2軒目では一応上司と相談してみるが、わたしの希望額が払えそうにないと言われ、3軒目ではレジのおばちゃんに本部へ行って話をしてくれと住所を書いて手渡される。。。
 そんな訳で、本日昼過ぎに、その本部へ出掛ける。。。着いて自己紹介をしていると奥から秘書が"あなた昨日、xxショッピングモールへ来た人ね"
と声を掛けてくれる。ほへぇ~、ちゃんと話が通じてるなんて驚き♪と思いつつ、招かれて事務所へ。
手短に話をするとやはり"労働許可証は持ってるの??"と来たもんだ。わはは
だがそんなことに動じるわたしではない♪必要ならあなたたちの方で手続きしてもらえないのか?と逆攻勢。わはは
で秘書が"ちょっと待ってて"というので暫く待っていると"オーナーと話をしてみて"と今度は2階のオーナーの部屋へ。
で、入るなり、オーナーの他に全店統括のシェフだという怪しいカタコトの日本語を喋るおっさんを紹介される。
で、改めて自己紹介をすると、今度はいきなり"いくら欲しい??"と尋ねられる始末。ここまでトータル10分ほど。わははははは
で、先に書いたように2割ほど減らされたが、それでも悪くない金額♪
それからいろいろお店の歴史や現状の話を聞いて、わたしの配属先の店舗まで教えられて、あとはすぐに倉庫と仕込み作業の工程を見学、ユニフォームのサイズ合わせをして、今度は配属店へ案内してくれるという、なんだか物凄いとんとん拍子の展開でした。わははははははははは


さて、実はChileはVISAの獲得がとても簡単な国で、観光VISA3ヶ月で入国して、さらに3ヶ月観光VISAを延長して、トータル180日間、Chileから海外に出なければ、それだけで半永住VISAがもらえるんだそうです。
(※もちろん申請手続きがどうなるのかはその時にならないと分かりませんが。。。わはは)
だから変な話、悪くても5ヶ月ほど辛抱すれば、あとはホテルでも何処でも働ける訳です♪
おとついハイアットホテルに出掛けていってシェフと会ったのですが(日本食レストランがある)、先方はさすがに滞留許可か労働VISAがないと...働いて欲しいのはやまやまだけれど。。。と言われました。だので、レシデンシア=滞留許可さえ取ってしまえば、ひょっとしてひょっとするかも。。。なんて話もあったりします、いや、分からない話ですけどね。わはははははははははははははははははははは

という訳で、明日から早速、働くのは市内に7店舗を構えるチェーン店なので、そう簡単にはレシピを変えたりすることはできないのだけれど、オーナーは少しずつでも変えてゆきたいという意向のようで、今回、わたしが勤務するのはSantiago郊外にある高級住宅街の店舗。だからそこだけで色々と実験して、成果の出たものを取り入れていこうということらしい。ちと現在のホスタルからは遠いのが難点だけれど、レストランの近くで部屋を借りれれば、あとは問題ないはず。
しばらく通勤の我慢が必要。。。

そんな訳で、しばらく小まめに続いてきたblogもまたまた更新が怠り気味になるやも、です。
できるだけマメに更新したいとは思うのですが、なにしろキッチンで働き始めるともうしんどくてしんどくて。。。
しかも大抵愚痴しかないもんだから、書くのも躊躇われてね。わはははははははははははは

まあ、またストレスとの闘いになりますが、仕方ありません。。。
みなさんゴキゲンヨウ♪


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愚痴、悲鳴。。。簡単にゲットした仕事は甘くはなかった。わははははは [Chile編]

そんなこんなでチリ、14日め。。。

いやね、もうね、拒絶反応示しそうになるくらい酷い。。。
にも関わらずとても忙しくて儲かっているので、反省がない。。。
とてもじゃないが、そう簡単に改善できるレベルじゃない。
暇な店を立て直すのは或る意味で簡単だが、忙しい店を改善するのはそれ以上にとても難しい。。。
だが新しいレストランはどんどんオープンしているし、レベルアップしているに違いない。だから今、手をつけないと将来的には大きな問題を抱えることになるだろう。競合レストランは新しく装飾も豪華で、Peru料理とのフュージョンが大半なので、品数や見た目も豪華だ。よほどしっかりした味で固定ファンでも持っていない限り、料理のレベルは大して違わないが、人々が新しい店に流れるのは道理というやつだ。
さて。。。どうする??

日本食レストランだが、寿司飯はチリ米。。。
酢はもちろん、果物酢。。。
なんと寿司飯の保温器があるが、電源のない保温ジャータイプなので、熱湯であらかじめ30分ほど温めてから、すし飯を保温するもの。
だが、そんなことは誰も知らず、冷えたすし飯を、冷えたジャーに保管。。。

33種類ある裏巻き寿司の肝心の外側は、ゴマ、鮭、マグロ(赤、白)、アボカド、そしてフライの4種類だけ。。。
4-5種類の異なる巻き寿司を頼んでも、中身が違うだけで、見た目はほとんど同じものが並ぶ。。。バカげているが、なんとチリでは他のレストランもこういうやり方が主流。。。
要は外側5種類で、中身がそれぞれ5-8種類というなんとも手抜きというか、工夫のないバリエーション。。。

おまけにすべての巻き寿司を半海苔で巻くので、当然、具が3種類以上になると、必然的にきつく絞めることになる。その時点でもうすし飯は潰れるくらい押しつぶされている。。。団子状態のすし飯だ。。。

まだ厨房には入っていないが、ギョーザだけでも酷い。。。
ギョーザは、手作りではなく、市販の冷凍品。もちろん、日本タイプの冷凍ギョーザが売ってる訳もない。
中華食材店で購入する皮の分厚い例の水餃子タイプ。。。
そんなもの日本式にフライパンで焦げ目をつけたあと水を少し入れたからといって火が通るもんでもなし、時間もめちゃくちゃ掛かる。。。だから??
だからそんなことせずに、最初に油を入れためちゃくちゃ熱いフライパンでザザッと炒めて、真っ黒の焦げ目をつけたあと、水をドバドバっと入れて20分くらい茹でたものを、注文に応じてレンジでチーン。。。して出すだけ。。。

天ぷらは見ただけで悲しくなる。。。
ゴミかっ!?

だがそれでも本当にたまらんくらい店は流行っている。。。
そもそも120席もあるのが間違い。。。まだ満席になってところは見たことないが、もしも一度に満席になったら、絶対無理。。。
そんなもの不可能だ。。。なにせ厨房は夕方まで1人きり。。。夜は2人きり。。。
寿司場は夕方まで1人。。。夜は基本2名だが、もちろん1名のこともある。金・土曜のピークで3名いれば寿司場だけならなんとかなるが、それにしても忙しいことに変わりはない。

こんな忙しい店でわたし自身が寿司を作っている訳で、改善もなにもする余裕なんぞない。。。
取り敢えず寿司飯だけでもと工夫をしているが、いくらチリ米が、他の中南米諸国のお米より品質がいいと言ったところで、所詮、別物。。。
或いはせめて米酢だけでも使いたい。。。

だがとにかく常識を無視した寿司のバリエーションで、わたしもまだ覚えきれない。
なぜなら。。。
なんと。。。
寿司の名前が、インターナショナルなレシピではなく。。。

アラン・ロール、ダニ・ロール、ドン・ロール、ロニ・ロールetc.....
なんと経営者たちの名前や家族の名前が付いている。わははははははははははははははははははははは
そんなもん覚えられるかっ!?
サーモン・ロールとか、カニカマ・ロールとか、或いはインターナショナルなカリフォルニア・ロール、フィラデルフィア・ロールとかにしてくれればいいものを。。。
しかもレインボー・ロールとか、カリフォルニア・ロールは、国際的な暗黙のルールを無視したまったく意味不明なレシピ。。。
頭ん中ぐちゃぐちゃなるわ。。。
もうな、脳みそにそんな空き容量ないねんっ! 年寄りには新しいこと覚えるのは大変やねん。。。ひー。。。

わはははははははははははははははははははははははははははは

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さて。。。ところが、もっと大変なことがある。。。ひーx100 大泣き。。。

店の営業時間は午後1時から午後4時に一旦、閉めて、午後7時半から午後11時半(日曜から木曜日)、金曜、土曜は午後1時から午後4時に一旦、閉めて、午後7時半から午前0時半まで。。。(遅すぎるやろっ)日曜日は午後1時から午後4時半、午後7時半から午後11時半。。。
なんかとってもややこしいが、一番の問題は終了時間。。。

店はSantiagoの中心部から地下鉄の最終駅まで乗って、そこからさらにバスで1時間近く離れた高級住宅街にある。。。
当然、付近の家賃はバカ高いし、自家用車なしでは住めない地域。。。
わたしがホテルを探してもそんなものはない。。。少し離れたところにあっても高級ホテルだけ。。。
従業員は誰一人近くには住んでいない。。。
問題は閉店時間は早くても午後11時半だが、地下鉄は午後11時で終電。。。あれ??どうするん??
実はバスはほぼ夜通し走っている。。。但し、30分に1本もない。。。しかもバスの経路は当然複雑怪奇で、ルートは多岐な渡る。。。
下手すると夜中に乗り換えって話だってない訳じゃない。。。
店を閉めてから、わたしを含めてみんなが住むセントロまでバスで帰ったら、約2時間ほど掛かる。。。
夜中1時頃に店を出たら帰宅は夜中の3時だ。。。バカなっ
しかも実は日曜日はバスさえない。。。帰れない。。。わはははははははははははははははははは
今のところ自家用車で通勤している女性スタッフに同乗させてもらっているが、もしも彼女がいなかったらどうなる??
無責任にもほどがある会社だ。。。

さらに、どういう訳か、このレストラン2交代制。。。あれ??休憩時間除けば8時間程度なのに、なぜ??
でもたった8時間、9時間の営業時間のために2交代制なんてしたら。。。
早番、朝9時半出勤。。。午後4時半帰社。(午後1時開店のために朝9時半出勤ってナニ??)
遅番、午後6時半出勤。。。午後12時過ぎ帰社。

う~む。。。一見、悪くないような気もするよね!?
ところがだ。。。よく考えてみて欲しい。。。最悪は土曜・日曜だ。。。
金曜日の晩、午前1時頃に店を出て、午前2-3時に家に着く、そして次の日早番だと、朝8時には家を出ないと間に合わない。。。
ひー。。。自宅の滞在時間は5-6時間、その間にシャワー浴びて、朝飯食ってETCってことをしなきゃならん訳だ。
ベッドに入った瞬間に寝れる人はまだいいが、わたしのようにベッドに入ってから大抵1時間は寝つけないか、或いは2時間起きにトイレで起きる(頻尿かっ!?笑。いや、仕事中はほぼトイレには一切行かずというのが癖になっていて、その癖、仕事中に水分だけは採るので、もう夜中トイレ行きたくて、行きたくて。。。わははははは)と、もうほとんど睡眠時間なしということになる。。。
昨日は2時間も寝てない。。。

実はそんなスケジュールを組まれて、もうヘトヘト。。。

そんな訳で、さらなる問題は従業員が長続きしない。。。
しかも交通費がとんでもないことになる。
もちろん、通勤交通費なんて中南米では存在しない(大手オフィス企業は知りませんけどね)。。。

ともかくチリは物価が高い。。。
地下鉄、バスともになんと1回で$1.2ほどもする(コロンビアを除く、中南米では公共交通機関は$0.25ほど、コロンビアでさえ$0.9ほどだ)。
往復の地下鉄、バスでなんと一ヶ月に$125も掛かったりしたら、どうする!?
チリの最低賃金は他の南米の$300に比べて、$387と高い。だが交通費が$125も掛かれば、意味はない。それだけでマイナスだが、そもそもすべての物価が高い訳で、他の諸国より劣悪ということもできる。もちろん、みんながみんな交通費が掛かる訳ではないにせよ、大抵の人はせめてバスか地下鉄のどちらかは利用せざるを得ない。両方という人たちだってたくさんいる。
しかもうちはチェーン店な訳で、他の店なら地下鉄だけで済んだりするのに、わたしの店に勤務させられるとそれだけでさらに$60以上、実質給料が減る訳だ。誰一人そんなもの望んじゃいないし、しかも帰宅時間は他店に比べて遥かに遅くなる。。。

だが本部ではそんなこと一切お構いなしだ。。。
当然、従業員たちは最初はそんなこと知らずに勤務を始めるが、どこで働いても同じ最低賃金だとすると、月間$60ものマイナスを気にかけない者などいない。。。
話によると
大体2-3ヶ月でみんな辞めてゆく。。。ひー。。。

そんな店で、チェーン店全体の改善策を考えて実行してくれと言われても、それはちょっと無理ではないですか??
ともかく今週はわたしが現在の店の仕事を覚えるので手一杯。。。
下手すると、それ以降、わたしが一人体制で早番や遅番なんてさせられたら、もう改善なんてしようがない。
仕事に追われて終わりの毎日だ。。。

ところが、どうにも本部の方ではものすごくわたしをせついてくる。。。
ん!?
ひょっとして。。。こいつら、わたしに2ヶ月間、希望額の2割減で働かせているうちに、レストランの改善点を直して、あとは"ありがとう、ご苦労様でした"とでも言うつもりじゃないかと疑いたくなるほどだ。
。。。という訳で、ゆっくり改善してやる。わはははははははははははは
いや、しばらくは寿司だけで、厨房は見てやらない。厨房の件は見て見ぬふりをして、2ヶ月めの半ばくらいからアレコレ提案をし始めてやる。わははははははは

その間に、新しいレシピやメニューのアイデアを貯めておいて、いざ更新と給料賃上げの交渉段階で、話を持ち出すことが出来れば一番効果的だろう。まあ、うまくゆくとも思えないが、ともかくはそういう作戦か。。。

近くに部屋を借りることが出来さえすれば、わたしは現在の給料で5ヶ月くらい働いても別に構わないというのは、先日書いた通りだ。
ともかく通勤時間と通勤費用の問題さえなくなれば、その分、月$50-60くらい家賃が上がっても、プラスマイナスは+の計算だ。

もっとも今はもう現金が底をつきつつある状態なんですけどね。わははははははははははははは
(さすがに4ヶ国1ヶ月の旅は相当にな費用やったね。。。わはは。しかも挙句に着いた国が中南米最高の物価を誇るチリとは。。。汗っ)

まあ、あれです。。。そんな訳で、愚痴というか、悲鳴っぽくなりましたが、なんとかやってます。。。
いや、やらねばならぬ、背に腹は代えられぬというところ。わはは

簡単にゲットした仕事はやはり甘くはなかったというところだ。。。わははははははははははははははははははは

 --------------訂正と追加-----------------------

 Santiagoの地下鉄-メトロについての情報の訂正。。。

わたし自身、昨日まで知らなくて損していたのだか、どうやら地下鉄とバスは同じ会社なので、地下鉄-バスの乗り継ぎについては無料らしい。。。
ん??どうなってるんだ??
というのは、地下鉄あるいはバスを利用したあと、2時間以内だと他のバスまたは地下鉄への乗り継ぎは無料となっていて、チケットを買うときに"地下鉄-バス乗継"と言えば、別の色違いの切符を渡してくれて、それは改札機で回収されず、バスなど次の交通機関で使用できるらしい。。。
一般にはプリペイドカードを買うのだけれど、その場合は乗継2時間以内だと無料でパスできるシステムらしい。。。だから上に書いたように乗り継ぎをしても$125なんかにはならず、月$75程度になるらしい。(計算が半分でないのはバスと地下鉄で若干料金に差があったり、時間帯によって料金が異なるため)

もちろん、それでも上に書いた通り、他の中南米諸国に比べれば交通費の差が歴然で、最低賃金が高かろうと、市民生活にまったくその恩恵はないどころか、実質的にはマイナスになるだろう。Chileという国は、特にSantiagoという都市には、LimaやColombia各都市と同じように、或いはそれ以上に富が溢れかえり、巨大な経済が動いているけれど、人々の生活は苦しく、貧しい人々は本当に悲惨な慎ましやかな生活を強いられている。
うちの従業員が、少し前に自分が彼女と一緒に店の近くに部屋を借りるため、部屋探しをしていて2軒ほどアテがあるというので一緒に見に行ったが、とても普通に住める物件ではなかった。。。
 もう本物のスラム街のバラック小屋だった。。。家主という老婆の玄関門扉を入ると途端に、アンモニアの匂いが立ち込める。。。犬や猫がわんさかいて、その糞尿が至るところにまき散らかされていた。。。細い路地みたいな糞だらけの、ハエや虫たちが目の前に群れをなしている通路を手で払いながら案内されるがままに進むと、そこには今にも立ち崩れそうな同じくアンモニア臭漂う掘立小屋がひしめき合っていて、貧しい人々がたくさんの子供連れで、かつての日本の長屋よろしく生活している状況が垣間見れた。。。
最終的に案内された小屋はもちろん板張りむき出しで、ランプひとつだけ。家具もなにもない。キッチンは5-6軒の家が共同でキッチンと呼ぶにはあまりにも哀しい小屋のひとつを使用していた。。。
興味本位で値段を尋ねると、老婆は$80,000(約$138)だと言う。。。
この酷い物件で、だ。。。
しかもうちの従業員の若者は、この物件を彼女とふたりで住むために、借りたかったのだ。だが彼はどういう訳かお金が足りなくて、この物件を諦めたのだ。。。詳しい経済的事情は尋ねなかったが、その日暮らしで蓄えは多分ゼロで、家賃くらいは払えても、家財一式を揃える余裕がなかったのかも知れない。。。
正直わたしはこの物件には絶対に住めないと思った。。。だがうちの従業員たちの何人かはきっとこういう生活をしているのだ。だから彼らにはそういう違和感がない訳だ。わたはがとてつもなく不衛生と感じる生活も彼らにとっては生まれてからこの方ずっと慣れ親しんだ環境でしかない訳だ。
言っておくが、彼自身はもちろん、決して不潔感など微塵もない、綺麗好きな好青年だ。身だしなみもきちんとしているし、仕事ぶりも真面目でなによりも親切な青年だ。
前にも学生アパートのことで書いたが、Chile, Santiagoにはこういう隠れた市民生活がある。。。
またいつか書くけれど、Chile国民にとってSalvador Allendeは苦い思い出のひとつに過ぎないのかも知れないが、Allendeの登場は歴史の、国民国家としてのChileの必然だったのだ。。。

 

 


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前回の続き、みたいなもん?? [Chile編]

という訳で忙しく働いておりますが。。。

どうやらこの職場、わたしには合いそうにありません。わはははは
いや、そもそもはこのチェーン店の料理をもう少しよくする為に、アドバイザーシェフとしての仕事を期待されたはず。。。
わたしが働きだして2日めには人事部長のJoaquin氏が来店して、わたしを改めてみんなに紹介すると共に、翌週にはわたしに各店舗を巡回させて、改善点を指導してもらう、という説明だった。。。

だが3日めにはどういう訳か、統括シェフのRaul(こいつがとてもいい加減な奴、笑)が来て、わたしに"とにかく今はなにも実験的なことはせず、うちのやり方で通常の仕事をしてくれ"と言い出す始末。。。なんだって??この俺に(俺って言うてしまうわ、笑)寿司飯を海苔に強く押しつぶすようにして、巻き寿司を作れってか?? アホかっ!?

で4日めには第一オーナーAlanの弟という奴と店のマネージャーがふたりで、わたしに念を押す始末。。。おいおいっ。。。

ん!? どうした??と思っていたら、6日めにいよいよオーナーAlanが来て、"もう少し先はいろいろ考えるにしろ、今は徹底してうちのやり方で働いてくれ、何も変えたりしないように"と告げに来た。。。

どうやら、わたしを雇った共同経営者のIvanと前述のJoaquinが先走ったらしい。。。
で、それが第一オーナーの逆鱗にでも触れたのか??

オーナーのAlanとしてはどうやら何一つ変えるつもりはなさそうだ。
Ivanたちは何か手を打って、改善してゆきたいという考えのようだが、オーナーがNOならどうしようもない。
こんなところでただのコックとして、間違った寿司を作り続けるのは、とても恥ずかしい。。。日本人客なんて来ようものならどうすればいいってんだ!?
いや、寿司の巻き方、握り方くらいならその場でなんとでもなるが、寿司飯の炊き方や味付け(まったく味がしない)ばかりは、その場ではどうしようもない。
他の厨房料理に至っては恥ずかしいにもほどがある。
どのツラ下げて、日本人シェフです、なんて挨拶できるものかっ。。。

そんな訳で、いや、まだしばらくは働きますが、そう長くは続けるつもりはありません、ってか、多分、向こうもわたしに通常より高い給料を払い続ける必要がない訳で、こりゃ2ヵ月経ったら、はい、サヨナラって感じで、向こうもわたしもちょうどいいかも??ってところに落ち着きそう。。。わはは

ともかく年末までは我慢して働いてみて、年明けに給与の再交渉と共に、話し合いの場を設けてもらって、多分、そこでサヨナラって感じじゃないでしょうかねぇ。わはは

そもそもやはりチェーン店で仕組みを変えてゆくのは相当に難しい。。。
もともと1店舗から始まったこのチェーン店は、大きくなる度に、店舗を増やす度に、品質を向上させるのではなく、逆に品質を落とし、原価を落とすことによって、店舗数を押し広げ、利益を拡大してきたようだ。
一時期は日本人シェフもいたらしいが、すぐに喧嘩して辞めたらしい。
そいつとわたしがダブっている可能性もある。わはははは

1店舗から3店舗になって、同じ品質のモノを提供するのはとても難しいのは想像に難くない。
だがそれをシステムと工夫で乗り越えなければならない。或いは低価格に走るか、だ。
だがうちの店は余所より高い価格だ。
チェーン店と言っても、テイクアウト専門やカウンターファーストフードではなく、それなりに高級感がなくもない(微妙な)店作りとなっている。
大型ショッピングモールに6店舗構えているが、決してフードコートではない。
だから価格も高めで、それでいて、品質を落としてチェーン店化を続けてきたとしたら、もちろん、先は不透明だ。
競合レストランは年々、日増しに高級化(ペルー料理との日系フュージョン)と安価の2極化を推し進めているだろうに、うちと来たら、もっとも中途半端なところで、昔からのネームバリューだけで生き延びてきた訳だ。デリバリー寿司店と同程度のものを、どうしてもデリバリーではなく、ちゃんとしたお店で食べたいという顧客をターゲットにしているという位置づけか??
日系ペルーという"Nikkei"レストランは、和食のことなんぞまったく分かっちゃいない。彼らが作る寿司も、うちの店とまったく同じだ。
ということは、ここでは日本人経営の3店舗以外は、うちを筆頭にNikkeiペルー~デリバリーまで、どこもまったく同じ品質の寿司を作っていると考えていいだろう。うちのレストランは本来は、やはりその中間に立たなければならないはずなのだが。。。

 

さて。。。そんなところです、はい♪ わはははははははははははは
もうね、とにかく忙しくて、通勤が大変で。。。

先日はなんとSantiago全市内の地下鉄が3ライン、始発から全面ストップという非常事態に。
なんでもセントラルの電気系統が老朽化で燃えてしまったというのが理由らしい。。。
で、みんな歩く。。。ひぇー。。。
もちろん、バスは臨時車両も出しているが、そんなものまったく足らない。。。バスの列は恐ろしいほどだし、バスの中は日本の満員電車さながらだ。。。
日本の電車と違って、バスにクーラーなんぞある訳もなく、地獄絵図。。。
しかもいつバスに乗れるかなんて分からない。。。
人々は3-4駅なら歩いてでも出勤。。。さすがチリ。。。

わたしはたまたま遅番だったが、店に電話したらバスで出勤しろという。。。ひー。。。
夕方、バスになんとか乗り込み、2時間半かけて到着。。。ふらふら。。。
で帰りも当然(というか、夜はバスしかない)バスで。。。とほほ

さて、いつまで続きますやら。。。わははははははははははははははははははははははははははははははは


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