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幸せのハードル [Nicaragua 2016]



毎年末恒例の「世界幸福度調査」の結果が発表されたが、なんと一位にはコロンビアが輝いている。
まあ、こんな調査に大義なんぞないのは言うまでもないが、それでも何かを読み取ることくらいはできる。
本文中でもいくつか指摘があるが、わたし的には足りない部分を感じたので、下のように改めてまとめてみた♪

コロンビア人たちが、自分たちを"幸福である"と感じている理由だ。
南米の人々が自分たちの国と生活を"幸福である"と感じれる理由だ。



1.必死になって仕事しない(適当に仕事する)

2.一生懸命遊ぶ

3.いつでも友達や恋人がいる(家族も)

4.たまに新しい靴や服が買えればそれで満足する(モバイルフォンは必須となったけれど)

5.人を羨まない(妬まない)=蔑まない     
         
日本人からするともっとも理解しにくいのは3と5かも知れない w

3.はみんな寂しがりやなので、独りでいるなんてことが一番耐えられない。だから異性も含めて友達といつも一緒にいるし、恋愛のハードルも低い。交際中の相手がいなければ、自分のことを好きだと言ってくれる人と交際する、というくらい簡単なイメージ。深刻にならず気楽に恋愛するという方法論だ。わはは

5.は実のところ、彼らの関わる社会とそのイメージが小さいという感じがする。友達であろうと、基本的に他人のことには興味がないに近い。だから妬みも羨ましさも小さい部分がある。あるがままの社会を受け入れるには自分とは関係がないと切り捨てる部分もあるのかも知れない。
一番見習わなければならないと思うのは、他人の悪口を(さほど)言わないってことだ。内緒ごとが通じないので陰口という概念もない。口走った悪口は翌日には本人に伝わっている。わはははは

もちろん、1.はDNAの違いかと思えるほどだけれどね(日本だけが変なんだよ)。わははははは


総じて言うと、幸せのハードルを上げないことだ。わはははははは



あっ、もちろん、わたしには無理難題だ。
わたしはどちらかというと、
1. 必要以上に必死に働く
2. 結果、疲れて閉じこもる
3. 友達や恋人には恵まれている方だけれど、基本、独りが好き。
4. これだけok (日本を出るときに物欲は捨てました)
5. 妬まないが、すぐ他人をバカにする。。。

もう幸せ指数ゼロに近いのも当然だろうね。わははははは


そうだ、必死になって働くことがすべての元凶であるような気がしてくる。。。
必死になって働くことで疲れ切り、ストレスを貯め、結果、イライラして他人を非難したり、バカにしたり、友人たちとの楽しいはずの時間さえバカ騒ぎやカラオケ程度の自己ストレス発散の場となってしまい、友人たちとの落ち着いた愉しい交流の時間とは別のものになりがちだろう。そして恋人には一方的に甘えて、寧ろ我儘に振る舞うばかりだったりする。
もちろん、日本的に必死になって責任感をもって働くことで業務の成果は著しく変わってくる。
わたしなんぞが海外で仕事にありつけるのも、そういう実務スタイルがやはり南米であれ求められているからだ。
経営者としては当然だろう。たとえ南米であろうと、経営者は責任感をもって必死になって働いてくれる人材を探している。。。
けれど労働者の方ではそれに応えようとはしない。いや、まあ、適当に、彼らなりに応えてはいるのだ。
彼らとしては最大限に応えているつもりなのだが、少なくとも日本式から見ればまったく足りない。わはは

一方、この"日本式"は、ニューヨークを始め、米国の大都市部で、或いはヨーロッパ、アジアにさえ輸出されて近年(もう20年近くになるんじゃなかろうか)、世界の先進国のスタンダードになりつつある。
だがやはりその所為で、欧米社会の幸福指数はどんどんと目減りしつつあるのだ。

導かれるのは、やはりそれが、"必死になって働くことが"すべての元凶であるという事実だろう。

問題は、企業や経営者は必死になって働くことを求め、その成果によってあなたに報酬を支払うだろうけれど、あなたはいったいどこまで必死になって働くか、という線引きだ。

時間内とするのか、一区切りの業務とするのか、区切りなく線引きなく可能な限り必死に働くのか、というラインだ。

報酬はデカい方がいいに決まっているが、その為に幸せを犠牲にするのは本末転倒だろう。
短期間とは言えない。。。10年、20年どころか、40年間以上を要求されるのだ。。。擦り切れたあなたにその後いったい何ができるだろう?
しかも老後の心配はなくなったりはしない。その時点ではもうすっかりそういう人生価値観に浸ってしまっているからだ。

日本社会で"適当に働く"ことは難しい。。。
それが日本社会の病巣なのだとみんなが気づくまでは。。。それは結局のところ不可能に近い。
そうやって成長してきたのだという"成功の歴史"を抱えているからだ。

仕事が好きであり、一生懸命に働くことは何一つ悪くない。
だが必死になって働くことはそれとは別モノだ。
必死になって働くよりは、何か"工夫をしながら"働いた方がいい。


以前書いたフレイレの言葉を引用して終わろう。http://antaios-latino.blog.so-net.ne.jp/2011-02-26

フレイレは人間の社会に対応する能力について"統合"と"順応"という概念を挙げて、こう述べている。

"統合は自らを現実に順応させる能力に加えて、その現実を選択し、変革する批判的能力から生じる。人間が選択能力を失い、他者の選択に従属するにつれて、また自らの決定が外側からの指示によって不可能になるにつれて、人間はそれだけ統合することが難しくなる。彼はむしろ状況に順応し、適応しているだけである。"
"統合というのは(中略)最大限の批判的思考能力を必要とする。それとは対照的に順応してしまった人間は、対話も参加もないままに、ただ与えられた条件にみずからを当て嵌めるだけであり、だから権威主義的で、無批判的な精神の枠組みが身についてしまうのである。"

 またそういう人物の意識を"能動態的"、"半能動態的"として、

"この半能動態的な意識を持つ人間は、生物学的範囲を超えた問題を認識することができない。彼らの関心はほとんどの場合、生存することにのみ集中してい”ると考察してみせる。

 引用が多くなるが、次の一言は1967年に発せられている。

 "高度に発達した工業社会を分析してみると、大衆化マス化が進み、選択の自由という幻想だけが行き渡る中で、人間の批判的な能力はかえって馴化されてゆくという現象が一般的にみられる。"



もちろん、いまだに日本式から逃れられないでいるわたし自身の課題でもある。
わたしは短期契約にこだわることによって、そこからの逃げ道を確保しているに過ぎないからだ。わはは
 


追記。。。

じゃあ、なぜここに中米の国々がないのかと言えば、やはり4と5の項目になるのも事実だ。

それは彼らの20世紀半ばに取り残されたかのような貧しさと共にある。
そして彼らは富裕層と共に生きている。目の前で富裕層がろくに働きもしないで豊かな生活をしているのを見ながら、自分たちはこき使われていると感じているからだ。だから彼らの欲望はとても深いし、羨み、妬みも強い。
社会主義革命の夢を潰された国の歴史が彼らに重くのしかかっているからだろう。
南米では従業員、労働者という観念だが、中米では中世的な使用人といった方が遥かに近い観念なのだ。
旦那様と使用人の関係はとても根深い歴史的怨嗟の中にある。。。


追記 2016.4.6

ずっと追記しようかどうか迷っていたのだけれど、本文中で、コロンビアが幸福度世界一位になった調査だが、世界で毎年公表されている幸福度指数にはたくさんの種類があって、上の調査は"(国民の)主観的幸福度指数"というやつだ。
ちなみに、以下の一覧は2014年度のものだったと思うが(保存したのが随分前で覚えてない。笑)コロンビアは同3位となっている。小さいから見にくいよね。。。clikすると拡大できるかも。。。

list feliz.jpg

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ISISと米国CIA、そしてイスラエル [Nicaragua 2016]

ISISのラジオ局がアフガニスタンの米軍基地に設置 2015年12月31日 イラン・ラジオ放送


アフガニスタンの国会議員が、アフガニスタンで報道活動を行うテロ組織ISISのラジオ局は同国にある米軍基地に設置されていることを明らかにしました。
ファールス通信におよりますと、タリバンがアフガニスタンのISISのラジオ局は、ナンガルハール州の中心都市ジャララバードにあるアメリカ軍基地に設置されていると主張したこと受け、同国の一部の国会議員は30日水曜、このニュースを認めました。
アフガニスタン国会のラフマーニー議員は、この問題を認めると共に、「このISISのラジオ局の設置においてアメリカは重要な役割を果たしている」と語りました。
また、別の議員であるゴルムジャヒド氏は、「ナンガルハール州にあるISISのラジオ局は直接的な形でアメリカに運営されている」としています。

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 過去にはISIS兵士の腕にUSアーミーの入れ墨があって、写真が報道されたこともあって憶測が憶測を呼んだ。。。



もちろん、米国は昔から"毒をもって毒を制す"、"敵の敵は味方"というような考えで、ゲリラ支援を行ってきた。
だが、問題は未だに!? ということだ。
米国はその失敗をいやというほど繰り返してきたのだ。
新しいところでは、ビン・ラディンとアルカイダを育てたのは米国自身だったではないかっ!!
なのに、いまだに同じことを繰り返している。。。
嘆かわしいことに、このバカさ加減は、おそらくアフガニスタン、イラクの戦略本部が大きくなりすぎて、シリア情勢とは別の部局が担当していることからも来ているはずだ。
シリアでも反体制ゲリラに対する支援はミソも糞も一緒くたで(そもそも武装勢力はみんな糞な訳だが)、その資金は当然ISISにも流れるだろうし、ゲリラ訓練に米兵が参加したりするのだろう。
もちろん、参加するのはアラブ系の米国兵士だったりするから、中には寝返るというか、そのまま取り込まれてしまう輩が出てきてもおかしくもない。
そういうすべてがこの闘いをますます狂ったものにしてゆく。。。
前線にある混沌は正気を拒否して狂気を支えとするのだ。



 さて、実は真偽不明だったひとつのニュースがあった。。。

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イランの政府系メディア『FARSニュース』による報道とされていて、昨年10月末に起こった出来事が、最近になって明らかにされたらしい。
内容は、イラク国内で「イスラム国」掃討作戦を実施していたイラク軍が、数名の「イスラム国」の戦闘員を捕虜にした。すると、そのうちの1人がイスラエル軍の現役の大佐であることが分かった。捕虜となったのは、ユーシ・オウレン・シャーハク大佐で、イスラエルが実効支配しているシリア領ゴラン高原に展開する特殊部隊の「ゴラニ歩兵大隊」に所属する現役の大佐であった。というものだ。(孫引き)

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 孫引きなので、噂程度にしか信用できなかった。。。
だが、今日また別のニュースを見つけた。。。日付は遡るが、それは以下のようになっている。

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元イスラエル兵がISISに加入  2015年12月14日 イラン・ラジオ放送

シオニスト政権イスラエルが、元イスラエル兵がテロ組織ISISに加盟したことを明らかにしました。
ロイター通信が、ベイトルモガッダス・エルサレムから伝えたところによりますと、シオニスト政権の治安関係者は、13日日曜、この政権のメディアの報道を認め、「イスラエルの退役軍人1名が、ISISに加わった」と語りました。
なお、これ以上の詳細については語られていません。
イスラエルは、この政権のアラブ人数十人が、違法に出国し、シリアやイラクのISISのメンバーに加わっているとしています。
このような人々が、武器の使用方法を覚えたり、過激な思想を持ってイスラエルに帰ることについて懸念が高まっています。

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 ということは、それは事実だった訳だ。
元イスラエル兵士か、現役イスラエル兵士かは問題ではない。
いつ解雇されたか不明なだけで、事実ユダヤ人兵士がISISに身元を偽装して(※アラブ人となっているが不自然極まりない)参加するにはモサドの協力なしでは考えられない。
すなわち、モサド(イスラエル諜報機関)が、ISISにスパイとして送り込んだか、ISISを軍事支援すべく送り込んだかのどちらかでしかない訳だ。
で、もちろん、スパイとして送り込んだ兵士がイラクに捕らえられたというなら、別の報道があっていい。

 さらに遡ること、2015年11月20日、わたしはFB上で見つけた一枚の画像をシェアして、こうコメントしている。

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※なぜISISがイスラエルを攻撃しないのかは永遠の謎だ。

 
確かにそうだ。なにかあるとは思えないのだが、ISISがイスラエルを攻撃したことがないのはISISの片手落ちというとアレだが、彼らの迷走ぶりを示している。
(いや、別にISISがイスラエルを攻撃すればいいと言っている訳ではない)
ただ彼らが、土地と民という国を欲しがっているという点が明確になるだけだ。
イスラエルを攻撃したところで、彼らには土地も民も手に入らないからだ。
だとすると、彼らの目指すところがとても陳腐なものであることが分かる。
イスラーム原理主義を名乗りながらもやろうとすることはアサドと大して変わらない。イスラーム原理主義を糧に、アサドにとって代わろうとしているだけだとも言える。
イスラームの本当の敵が誰なのか、そこがすでにあやふやになっているようにもみえる。米国はともかくも少なくともフランスや世界各地でテロを企む暇があるのなら(イスラームの立場からすれば)他にすべきことがあるのではないか、というのは一面正しい指摘だろう。
下の主張が拡散されてISISがそれを認知した時、彼らはどう反論するのだろう?


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 こんなニュースもあったし、それ以外にもトルコがISISの石油を買っているというのは、プーチン以外からも報道があった。


トルコ、政府によるISへの武器供給を報じた記者2人が逮捕  2015年11月27日

トルコで、「トルコ政府はシリアのテロ組織『イスラム国(IS)』に武器を供給している」と報じたトルコ紙「クムフリイェット」編集長ジャン・ジュンダル氏および特派員エルデム・ギュル氏が逮捕された。容疑はテロ組織およびスパイ活動への参加。
今年5月、同紙は、トルコのトラックの車列の写真を公表した。シリアで政府軍と戦っている戦闘員らに武器弾薬を供給するトラック、とのことだった。
写真は昨年1月に撮影されたもので、このとき地元当局がシリアに向かっていたトラックを制止し、検査し、トルコの諜報員と抗争になったという。同紙によれば、この写真は、政府が密かにシリアの戦闘員らに武器を供給していた事実の証拠である。トルコ政府はこれを否定している。

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 さて、これらを統合してみよう。


それぞれに勝手な理屈はあるだろうが、いや、もうパズルとしてはごちゃごちゃだ。。。
すっきりさせる方法はない。
国境を超えた戦略本部がなく、国別・地域別にそれぞれが地域利害に基づくのみの"毒をもって毒を制す"、"敵の敵は味方"理論を展開しているとするしかない。米国そしてイスラエルも、実のところトルコやサウジ、それどころかISISに至るまですべての当事国、当事者たちが、だ。
これはもう2次元的にはカオスだ。
3次元的空間に移し替えてみれば、何匹ものくねくねと蠢く蛆虫どもが目に入るかも知れない。言っておくが、頭のない胴体だけの蛆虫が何匹も蠢く相関図は、3次元で表現できたとしても決して論理的な複合性は持ち合わせちゃいないだろう。

米国はシリア反体制派ゲリラに武器援助と人的援助を送り込んだのだ。。。
反体制派というのはもちろん、玉石混交で、バラバラだ。
それぞれが生き残りを賭けて、主導権争いをし、解体されたゲリラ一派は他に合流し、また分裂しを繰り返す。
地域ごとに分断されるしかない所為で同じ一派だと名乗っても、指揮系統が国家並みである訳でもなく、それぞれの部隊でそれぞれの独立指揮権にあるだろう。
米国に反体制派の区別などつかないし、もともと興味もない。生き残り頭角を現した反体制組織を支援して関係性を確保するだけだ。
そんな中、ISISも頭角を現し、米国の積極的援助を受ける訳だ。
ここで知っておかなければならないのは、もちろん、反体制ゲリラを支援するのは通常の米国軍隊ではなく、CIA諜報部だということだ。
諜報部には諜報部の考え方がある。彼らにとっては人質ジャーナリストの命など、単に戦争の犠牲のひとつに過ぎないということだ。
米国大統領にとっては、国民の支持率の為の大変な事件でも、諜報部からすれば、ひとりやふたりの犠牲など蚊に刺されたほどにも痛くもないということだ。救出作戦は軍に任せてしまえばいい、情報提供はしてやるけれど、救出はCIAの範疇ではないということだ。
CIA諜報部の活動は米国大統領とさえ一歩距離をおいているという事実だ。

アフガニスタンでは政府側に立つ米国は、反アサドのISISの兵士募集に手を貸して、国内から武装勢力をシリアへ移動させて、なんなら絶滅してくれたらありがたいくらいの話かも知れない。なんと言っても地上戦に突入したくない米国としては、地上でアサドと闘ってくれる兵士が必要な訳で、それがISISであろうとなんであろうと知ったこっちゃない。アフガニスタン国内のイスラーム過激派がシリアへ赴き、そこで斃れてくれるなら万々歳だ。

イスラエルが、イスラエルとしてISISと手を組むとは考え難い。偽装して手を組むなら理解はできる。
イスラエルとしてもISISのシリア戦闘はシリアを混沌の中において、イスラーム過激派たちに殺し合いをさせるという点だけでも利用価値はある。
しかもISIS内にスパイを送り込むことになる訳で、自国の安全保障上も必要な活動だろう。影から資金を提供してやれば、ISISがスパイを疑う余地は少ない。しかもISISのフリをして、イラクやアフガニスタン、シリアなど各国で、自国の脅威となる反イスラエル立場を取る過激派勢力を討伐させることすら可能な訳だ。なんならイスラエル国境付近に展開するISIS部隊をモサドのスパイが指揮するようになれば、寧ろそれは壁となって本来のISIS勢力のイスラエル侵入を防ぐ形にもなるだろう。モサド=イスラエル政府にとっても、米国人ジャーナリストや米国兵士ひとりやふたりの生命などなんでもない。自国の安全保障だけが目的なのだから。

トルコは反アサド勢力を支援する為に(そして自国の利益の為に)、反アサドゲリラから石油を購入しているのだ。
ISISから購入しているのではない、という認識だろう。けれど、彼らがISISではない別の一派だと偽装するのは簡単だし、ISIS兵士が売買をする訳ではない。間には民間人商売人が介入する訳で、しかも石油を購入するのも政府ではなく、民間業者な訳で、もうそうなったら政府の知ったことですらないという理屈だ。もちろん、政府関係者の汚職はどの国でも同じだから、誰かは知っているし、糸を引いていたりするけれど、それは汚職の範疇だということもできる。ISISがシリア政府に売ろうとしている分をくすねてトルコに売ってやるのだと言われれば、トルコ側も考えない訳にはいかないだろう。そもそもISISと雖も一枚岩ではない。さまざまな分裂があるだろうし、寧ろわざと分裂を装うという手だってある。あっちと取引する時はこっちのグループを騙って、こっちと取引する時はまた別のグループを騙ってということだって難しくはない。そもそも絶対的混乱の中で誰が味方か、どこに真実があるかなんて誰にも知りようがないのだ。
 ついでにトルコにとっても、北部のクルド人勢力とISISの闘いは願ってもない部分がある。クルド人に手を焼くトルコ政府としては、ISISがクルド人の武装勢力を弱体化させてくれるなら、万々歳なのだ。その為にISISにちょっとくらい手を貸しても悪くはないと考えてもおかしくはない。 

さらにはISISのトラック群はTOYOTA製だ。VIDEOを見た人も多いと思うが、数百台にも及ぶTOYOTA車の新車の隊列だ。その資金はもちろん、米国CIAから出ている。反アサド勢力に対するクレジットだ。ISISが直接クレジットを得る訳ではないとしても、それを偽装されたらそれまでだし、仲介者が裏切れば、ハイそれまでだ。そこで利益を上げるバイヤーがいて、それを特需だと喜ぶ人間がいる限り、彼らは再びTOYOTA車を容易に手に入れる。簡単に重火器を設置できるというのがTOYATA車の選ばれた理由らしい。

サウジアラビアはかねてからイスラーム原理主義勢力に対して、資金援助をしている。それは一部は脅されてというか、右翼団体への寄付みたいなもんで、或いはやくざへのみかじめ料みたいなもんで常態化している。サウジ王家の支配を正当化させる為にはイスラーム原理主義勢力への支援は必要悪なのだ。

そもそもISISとはなんなのかということだ。。。
元アルカイダ系だとかいろんなことが言われているけれど、そんなもの過激派組織はいつも分裂、解体、離散集合を繰り返している訳で、家系図みたいなものが描ける訳ではない。自然発生的な部分もあれば、脱退~加入という個人レベルの変遷や後付け的な変遷もある。
ただひとつ特徴的なのは、彼らの中枢に"外国人"がたくさん存在するということだ。
勘違いしてもらっては困るが、この場合"外国人"というのはもちろん、アラブ人、アラブ系外国人のことだ。そしてその外国というのは主に欧米=先進諸国を指していることが他の過激派組織との大きな違いだ。
すなわち、組織の中枢部には、先進諸国で育ったアラブ系移民たちが存在しているということだ。
もちろん、カリフを名乗るような代表人物はヨルダンやイラクで生まれている。だが彼らの周辺は外国人勢力で固められていることも事実なのだ。
これは或る意味、彼らがなぜ領土(国家設立)に拘るかということにも重大な関係がある。
彼らの大半は祖国を持たない連中なのだ。
先進諸国で育ち、本質的な部分で部外者である彼らはイスラームにユートピアをみている部分もあるのかも知れない。
いや、現実は利用しているだけだと思われるが、イスラーム原理主義を名乗ることで、彼らは自分たちに都合のいい国家社会を建設しようとしている。住民たちを服従支配する為にはどうあってもイスラーム原理主義でなければならないのだ。
彼らはイスラーム原理主義に必要な指導者を祭り上げる一方で、組織の中枢にいて、プロパガンダや資金・武器調達、戦術・戦略などに深く関わっている。そういう彼らは同じように外国育ちのアラブ系女性たちをリクルートして自身の伴侶としたい考えなのかも知れない。一方で被支配下の現地アラブ女性は"性奴隷"と噂されたような形で戦利品扱いなのかも知れない。

ISISの名が世界各国のメディアで取り上げられるにつれ、彼らに合流しようとする過激派グループが出てくる。けれどそれは名前を借りている(僭称)ような状態に過ぎず、或いは一部で資金援助を当てにし、またメディアに自分たちの存在をより大きく見せる為に=生き残りの為の戦術でしかないのも事実だろう。現実にISIS本体が乗り込んで合流する事態になったら仲間割れ、分裂するのは目に見えている。実質どんな関係もないか、資金援助が目当てかだけだ。だがメディアはよりセンセーショナルな報道を好むから、ISISの名前を大きく取り上げる。
そこでまた単純化された構図が出来上がる訳だ。その構図に基づいて各国諜報機関が好き勝手なことをし始めるとさらに混乱は深まる。。。


"毒をもって毒を制す"、"敵の敵は味方"というような謀略はうまくいった試しはない。けれどそれがもっとも省エネな作戦であるのも事実なのだ。
自国の犠牲を出したくない米国からすると、それが一番、簡単に着手できる作戦なのだ。
その結果、数名の犠牲者が出ることになっても、直接戦争で被るであろう被害に比べればなんでもないのだ。
それが時に、9.11のような多大な犠牲を払う羽目に陥ったとしても、だ。
9.11やボストン・マラソン、或いは連邦ビル爆破のような事件は、逆に見ればその3件だけだとも言える。
それは最小限のリスクだ(許容範囲だ)という考えすら成り立つとすれば、諜報活動の魑魅魍魎、謀略のおぞましさを推し量ることができるかも知れない。

出口なき闘いはまた、まさにイスラエルが願っていることでもある。イスラエル政府にとっての何よりの敵は、恒久的なアラブ世界の平和なのだ。
パレスチナを抑圧し続ける為には、自国の存在を維持し続ける為にはアラブ世界の紛争は永遠に続く必要があるし、イスラームが悪者であればあるだけ都合がいい訳だ。欧米諸国がテロを非難すればするほどイスラエルにとっては都合がいい。
ISISが勝とうが、引き分けに終わろうが、アサドが勝利しようが、どうとでもなるがいい。引き続き紛争の種さえ尽きないならそれは本当にイスラエルの望むところなのだ。それはすなわち、米国の望むところでもあるという事実だ。


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戦争犯罪に加担しようとする国家国民 [Nicaragua 2016]

米軍、ISISの「金庫」を爆撃 数百万ドルの打撃か    CNN.co.jp 1月12日

 

 過激派組織「イラク・シリア・イスラム国(ISIS)」支配下のイラク北部モスルで、ISISが大量の資金を保管していた建物に米軍が爆弾を投下して破壊したことが12日までに分かった。米国防当局者2人がCNNに語った。

資金の正確な額や通貨は不明だが、当局者のうち1人は「数百万」ドル相当に上ると語った。

1トン級の爆弾2個を10日に投下し、建物は短時間のうちに破壊された。

米軍によるこのような空爆は異例。当局者らによると、米軍は今後、ISISから国家のように振る舞う能力を奪い去るため、資金関連の標的に対する攻撃を強めていく方針とされる。ISISの石油輸送車も数週間前から攻撃対象に加えられた。

米軍がモスルの建物を突き止めた経緯は不明だが、攻撃前には民間人が最も少ない時間帯を把握するため、数日間にわたって上空から現場周辺を偵察していたという。

その結果、民間人が建物に近づくのは昼間で、ISIS要員は夜の間に作業していることが判明。10日の夜明けに攻撃を実行することが決まった。

標的の重要性が高いことから、最悪の場合は民間人50人の犠牲もやむなしと考えられていたが、作戦直後の推定によると5~7人が死亡したとみられる。

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だから以前にも書いたように、これは誤爆の問題ではない。
"、最悪の場合は民間人50人の犠牲もやむなしと..."という故意による戦争犯罪なのだ。
テロリストを殺害する為には、民間人50人の犠牲もやむを得ないと判断する米国が、民間人に対すテロ行為をどこまで非難できるだろうかという問題だ。
この民間人の人権や、刑事訴訟、損害賠償は無視されるのが当然なのだろうか?
しかもこのケースではテロリストを殺害する目的ですらなく、言わば金庫を爆破する為、お金を燃やす為に、民間人50人程度の死者は仕方ないと外国政府によって想定されたのだ。
オバマは成果を誇る前に、犠牲となった人々とその家族に詫びるべきだし、その補償に応じると宣言すべきだ。
そして彼は戦争犯罪人として法廷へ出るべきなのだ。
これは一回の爆撃によっている(爆撃は複数回だが)。
つまりISIS掃討作戦の全体としてみれば、ISISテロリストを壊滅させる為には数千人や数万人の民間人の犠牲はやむを得ないと規定されているということだ。
それを戦争犯罪と言わずに何と呼べばいいのだろう。
数千人、数万人の犠牲者は人間ではないのだろうか?
数十人のテロの被害者の仇に殺される数万人の罪のない人々の無念はどこへ消えゆくのか!?
そしてこういう闘いに"国際貢献だ"と勇んで参加したがる国家とそれを支持する国民はいったい何者なのか!?
自国が攻められたら??では足らず、他国への空爆に力を貸そうという法案なのだということを理解できない人々が、北朝鮮の水爆実験というデマに乗せられて、"ほらっ、みたことか!!"という愚かさは、いったいどこから来るのだろう。。。

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怒りがわたしを促す [Nicaragua 2016]

これだけは言っておきたいが、わたしは決して政治評論家を気取るつもりなどない。
わたしはただ本気で怒っているのだ。

何度も言ってきたように、わたしはこの愚かな世界に絶対的な絶望を抱いている。。。
けれど、その絶望の深淵の奥底から尚、怒りに満ち満ちて身を乗り出し、呪詛を吐き散らかしているのだ...


以下、ここ数日fb上に吐き散らかしたゲロをお見せしよう...

---------------1月8日-------------------------------

わたしはデモクラシー至上主義、多数決主義というものに非常に懐疑的だが、それでもSEALDsや市民連合などという団体がデモクラシーによる"国民の意思の反映"に拘るのなら、参院選でミソ糞の野党連合などに期待を寄せるよりも、集団自衛権と安保関連法案に関する国民投票の実施を呼びかけるべきではないのか!?と思う訳だ。
もちろん、その結果がどうでるかについても、わたしは多分に懐疑的であったりさえする。。。

---------------1月10日-------------------------------------

慰安婦「日韓合意」 安倍首相、慰安婦像撤去「韓国政府が適切に対応と確信」  産経新聞 1月10日
 
 安倍晋三首相は10日放送のNHK番組で、慰安婦問題に関する昨年12月の日韓合意に関し、在ソウル日本大使館前に設置された慰安婦像の撤去について「韓国側が適切に解決するよう努力する内容になっており、(韓国政府が)適切に対応すると確信している」と述べた。
 さらに「今回(の合意)は両首脳が確認したことに大きな意義がある」とし、朴槿恵大統領との電話会談で慰安婦問題を蒸し返さないことで合意し、公表した重要性を強調した。
 自民党の稲田朋美政調会長も10日のフジテレビ「新報道2001」で、慰安婦像について「誤った歴史が捏造されている象徴だ」と指摘し、「これからも『20万人の若い女性を強制連行し、性奴隷にして殺した』というのは違うと言うためにも慰安婦像をしっかり撤去してもらう」と述べた。



いったい何を「おわびと反省」したというのか??
"蒸し返さない"というのは、少なくとも現時点では韓国の動向を静観することを含めてだ。
水面下の外交ルートで念を押すのはいいが、メディア向けに盛んに"撤去、撤去"と叫ぶべきではない。
 さらには、自民党の稲田朋美政調会長が、慰安婦像について「誤った歴史が捏造されている象徴だ」と指摘し、「これからも『20万人の若い女性を強制連行し、性奴隷にして殺した』というのは違うと言うためにも慰安婦像をしっかり撤去してもらう」と述べた。
というのは、もはや日本側が先に"蒸し返した"と言われても仕方のない話だ。
 いたっい何を「おわびと反省」したのだろう。。。


--------------1月11日--------------------------------------

米軍、ISISの「金庫」を爆撃 数百万ドルの打撃か    CNN.co.jp 1月12日
 
 過激派組織「イラク・シリア・イスラム国(ISIS)」支配下のイラク北部モスルで、ISISが大量の資金を保管していた建物に米軍が爆弾を投下して破壊したことが12日までに分かった。米国防当局者2人がCNNに語った。
資金の正確な額や通貨は不明だが、当局者のうち1人は「数百万」ドル相当に上ると語った。
1トン級の爆弾2個を10日に投下し、建物は短時間のうちに破壊された。
米軍によるこのような空爆は異例。当局者らによると、米軍は今後、ISISから国家のように振る舞う能力を奪い去るため、資金関連の標的に対する攻撃を強めていく方針とされる。ISISの石油輸送車も数週間前から攻撃対象に加えられた。
米軍がモスルの建物を突き止めた経緯は不明だが、攻撃前には民間人が最も少ない時間帯を把握するため、数日間にわたって上空から現場周辺を偵察していたという。
その結果、民間人が建物に近づくのは昼間で、ISIS要員は夜の間に作業していることが判明。10日の夜明けに攻撃を実行することが決まった。
標的の重要性が高いことから、最悪の場合は民間人50人の犠牲もやむなしと考えられていたが、作戦直後の推定によると5~7人が死亡したとみられる。


だから以前にも書いたように、これは誤爆の問題ではない。
"、最悪の場合は民間人50人の犠牲もやむなしと..."という故意による戦争犯罪なのだ。
テロリストを殺害する為には、民間人50人の犠牲もやむを得ないと判断する米国が、民間人に対すテロ行為をどこまで非難できるだろうかという問題だ。
この民間人の人権や、刑事訴訟、損害賠償は無視されるのが当然なのだろうか?
しかもこのケースではテロリストを殺害する目的ですらなく、言わば金庫を爆破する為、お金を燃やす為に、民間人50人程度の死者は仕方ないと外国政府によって想定されたのだ。
オバマは成果を誇る前に、犠牲となった人々とその家族に詫びるべきだし、その補償に応じると宣言すべきだ。
そして彼は戦争犯罪人として法廷へ出るべきなのだ。
これは一回の爆撃によっている(爆撃は複数回だが)。
つまりISIS掃討作戦の全体としてみれば、ISISテロリストを壊滅させる為には数千人や数万人の民間人の犠牲はやむを得ないと規定されているということだ。
それを戦争犯罪と言わずに何と呼べばいいのだろう。
数千人、数万人の犠牲者は人間ではないのだろうか?
数十人のテロの被害者の仇に殺される数万人の罪のない人々の無念はどこへ消えゆくのか!?
そしてこういう闘いに"国際貢献だ"と勇んで参加したがる国家とそれを支持する国民はいったい何者なのか!?
自国が攻められたら??では足らず、他国への空爆に力を貸そうという法案なのだということを理解できない人々が、北朝鮮の水爆実験というデマに乗せられて、"ほらっ、みたことか!!"という愚かさは、いったいどこから来るのだろう。。。

---------------1月11日-------------------------------------

<戦中の強制連行>中国人送還元担当の手記「報復に恐怖」  毎日新聞 1月12日
 

 日中戦争時の中国人強制連行で、秋田県にあった三菱鉱業(現・三菱マテリアル)の尾去沢(おさりざわ)鉱山で働かされた中国人を戦後、中国に送還する業務を担当した元社員の手記が見つかった。「中国人労働者に報復されるのでは」といった当時の心境や当事者しか知りえない内容が詳述されている。強制連行の被害者がどのようにして帰国したのかを伝える1次史料は極めて珍しく、専門家は「歴史検証を進める上で、企業側の当事者の肉声を伝える貴重な史料」と評価している。
 手記を残したのは秋田県出身の元三菱鉱業社員、高松信造氏(故人)で、1970年代後半に書いたとみられる。38年に入社。42年に入営し、陸軍少尉として旧満州に出征した。終戦後に復職し、尾去沢鉱山の中国人を船で送還する業務を担当した。戦後、外務省に提出された「華人労務者就労顛末(てんまつ)報告書(事業所報告)」によると、尾去沢鉱山からは414人が45年11月、博多から江ノ島丸で中国・天津郊外の塘沽に向かった。
 手記によると、高松氏が復職した尾去沢鉱山では当時、秋田県・花岡鉱山で過酷な労働に耐えかねた中国人が一斉蜂起した花岡事件(45年6月)の話が広まっていた。敗戦で「一夜にして(中国人と)形勢が逆転」し、送還業務に就けば船中で報復を受けるのではという「底知れぬ恐怖があった」という。送還船の中で暴動はなかったが、鉱山で中国人労働者を統率する隊長役をしていた中国人がリンチされる事件が発生。また、病気で5人が死亡し、3人は毛布に包んで水葬にした。
 高松氏は45年12月に帰国し、会社に報告。こうした報告などをもとに戦後、外務省に「事業所報告」が提出されたが「出張報告書やメモ、会社の華人(中国人)記録は戦犯問題への波及を配慮して全部処理された」と書いている。強制連行をめぐって戦犯に問われることへの懸念が企業側に強くあったことが分かる。
 手記はA4用紙で91ページで、ペンで書かれていた。長女が遺品を整理中に見つけた。原稿用紙に書き直したとみられる同内容の手記も二つが残されていた。強制連行問題に詳しい大阪経済法科大の田中宏客員教授は「当時の企業側の人が何を感じていたのか、送還に関わった人の肉声が公になるのは珍しい」と指摘。三菱マテリアルは尾去沢鉱山を含む強制連行被害者や遺族らと和解交渉を進めており、同社広報・IR部は「コメントは差し控えたい」としている。【隅俊之、小泉大士】


企業が強制連行を行ったのだ(事実)。。。
"契約労働が建前だったが、多くは意に反して連れてこられた。"のだ。
企業が意志に反して日本へ強制連行するには、軍の協力と国家の(移民局を含めて)協力なくして成り立たない。
もちろん"契約労働が建前だったが"、況してやその軍が、占領地で若くてきれいな女性を見つけ、"従軍慰安婦として契約しろ"と迫っても、NOと言われたからと言って、おとなしくその美しい若い色っぽい女を諦めて、黙って引き下がったばすもない。
Noと言われれば、脅してでも、強制連行しただろう。
そういう行為が当時、当然のように行われただろうと想像することも出来ない連中が日本にはたくさんいるそうな。


 
何度も書いてきたが、わたしは北朝鮮の核保有すら信じちゃいない。
それらはデマなのだ。米国が広め、北朝鮮政府自体がそれに相乗りし、調子に乗って広め続けてきたデマなのだ。
粛清体制は自分(国家主席)より優秀な人材を排除する傾向にある。そういう体質の国家では何事もうまくは運ばないだろう。


--------------1月6日---------------------------------

いろんな意見があると思うが、わたしは北朝鮮の核爆弾保有だの、水爆実験成功だのという話を信じてはいない。
せいぜいが、臨界前のウランやプルトニウムかを通常爆弾で誘爆させた程度ではないのかと考えている。
根拠は?と言われても困る。
普通に考えれば、というやつだ。
それに米国並びに米国諜報機関が北朝鮮の核疑惑を煽る割には、まったく本気でないこともそれを証しているように思われる。
たとえば、パキスタンが核実験に成功した途端、米国はパキスタンに対する態度を一変させた。
それが核保有の力なのだ。
だが北朝鮮に対してはどうだ!?
これは米北両国の思惑(さらに日本を含めていい)が絡み合ったデマなのだとずっとわたしは感じている。

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18才選挙権と政治教育。。。 [Nicaragua 2016]


随分以前だと思うが、選挙年齢が18才に引き下げられるというニュースに次いで、高校生の政治活動に届け出制が課せられるべきか、というような報道があったように思う。

お恥ずかしいが、わたしはちょっと勘違いしていて、高校生の政治活動に制限が加えられる(届け出制が課せられる)のだと憤っていた・・・。
けれどそれは真逆だった。。。いや、真逆だから歓迎すべきという結論ではない。寧ろ真逆であるにも関わらず、日本の教育の愚かさ加減を大いにひけらかしてくれた。。。


 意図して作り出された政治的に冷めた時代に高校生となったわたしは、当時(1977-1979年)自分たち高校生が政治活動を一切禁じられているなどとは知らなかったのだ。。。わたし自身は国際政治に興味深々だったが、前にも書いたように誰とも連帯しなかったし、あくまでも個人的な社会への疑問の追及と被弾圧者への共感に留まっていた。。。


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高校生の政治活動、一部容認 18歳選挙権受けて通知46年ぶり見直し 文科省 2015.10.30 

 来年の参院選から選挙権年齢が「18歳以上」に引き下げられることを受け、文部科学省は29日、高校生の政治活動を全面的に禁止した通知を46年ぶりに見直し、休日や放課後の校外に限り容認する新たな通知を各都道府県などに出した。集会やデモへの参加も可能となるが学業への支障などがある場合、学校側が禁止を含め適切に指導することも求めた。
 高校生の政治活動をめぐり文部省(当時)は昭和44年(※1969年)、大学紛争に伴い高校でも授業妨害などが相次いだため、教育現場の正常化に向け、高校生の政治活動を全面的に禁止する通知を出した。
 新たな通知では、対象となる高校生について「国家・社会の形成に主体的に参画していくことがより一層期待される」と明記。休日や放課後などに校外で実施される政治活動について「家庭の理解の下、生徒が判断し、行うもの」として容認した。ただ、生徒が政治活動に熱中し学業や生活に支障があると認められる場合は、学校側が必要かつ合理的な範囲内で制限や禁止を含め適切に指導するとした。教員には特定の政治的立場に立って生徒に接しないよう求めた。


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 この手のニュースを読んで初めてわたしは自分たちの世代が政治活動を禁じられていたのだと知ったのだ。
だがそれでもまだわたしは或ることにピンときていなかった。。。このニュースの中に、或る違和感を感じながらもその正体を深く考えようとしていなかった。。。


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高校生の政治的活動が禁止された「69通達」の問題点   2015年11月20日
   
 2016年夏の参院選から、選挙権年齢が18歳以上に引き下げられることとなった。これに伴い注目を浴びているのが、「69通達」。1969年10月31日に文部省(当時)によって出された、高校生の政治的活動を原則禁止にした通達だ。
  久保友仁、小川杏奈、清水花梨編著「問う! 高校生の政治活動禁止」(社会批評社)では、18歳選挙権の実施に逆行する、発出から46年が経過した69通達の問題点と今後について考察している。
  1969年1月の東大闘争に象徴される学園闘争は、大学だけにとどまらず高校にも広がりを見せた。バリケード封鎖や教師の糾弾、卒業式紛糾などにより、逮捕者や退学処分者も乱発した。そこで文部省より全国の高校に通達されたのが、「高等学校における政治的教養と政治的活動」について述べられた69通達。“国家・社会としては未成年者が政治的活動を行うことを期待していないし、むしろ行わないよう要請している”として発出されたのだ。
  以降、高校生の政治活動は好ましくないという意識が教育現場に定着する。生徒が署名運動を行ったり、政治的問題に関するイベントを開催することをよしとしない風潮となったのだ。そして、69通達は学園闘争という特殊な状況下で作られた過去の遺物と思いきや、今日も生き続けていることに驚かされる。2004年、宮崎県の高校ではイラク戦争に対する校内での反戦署名が禁止された。3.11以降、生徒が文化祭などで脱原発について取り上げようとしても、政治的行動として教師から難色を示されるケースも少なくないと本書。
  文科省は先月、69通達を改正。高校生の政治的活動の全面禁止を見直しながらも、無制限に認められるものではないとクギを刺した。自由な政治的活動を禁止して考える力を奪いながら、選挙権だけを与える現政権のやり方に、疑問を感じざるを得ない。 

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「69通達」。。。
そんなものがあるとは知らなかった。。。
何度も日本の教育からは政治思想教育が排除されていると指摘してきたつもりだが、そこには"69通達"と呼ばれる文科省の決定があったのだ。。。(※ちなみに文科省の"69通達"に関するページは削除されて閲覧できなくなっている。)

...そしてわたしの感じた違和感の正体は以下のニュースを読んで初めてその正体を明らかにした。。。

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高校生の政治活動 学校への届け出検討 9県・政令市  毎日新聞 2015年12月21日
  
 文部科学省が10月の通知で新たに認めた「高校生の校外での政治活動」について、宮城、愛知など6県と横浜など3政令市の教育委員会が、デモや集会に参加する際に学校へ届け出させるかを検討していることが取材で分かった。届け出制導入の判断を学校長に委ねる自治体も10道県と1市に上る。高校生の政治活動は選挙権年齢が「18歳以上」に引き下げられるのに伴い認められた。専門家は高校生の活動を萎縮させるマイナス効果を懸念している。 
 毎日新聞は12月中旬、47都道府県と20政令市の各教委に、「高校生が校外での政治活動(集会、デモなど)や選挙運動に参加する場合、事前もしくは事後に、参加届を提出させる考えがあるか」を聞いた。その結果、宮城▽茨城▽富山▽福井▽愛知▽三重の6県と仙台▽横浜▽神戸の3市が「検討中」と回答した。 
 検討する理由について、愛知県の担当者は「デモに参加した生徒の身体に危険が及んだ場合、学校が全く把握しなくて良いのか。生徒の安全面の配慮から必要との考え方がある一方、思想・信条の自由の面から問題だとする考えもあり、どうしたらいいか悩ましい」と説明した。宮城県の担当者は「校外の政治活動は保護者の保護の下、自由に行うのが基本。しかし、文科省通知には『学業や生活に支障がある場合は必要かつ合理的な範囲内で制限または禁止する』とあり、その兼ね合いを時間をかけて検討したい」と話した。 
 一方、北海道、秋田、熊本など10道県と札幌市は、教委として一律の指導は行わないが、届け出制を導入するかの判断を「学校長に委ねる」と回答した。 
 秋田県の担当者は「これまでも生徒がバンド活動などで集まる際、『集会届』を提出させている学校が多い。選挙活動については、この集会届を見直して活用する学校が多くなりそうだ」という。 
 また、「対応は未定」としたある県の担当者は「届け出制は、参政権や思想の自由を害してしまう可能性があり判断が難しい。できれば、国が一律で決めてほしいというのが本音だ」と語った。【まとめ・佐々木洋、高木香奈】 

高校生の政治活動 
 大学紛争の影響で、一部の高校生が暴力的な活動に参加したことなどから、文部省(当時)は1969年10月、学校内外を問わずに事実上禁止する通知を出した。しかし、公選法改正による選挙権年齢の引き下げを受け、文科省は今年10月、校外では原則認める新たな通知を出した。放課後や休日に校外で行う政治活動や選挙運動を「違法」「暴力的」「学業や生活に支障がある場合」以外は容認する。校内では原則禁止。 

政治活動を届け出制にするかを検討中の自治体 
 宮城県、茨城県、富山県、福井県、愛知県、三重県、仙台市、横浜市、神戸市 

届け出制導入の判断を学校長に委ねる自治体 
 北海道、秋田県、福島県、山梨県、鳥取県、山口県、徳島県、香川県、愛媛県、熊本県、札幌市 

海外の主権者教育に詳しい近藤孝弘・早稲田大教授(政治教育学)の話 

 政治教育が盛んなドイツなどの欧州諸国では、高校生もデモなどに参加し政治的意思を表明する権利を持つのは当然のことと考えられている。学校は校外での生徒の活動に責任を持つことはできず、届け出自体に意味がない。届け出制は「デモなどの政治活動は好ましくない」とのメッセージを発することにもなりかねず、民主主義の理念を損なう可能性がある。 

文科省が作成した主権者教育副教材の作成に関わった林大介・東洋大助教(政治学)の話 

 届け出制を検討している自治体は、高校生がデモなどで事故に遭った場合、「学校は知らなかったのか」と外から批判されることを恐れているのだろう。しかし、休日などに校外で行う政治活動は家庭の理解の下で行われるのが原則で、学校が把握する必要があるのか。届け出制は生徒の主体的な活動を萎縮させ、憲法が定める思想・信条の自由に抵触する可能性もある。 

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 最大の問題は届け出制の是非ではない。(それも問題だがそれ以前の問題がある)
高校生の政治活動は校外においてのみ認められるということは、校内では引き続き禁止されたままだということだ。
それはおかしいんじゃないかっ!?
選挙権の付与を踏まえて、高校生に政治教育を果たさねばならないというのに、校外における政治活動は一部届け出制=許可制で認めても、校内では認めないというのだ。
愛知県の或る担当者は"デモに参加した生徒の身体に危険が及んだ場合、学校が全く把握しなくて良いのか。生徒の安全面の配慮から必要との考え方がある"との考え方を示したようだが、もちろん、それが代表的な意見とは思わないが(かと言って他にどんな方便も見当たらないだろうけれど)、それならば逆に校内での政治活動が奨励されるべきだろう。
フランスでも、ドイツでも、ペルーやチリ、エクアドルでも子供たちのデモは認められている。
学校教育の公的援助=学費負担を巡って、度々父兄ではなく、生徒たち自身がデモを組織している。
校内での政治活動を禁じるというのは、校内での沖縄問題に対する署名も集会も、討論会も禁止されるということだ。
安保関連法案はもちろん、原発賛否に対するアンケートも、署名も、集会も、討論会も禁止される可能性がある。
そんな環境で何が政治教育だ。
政治教育というのは、義務を教えるのではなく、自由と権利を教える教育だ。
もうそこを根本的に理解=解決しない限りもこの国に政治教育はあり得ない。
異なる考え方を認めることだ。異なる意見を持つ自由と権利を尊重することだ。
それを根本として教えるのが民主主義的政治教育だ。

現にある世界を変革する人材を育てるのが政治教育であって、現にある政治を理解=順応することではない。
社会に対する批判的精神を育てるのが政治教育であり、現にある社会に問題を提起するのが政治教育なのだ。
現にある社会を理解し、それを受け入れることを高等教育とは言わない。仕組みは説明されるべきだが、それをも無批判に受け入れさせてはならない。それは初等科=小学生に対する教育的説明に過ぎない。
実際、如何なることも無批判に受け入れさせてはならないのだ。

そう考えてくると、絶望的なまでに日本の学校教育における政治教育の不可能性が浮かびあがってくる。。。
いや、日本社会における政治的思想のあり方そのものの不可能性だ。

誰がそれを教えるのかという解決困難な問題もその根底に横たわっている。。。
自身の政治信条ではなく、個の異なる思想信条を持つ自由と権利を絶対に侵害しないことを基盤に、現にある社会と世界の仕組みと枠組みを教え、批判的精神を培って、社会と世界に対し問題提起をさせ、それぞれの、個の異なる価値観に基づく意見を育て上げ(その為には自身を見つめ直すことから教えねば、子供たちはそれまで教わってきたように集団的合意を得やすい建前的な見解をまとめようとするだろう)、決してその個の見解を否定せず、あらたな社会変革を担うべく批判的精神と共に、お互いの異なる意見を持つ自由と権利を侵害しないということを教えることの出来る高校教師が今現在、いったい日本に何人いるだろうかということだ。

日本式受験勉強の過程を根本から変えない限り、それは絶対的な不可能性の向こうにある。
それはフランスのバカロレアを真似ろということではない。けれど高校3年間での哲学思想に対する洞察なくしては決して成立しないのも事実だろう。政治教育の前には哲学思想教育がその前提となるのだ。
言うなれば、哲学と芸術が自由と権利を教えるのだ。そして政治と一体になった現代史=時事問題への理解が政治教育の場となるのだ。
歴史教育というのは、単に過去の道程を振り返るのではなく、現代を理解する為に振り返られるのだ。
例えばシリア問題や北朝鮮=韓国問題を理解する為に、歴史教育は存在するのだ。
日本の普通科の高校教育にはそのすべての要素が欠落していることがご理解頂けるはずだ。

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世界の変質。。。2016年1月17日...日本脱出3163日め(8年半) [Nicaragua 2016]



https://www.facebook.com/1548979158648103/videos/1684592978420053/

この男性に限らず、子供たちを殺された人々には復讐する権利がないのだ。我々の世界はそう規定している。。。
そう、我々の世界は一切の個人による報復を禁じている。。。
それは我々の社会にとっては必要な規制だろう。
けれど一方で国家による報復が正当化されている。
少し前の世界では、国家であろうと個人であろうと、報復は法の名の下に、有罪の宣告を持って、加害者個人に対してのみ認められていた。
だが9.11以降、それは破棄され、国家は法の正義によらず、議会の名の下に、不特定多数の人々に対して、しかも他国の不特定多数の人々に、自由に報復を認められることとなった。。。
一方でテロリストに蹂躙された地域や国に住む一般の人々はテロリストもろとも報復の対象とされても、彼らには如何なる補償も報復の権利も認められない。世界はそれを良しとしている様子だ。
いったいいつから?? 
いつから世界の行動規範は塗り替えられたのか。。。
9.11で世界は一瞬にして、その正義の概念を変質させたのだ。
世界中の多くの人々がそれにYESを唱えたのだ。
アフガニスタン空爆を支持した人々が世界を今日あるように変質させたのだ。ブッシュを支持した人々、ブッシュを支持した小泉を支持した人々は自らの責任と向き合うべきだ。それは永遠に許されざる過ちとなった。。。
だがどう考えても、法の正義を捨てた国々が他方で、人々に法の規制を課するのはおかしくはないかということだ。

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日本脱出3166日めの総括?? [Nicaragua 2016]

日本脱出3166日め.... 2016/01/20 en Granada, Nicaragua

アレだ(←ナニ??笑)

旅には人それぞれのスタイルというものがある。。。

わたしはこうやって8年半以上旅を続けている訳だが、もちろん普通の意味での"旅行"と言えば違和感を感じる人も多いかも知れない。
けれどわたしは間違いなく"旅人 viajero"なのだ。
言うまでもく、わたしは観光客turistaとは少し違う。。。
もちろん、観光地を訪れたりもするけれど、それは旅のほんの一部分を構成するに過ぎない。

これまでひとつの町に滞在した最長期間はManta, Ecuadorの1年半だ。
レシデンシアと呼ばれる居住許可を取ったのもその時が唯一だが、もちろん1年間の契約というのは合意の上だった。
それ以外ではPanama Cityに9ヶ月、Quito, Ecuadorに9ヶ月というのが一番長いだろう。ついでManagua, Nicaragua8ヶ月とSantiago, Chile7ヶ月いったところだ。それ以外はすべて半年以下ということになる。(国単位ではなく、町単位)
短いのは国単位で、最初のCanada4日間、Cuba2ヶ月、Mexico1ヶ月の他に、Boliviaの6日間、Hondulasの8日間、El Salvadorの2週間だ。わはは
それ以外は3ヶ月辺りは滞在している。
時系列にいうと、Canada - Cuba - Mexico - Guatemala - Hondulas - El Salvador - Nicaragua - Costa Rica - Nicaragua - Costa Rica - Panama - Colombia - Ecuador - Peru - Colombia - Ecuador - Colombia - Ecuador - Peru - Bolivia - Chile - Nicaragua - Cost Rica - Colombia - Nicaragua(現在)です。※滞在visa延長の為の国境往復は省きました。
そしてこの8年半、もちろん一度も日本に帰国したことはない。
前にも書いたが電話すらしたことがない(※例外はCitibankと卒業証明書の為の出身校へ一度ずつ電話しただけだ)。このネット時代に電話なんぞに意味はなさそうだが。。。ちなみにマイクロフォンも持っていないので、スカイプという奴も一度もしたことがない、仕方も知らない。わはは

もちろん、8年半も旅を続けるには働かなければならない。
8年半のトータル費用は?と言われてもさっぱり見当もつかないのだけれど、例えば、まあ、いろいろ含めてひと月平均10万円くらいだとすれば、1000万くらいかも知れないな。一度も計算したことありません。
その程度はなんとかかんとか稼いできたということだ(苦笑)。
ちなみに貯金はいつも、ない。わははははははははははははははは
契約は前にも書いたように、基本半年間まで、最大でも1年までと決めているので、いつも最初からキリがある。
VISAの問題だけではなく、わたしはひとつの国に滞在し続けたくないのだ。。。
出来れば3ヶ月から半年で移動し続けたいというところだ。だが厨房でシェフの仕事をするには最低1年の契約を強いられる訳で、その所為でついつい長居しがちだけれど、それでも契約は1年単位と決めている。わはは

広い世の中にはいろんな人たちがいて、日本の海外旅行自由化と共に日本を出て、40年以上も海外生活を続けている方もいらっしゃる。
女性陣に至っては海外で結婚生活している人は無数にいる。(男性は圧倒的に少ない)
海外移住者からすれば8年半なんて屁みたいなもんだ。わはは
一方、平均1-2年で世界一周をするグループからすれば8年半は尋常ではない。
会社勤めの傍ら、年に一度大型連休を使って世界各地を旅行する人から見たらただの非常識なアホかも知れない(笑)。
もちろん、中には日本と往復をしながら何年もずっと旅を主な生活の場としている方もいらっしゃるだろう。
別に期間など問題ではないし、訪れた国の数もそれだけでは意味はない。
仕事で旅をする人もいれば、バカンスで観光地を訪れる人もいる。
趣味の一環として旅を位置づける人もいるだろうし、例えば友人であるNagiさんのように撮影という個人的な目的の為にアフリカ各地を何度も訪れるなんて人もいる。ついでだからもう少し彼女について触れておくと、今でこそ撮影・取材依頼が殺到する彼女だけれど、本当につい先日、tvに出るまでは彼女はネットでじわじわと注目を集めつつあったとは言え、いつかアフリカの写真集を出版したいという夢を持つひとりのカメラマン志望の女性でしかなかった。彼女はイラストレーターとして仕事をして貯金をし、当然、自費でアフリカ各地を訪れて夢に向けて撮影を続けてきたのだ。そういう旅の形もあるということだ。他には例えば、プロのミュージシャンとして、アマチュアとして、旅を続けている人もきっとたくさんいるだろう。

ただ一度も(2度と)日本に帰らないという決意で旅を続けているパターンはちょっと珍しいかも知れない。けれど、人それぞれに旅のスタイルがあるのだとしたら、それも100万通りある旅のスタイルのうちのひとつに過ぎないとも言える。

さて、8年半で病気をしたのは、一番大きな出来事と言えるのが、キン玉の手術だ。いや、袋の手術だ。わはは
陰嚢水腫というやつで、タマ袋の中に水が溜まる症状で手術をした訳だ。費用は12-13万円だったが、手術費10万円は、すべて当時の雇い主であるレストランのオーナーが負担してくださった。(感謝)
それ以外だと歯が3-4度。。。
そして耳鼻科一回、アレルギー1回。そんなところだ。
病気ではないが、正直、経済的にはコンタクトレンズをもう6回くらい購入していて、これが結構キツイ。わはは
Cubaで初めて高血圧だと言われて以来、血圧はかなり高い。。。120から180近くまである時もあって、血圧検査をする度に医者には注意を受ける訳だが、そんなものどうしようもないし、どうする気もない。わはは
それと腰痛を2度ほど発症したことがある。かなり酷かったが、結局、病院へ掛かることもなくなんとなく治っている。
普通に風邪くらいは何度も引いているが、そんなものは大したことではない。
San Jose, Costa Ricaで寝込んだのが一番酷かったかな。
あと食あたりが2度ほどあったかな。(Atitlan,Guatemalaが酷かった。笑)

強盗は未遂2回、実害1回(パスポートと小銭くらい)。。。Quito,Ecuador 2件とSantiago,Chile 1件。
スリ1回(財布ごと全部やられた)。。。Ecuador
訳の分からないひと間違いでピストルを向けられたのが一回(別に何もなかった)。。。Cuzco, Peru わはは
国境での賄賂は2回。。。Ecuador
そうどういう訳かほとんどEcuadorに集中している。。。中南米で特段危険度が高い訳でもないのにね。

だが、お金が掛かる最大の要因は強盗でも、病気でもなく、パソコンとカメラ。。。カメラは一眼レフを2度購入。コンパクトカメラ一台。ひー。。。
パソコンに至っては現在で多分、7-8台目。。。かなりキツイ。
他にレンズ修理、ハードディスクだとか、三脚などなど関連用品も合わせると、とにかくデジタル機械モノが圧倒的に経費負担大。
デジタルは弱い。。。古くなる。。。碌なことないな。機械モノが壊れる度にわたしの懐は空っぽになる。。。わはは

Guatemaleで仕事を初めて以来、El SalvadorとBoliviaを除くすべての訪問各国で仕事をしてきた。
一番苦労したのはPanamaの最初の3ヶ月、Colombiaの最初の3ヶ月。。。まったく仕事にありつけず。

所持金が"瞬間的に"ゼロになったのは... もう数えきれないくらい。わはははははははははははははは
慣れっこになりました♪

この旅があとどれくらい続くのかはわたしにも正確には分からない。
けれどどうやら当初の最長4年という計画とは大幅に異なり、10年は超えてしまいそうだ。
そそ、けれどわたしは何も記録なんぞ作ろうと思っている訳ではないということだけは言っておく。わはは

現在は既知の国で仕事をすることが多くなってきたけれど、本来はわたしは右も左も分からない町を移動するのが好きだ。
到着前が一番わくわくする♪

変わりゆく景色を眺めながら見も知らない町に着く。
重すぎるリュックを担いで、ともかく徒歩2km以内で適当な宿を探す。
荷物が重すぎるので2km以上は歩けないからだ、わはははははははは
その晩にはもうレストラン探索に出かけている♪ 翌朝は町で一番安そうなキッチンの使える宿探しから始まる。
午前中にどこか他にいい宿があれば即、宿変更だ。
そして午後からレストランに営業をかけて回る。一軒ずつ、名刺を片手に丁寧に挨拶して回る。
ほとんど最初からオーナーに逢えるチャンスはないから同じ店に何度も足を運ぶ。。。
そうやって仕事を貰い、紹介を得ながら、いつの間にかシェフの仕事にありついたりする。
チリではネットで仕事を探したりもしたけれど、わたしには合わないスタイルだ。

本当はカメラと広告デザインの仕事だけで食ってゆきたい。(笑)
けれど南米では広告デザイン事務所がたくさんあって、ちょっとしたレストランはみんなもう契約済みだったりするので、なかなか個人の飛び込みで広告の仕事をもらえるチャンスはない。
けれど厨房の仕事は体力的にキツくなりつつあるのでいい加減卒業したい。
いっそ、絵でも描いて、道端で売るか?? 生活できる自信はないな。。。わはははははははははは



そそ、昔から読んでる人は知ってると思うけれど、生まれて初めての海外旅行9年目です。わーはっはははは♪
生まれて初めての海外旅行でわたしが"日本へは2度と帰らない"と告げた時、友人たちの半分くらいはわたしを信じなかったけれど、今となっては"だから言ったろ"という感じです。有言実行、それがポリシーです♪
(※友人の結婚式でホノルルへ一度だけ行ったことがあるが、航空券からホテルまですべて先方の手配・同行でわたしは遠足よろしく後ろをついて歩いただけ。笑)


なんだか節目でもない中途半端な時期に旅を振り返ってみたが、まあ、時々はこういう作業も必要だったりするのだ。わはは


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大気中への放射能放出。 [Nicaragua 2016]

このBLOGに何度か書いたかどうか定かではないが、Facebookでは何度も指摘してきたように、海洋への放出ばかりではなく、大気への放出が続いているのは当然のことなのだ。にも関わらずこれまで大々的に報道されてこなかったことが如何に異常で、マヌケなことかを理解しなければならない。古いニュースだが現在に至るまでその後の報告はどうなっている??

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 今も毎時1000万ベクレル 大気中に放出続く  2013年10月8日  エコノミックニュース

 東京電力福島第一原発事故に伴い大気中に放出された放射性物質は「セシウムの134、137を合わせて2万兆ベクレルになるとみている」と東電の廣瀬直己社長が7日の閉会中審査の参議院経済産業委員会で語った。
 廣瀬社長は「現在も毎時1000万ベクレルの追加的放出がある」と大気汚染が継続的に続いているという深刻な状況にあることを示した。
 また、海洋への放射性物質の放出について「当初は7100兆ベクレル放出されたとみている。その後、地下水の汚染などにより、最大で1日あたり最大200億ベクレルのセシウムが放出されているとみている」と述べた。
 日本共産党の倉林明子参議院議員の質問に答えた。また、田中俊一原子力規制委員長は「これ以上、海洋への汚染が広がらないようにするのが我々の役目だと思っている」と答えた。茂木敏充経済産業大臣は「海を汚さないため、万全の対策をとっていきたい」とした。
 政府側は地下水バイパスの水処理については地下水を原子炉建屋に近づけないための策として地下水バイパスで汲み上げた水を貯水タンクに一次貯留し、水質の安全性を確認できたものを海に放出すると説明。またサブドレインによって汲み上げた水は基準値以下の水の扱いについて専門家の知見も活用して検討中とした。トリチウム水についての対策では現時点では大量にトリチウム水を処理する技術は見つかっていないが、内外の英知を結集すべく技術提案を求めているとした。またトリチウムの分離技術や長期安定貯蔵方法などについても提案を募っているなどを説明し「海への安易な放出は行わない」とした。(編集担当:森高龍二)

 

 追記。。。FBの記載を探してみた。
linkニュースはすでに削除されてしまっているのでタイトルのみ表示。

--------------2013年7月31日------------------------------

<福島第1原発>敷地海側トレンチの水 23億ベクレル(毎日新聞) 

汚染水の流出は計測(測定)できる。。。
困難かも知れないが、総量も或る程度は推定できる。
だが大気への放出(流出)はどうだ!?
それは不可能なまでに困難ではないのか?困難なままに"流出はない"と放置されてはいないのか??

 

---------------2015年2月24日-----------------------------

<福島第1>汚染水、外洋へ流出 東電10カ月公表せず(毎日新聞) 

日本はすっかり不誠実な国に成り下がってしまった...
何度も言っているが、海洋への流出は簡単に測定できるが、大気への漏洩はそう簡単ではない。
大気への流出がない訳がない。

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大気中への放射能放出についてネットで検索してみた。。。 [Nicaragua 2016]

先日の大気中への放射能放出についてネットで検索してみた。

blogとしては下記のlinkに詳しい。(他者のblogなので転載は致しません。Link先を参照ください)
このblogには元ソースとなった東電資料のlinkがついているので疑義のある方はそちらも御覧ください。但し、簡単に読み取れるようなものでもないのですけれど。。。

結論から言えば、現在も大気中への放出は間違いなく続いている。
言葉の問題が適当かどうか知らないが、現在では東電によって"漏出"と表現されている。。。

2013年10月時点で、1000万ベクトル/時だったものは、2015年1月末時点では80万ベクトル/時になったとされている。
単純に比較すると相当改善されている様子だ。(もちろん、そんな数値はすべて推定だ)
だが、真偽はともかく(どうして今更、東電の数値を信用することができるだろう?)、80万ベクトル/時だとしても、まったくもって僅かな数値などではない。
1時間当たりの量だから24時間だと1920万/日になる。年間だと1920万X365日という計算だ。
全然、無視できるような数値ではない。
しかもセシウムの半減期は30年と言われるから、その間ずっと地球の大気圏内に堪り続ける訳だ。もちろん、その後も、だが。。。
それは無視できるような量ではない。(地球の大気総量で割ったりしないでくれよ。笑)
況してや他県を含む広範囲な意味での周辺域に居住している人々にとっては現実的な脅威だろう。

鑑みれば、2013年10月、事故から1年半が経過した時点で毎時1000万ベクトルが放出されていたということがどれだけ異常な事態かが分かる。
1000万ベクトル/時ということは、2億4000万ベクトル/日だった訳だ。
それが少なくとも18ヶ月間以上続いた訳で、総放出量はおよそ2億4000万x30x18という計算になる。
大気中へ撒き散らかしたそのセシウムについての報道は、海洋汚染の報道に比べればゼロに近い。。。
それはわざと海洋汚染へ耳目を惹きつけて、大気汚染から目を逸らさせようという悪意すら感じるほどだ。
人々は海洋への汚染は、まだまだ他人事のように捉えがちだろう。
大気汚染となれば人々はよりヒステリックになる。
風によって膨大な地球上の大気に紛れて霧散するから問題ないとでも言うつもりなのかも知れない。
とんでもない話だ。

雨が降れば土壌へと降り注ぐ。
風で流されて地上には降り積もらないというのは幻想だろう。

しかも疑わしいのは事故から2015年1月までに、東電が大気中への放出についてとった対策が屋根カバーの設置だけだからだ。
屋根カバーのうちに放出されたセシウムの回収方法については一切触れられていない。。。というか、そんなものは多分ないのだ。
ただ屋根をつけただけだ。だから言葉が変わって、屋根カバーからの漏出と表現されている訳だ。
大気中のセシウムを回収する手だてがなく、空気がなんらかの形で循環されているとすれば、間違いなくそれは少なくとも形や出口を変えて放出されている。
完全密閉式だとすると屋内の空気圧を一定に保つためには空気の循環、放出が不可欠で、それらはどこへいった??
況してや高熱を持った空気な訳で、常時、放出し続けなければ寧ろ危険だろう。
"屋根付近からの漏出はこれだけですが、他に排出口があって、一応簡易のセシウムフィルターかなんか取り付けているので、そこからのデータは取ってません"とでも言うつもりだろうか??(いや、ホントにそういう風にしか思えないのだ。)

もう一度、話を戻そう。東電は屋根をつけただけで1000万ベクトル/時のものが80万ベクトル/時に激減したと言っているのだ。(※追記、屋根カバーは2011年10月には設置されていることが判明。従って屋根の所為ではないということになる。けれどだとしたら、自然に放射線量が92%も減したことになる。いったいどんな要因でそんなことが起こる??核燃料が完全に地下に舞い落ちたから??この記事そのものは訂正の余地があるだろう。けれど何かトリックがあるはずだ。。。2015年1月24日)
その真偽を信じるのはわたしにはかなり難しいし、屋根に閉じ込められた空気と共にあるセシウムがどこからどんな風に排出されているのか知りたい。
セシウム用のフィルターがあると聞いたことがあるが、例えばそんなもので差異920万ベクトル/時が吸引・排除できるとは到底信じられない。
海洋放出でさえ散々に嘘と失敗を重ねてきた東電のいうことを丸々信じることができる人は少ないだろう。

しかも、だ。
驚くべきことに、2015年10月には、核燃料を取り出す為という理由で、福島第一原発1号機の建屋カバーは取り外されている!!
わははははははははははははははははははははは

笑えないがもう笑うしかない。
大気中への放射能放出を抑える為に屋根カバーを設置したけれど、核燃料を取り出す作業には邪魔なので取り外しました、ということだ。
核燃料の取り出しにどれだけ時間が掛かるかなんてことは誰にも想像つかないから結局は元通り垂れ流し、まるまる排出という訳だ。
原子炉の状態が安定しているというのは、放射能の放出がないということでも少なくなったということでもない(それとは無関係だ)。
爆発の危険性が"今のところ"ないということを示しているだけだからだ。

以下のblogニュースも参照できます。

東電福島第一原発 今なお、放射性物質を大気中に放出 一か月で㎡当たり430ベクレルのセシウムが敷地内に降り積もるhttp://financegreenwatch.org/jp/?p=40600 2014年1月29日

...という訳で、東電側が認めているように、2014年1月時点でも大気中へのあらたな放射能放出が続いていて、それは地上に一ヶ月当たり430ベクトル/㎡堆積する量ということらしい。。。
だが東電側の資料はそこで終わっていて、どこからどんな風に、どれくらいの総量が毎時流出しているのかは一切問われないままに終わっている。
そしてメディアもそれを追求した形跡がない。。。
海洋への止められない流出は、都度その失策がニュースになるけれど、どこからとも分からず、どれくらいとも分からない大気中への流出は不問に付されたまま相変わらず放置されている。
すなわち対策も取られないまま放置されているということでもあるだろう。



そもそもこの国の福島原発に関する放射能対策は、"危険を叫んではならない"という規定の上で成立しているので、どうしようもなく当てにならない。

本当は世界に対して助けを求めるべき問題なのだ。
国内だけでなんとか隠し通しながら対応できるようなレベルの事故ではないのだ。
世界中の専門家を呼び寄せて、知恵を出し合って、対策を講じるべきなのに、"アンダーコントロール"されているという一言の所為で、もはや誰も動けないのだ。

なにがどの程度、危険なのかはわたしには分からない。
けれど、そこに、或いはそこかしこに問題が山積みなことだけはわたしにも分かる。
そして海洋への流出(いや、放出というべきだが)と共に、大気中への流出についてもっと実態を調査する必要があるはずだ。
ちまたにはメルトダウン、メルトスルーときて、チャイナシンドローム状態にあるという説もある。
格納庫の底が溶けて、核燃料が地中へ落ちているのは否定できないようだ。
だとしたら次に何が起こるのか、このまま環境汚染が続くということで終わるのか、それともさらなる二次災害を引き起こす可能性があるのか。。。


カバーが撤去された現在、大気中への放出は再び増加していると考えるのが普通だろう。
けれど東電から発表があるまで、人々は待たされるのだ。。。
メルトスルーがほぼ確定的になりつつある中で、それでも人々は東電の発表があるまで待たされるのだ。。。
海洋汚染は続いているが、もう手の打ちようがありませんと、東電の発表があるまで人々はただ待たされるのだ。
その構図のうちにある空恐ろしさに気づくべきだ。







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中南米で生活することの価値。。。 [Nicaragua 2016]

中南米は本当に不便だ。。。

ニカラグアの最近の実話ならこうだ...
レストランでは砂糖や小麦粉、調味料などを計る必要がある。当然だ。
だが昨年6月にここへ来た時にはそういうものがなかった。。。へっ!? なんと45kgまでを計る大きな目盛り秤があるだけで、そんなものでは5gのゼラチンも計れない。。。なのでGranadaの町を探したが何処にも売ってない。みんな口を揃えて首都Managuaへ行かなきゃないと言う。
で、首都Managuaへ行って、キッチン専門店でお目当てのものを発見、購入した♪
さて、昨年11月に戻ってきたらもう壊れている。。。ひー。。。
そしてそれ以来、Managuaにゆく度に探しているが、ない。。。どこにもない。。。キッチン専門店にも、大型ホームセンターにもない。
なんと3ヶ月間探し続けても何処にもない。日本なら100均にでもありそうな、オモチャみたいなやつでもいいのだ。けれどない。。。
Glendaが買ってきたのは2kgまで計るタイプのやつで、最小の目盛りが20gだ。どうしようもない。。。
嘘みたいな話だがこれが現実だ。
もちろん、ニカラグア以外の国ならそれくらいはなんとか(探せばなんとか、だ)手に入るだろうけれどね。わははははは


だが中南米に生活することの本当の価値=意味は、不便さの中に生きることにある。
それは欧米先進諸国では味わえない価値だろう。実際のところアジアはまったく知らないのだけれど、日本の商社などの進出が中南米とは比べものにならないだろうから、不便とは言え、例えば輸入食材の豊富さや文化的な近似的部分が少なくないこともあって多分、中南米とは色んな部分で状況が違うんだと思う。わたしがここで言う"不便さ"というのは貧しさのことではないからだ。

さて、人の価値観、対応はさまざまだ。ここからは2つに大別されるだろう。

1つめのタイプは、中南米の不便さを味わって、"ああ、やっぱり日本は素晴らしい"というタイプだ。
中南米に何十年住んでいようとそういう人々はいるし、いつかは(例えば老後は)日本へ帰って生活したいと考えている。
世界一周旅行をして、"やっぱり日本に生まれてよかった"というのを発見だという類の人々もそうだ。
価値観の変わらない、変えられない人々だ。現地に馴染んで生活しているようでも本質的にはそうではない。

2つめは、もちろん、不便さに日本を懐かしく思うことはあっても、寧ろ、日本社会の無駄な煩わしさや不必要なものに捉われた生活に気付き、たまに日本への帰国を愉しんでも、もはや日本で暮らしたいとは思えない人々だ。

 何度も書いてきたけれど、日本社会は本当に不必要なまでの便利さに溢れている。
不必要なものだらけだと言ってもいい。
24時間コンビニどころか、うどん屋、焼き肉屋まで24時間営業してたりする。スーパーへ行けば、ドリンク類やお菓子類は無数の種類があって、しかも定期的にどんどん新製品が発売される。そんな必要がどこにあるかということだ。文具から家庭消耗品まで"こんなものあったら便利なのにな"とふと思いつくようなものはとっくにすべて商品化されていて、しかも驚くほど安い。言っておくが、ゴムの樹の原産地である中南米で一箱ぎっしり詰まった輪ゴムが100円で売ってるなんてことはあり得ない。輪ゴムすらとても珍しいし、あっても品質が悪すぎてすぐに切れるし、そもそも10ケで幾らという単位だ。
携帯電話には意味もない色柄の種類が複数あるなんてこともどんな意味がある??コンパクトカメラやなにかにしても色違いなんぞどんな意味もない。
エアコンからありとあらゆる家電製品の種類の豊富さは基本的には必要性の高いものではない。
製品だけでなく、サーヴィスから梱包までありとあらゆる不必要なものに取り囲まれて生活している。
不必要なものというのは、すなわち無駄なもの、なのだ。
あったら便利だけど、なかったらなかったで済むようなもののことだ。
あってもなくてもどっちでもいいようなもの、だ。

サーヴィスの丁寧さもそうだ。或る部分は不必要であったりもする。梱包や宅配の時間指定、もっと言えばコンビニの数も銀行やATM窓口の数も、あったらあったでいいが、なくても当たり前な範囲を超えている。おもてなしの心だかなんだか知らないが、オフィシャルな部分ではとても親切で丁寧だがその同じ人物が一歩制服を脱いで職場から出たら、街ゆく他者に対して親切心も笑顔も電車で子供連れに席を譲る優しさも、なにひとつ持ち合わせてないってことにどれだけの価値を見出すかという問題だ。

(わたしも大好きだった)デパ地下のお惣菜売り場からパン売り場、精肉、鮮魚、お土産物売り場まで眺めてみればいい。
実のところ、そのうちの1/4程度でも十分なのだ。
たとえば、あなたがちょっとした手土産を買いたいとする、
売り場に10軒の手土産のお店があるのと、100軒の手土産のお店がある場合だ。
10軒しかないなら、その10軒の中で結局はどれかを選ぶのだ、100軒もあったら迷うばかりで結局は1つのお土産モノを買うのに大変な時間と心労(笑)を費やすのだ。それを無駄というのだ。
しかも違いはちょっとだ。おかきの店舗が5店も6店もあって、詰め合わせの内容がちょっとずつ、値段帯がちょっとずつ、或いは梱包が缶だったり木箱だったり、僅かな差がある程度だ。実のところそれほど重要なことではない。
ケーキが欲しくてケーキ売り場に行けば、2-3店舗のケーキ店があって、無数に種類がある。。。
目移りして時間ばかり掛かるだけだ。1店舗で10種類しかなければそこで買うしかないし、それが美味しければ問題ないはずなのだ。
時間無駄も、心労も、"欲望の無駄な刺激"も少なくていい。
そうだ、日本のマーケットは"欲望の無駄な刺激"で成り立っているのだ。

たとえば毎日tvで流される大量のCM。。。ありとあらゆる新製品のCMで溢れかえっている。
中南米でそんなことはあり得ない。食料品のコマーシャルなんてコカコーラとかほんの数点に限られている。
日本の大量のCMはもちろんすべて商品代金に含まれている。それを無駄と言わずになんという??
彼らの新製品を売り出すための膨大な金額のコマーシャル宣伝費がすべて商品価格に含まれているのだ。そんなもの必要ないとお断りしたいくらいじゃないのか??
日本では昔からCD、DVDが海外に比べて遥かに高かった。
それは訳の分からないJPOP歌謡曲の膨大なプロモーション費用をすべて価格に反映させてきたからだ。
一枚の原価ならCDやDVDなど100円にも満たないのに、LPから大量生産が可能になったCD時代になっても同じ価格帯を維持して、それを宣伝費用に注ぎ込んできたのだ。廉価版CD、DVD1本を500円-1000円で売れるのに、新作CDを2800円やDVDなら1万5000円で売る必要がどこにあるかということだ。
それはすべて無駄な、消費者にとっては本来不必要な宣伝プロモーション費用から来ている。
そんなものは消費者の方では必要としていないのだ。すべては売り手の論理でしかない。

労働についても同様だ。
前に"幸福のハードル"で書いたことを繰り返そう。。。どこまでも必死になって働くことの無駄だ。。。
必死になって働くことで疲れ切り、ストレスを貯め、結果、イライラして他人を非難したり、ちょっとしたミスや不成果でバカにしたり、友人たちと過ごす時間さえ自己ストレス発散の場でしかなく、バカ騒ぎやカラオケ程度ではそこに本質的な他者との交感、交流はない。
或いは恋人にはストレスから一方的に甘えたり、寧ろ我儘に振る舞うばかりだったりするかも知れない。
最大の問題は、企業や経営者は必死になって働くことを求め、その成果によってあなたに報酬を支払うだろうけれど、あなたはいったいどこまで必死になって働くか、という線引きだ。
この"必死"というやつが厄介なのだ(笑)。
時間内必死に働いて良しとするのか、一区切りの業務が終わるまでとするのか、区切りなく線引きなく他者より優秀な成果を追及して、可能な限りあなたの人生をすり減らしてまで必死に働くのか、というラインだ。
報酬はデカい方がいいに決まっているが、その為に幸せを犠牲にするのは本末転倒だろう。
短期間ではない人生の大半の時間を要求されるのだ。。。60代後半になって擦り切れたあなたにその後いったい何ができるだろう?
しかも老後の心配はなくなったりはしない。その時点ではもうすっかりそういう人生価値観に浸ってしまっているからだ。
仕事が好きであり、一生懸命に働くことは何一つ悪くない。
だが必死になって働くことはそれとは別モノだ。
必死になって働くよりは、何か"工夫をしながら"働いた方がいい。

自らの人生を擦り減らせて、消耗するだけ消耗して、何も残りはしない。。。娯楽なんて一時のごまかしに過ぎない。
1970年代、55才から退職金を基に第二の人生を始めるのが普通だった。けれどもはや65才まで働かされて、しかもなんとかして2-3年は嘱託でしがみつこうとする。68才になったら、あとは老後の心配をして生きるだけだ。しかも自分のことどころか、両親の介護をしなきゃならないかも知れない。
擦り減ってボロボロになって迎えた68才で介護老人を抱えて、自らの老後の心配をしながら生きてゆくしかない。
人生を切り売りして得たはずの報酬はそこかしこへと消えてゆく泡のようなもんだ。


ついでに言うと、海外生活に慣れてしまうと、たまに小さな日本人コミュニティ社会と触れ合う機会があったりすると、そこがどれほど建前と嘘、お世辞と儀礼や気遣いで固められた窮屈な社会であるかが実感するだろう。
それらは不必要な気遣いや不必要な儀礼、嘘、不必要なお世辞で塗り固められている。
差しさわりのない触れ合いの社会だ。。。心地いいんだか、居心地悪いんだか。。。わはははははは


何度でも言うが、日本社会というのは、"しなければならないこと"と"してはいけないこと"、すなわち義務と禁止ばかりで人々を溺れさせんばかりだ。
人々はかろうじて義務と禁止の海から口を出して呼吸をするので精一杯なのだ。
自由と権利の上位に義務を掲げる社会だ。
そんな社会は社会主義国以外にない。それは社会主義、全体主義の理念であって、民主主義の理念ではない。
だから日本社会というのは、本当に自由と権利どころか、民主主義のなんたるかをも理解していない国なのだ。





さて、中南米に話を戻そう。

先に書いたように、翻って、中南米にはなんにもない。。。わはははははははははははは
それは最貧国ニカラグアに限らない。程度は異なるけれど、コロンビア、メデジンであろうと、エクアドルの首都キト、チリのサンチャゴであろうともだ。もっとも市場の大きペルーのリマであろうとも、だ。
ないものは、ない。
ないものの数を数え上げても仕方ない、そんな作業は絶対に不可能であるくらいにないものだらけだ。
だがそれでも人々は生活している。彼らにとっては当たり前の生活だ。
貧しい人たちの話ではない。平均的日本人のお金持ちより遥かに裕福な人々も同様だ。
ないものはないのだから仕方ない。
或るものは必要性が高いけれど、ほとんどのものは、"あったらいいのになあ"という程度だ。
なくてもなんとかなる。
それらをひっくるめて"不必要なもの"であることに気づく。(気づかない人たちもいるということは最初に書いた)
不必要な儀礼や不必要な人間関係にも気づく。
不必要なもの、それほど必要でないもの、決して必要不可欠ではないもの。。。
そういうことに気づくと、今度は本当に必要なものが見えてくる。
それがなにかは人によって異なるだろう。
けれど、不必要なものから解放されると(不必要なものに捉われた欲望そのものからの解放だ)、自分にとって本当に必要なものが見えてくるだろう。
それはそんなに多くはないということだ。
先日のコロンビア人の幸福感の話にも通じるかも知れないが、そういう大切なものさえあれば、不便さはあっても幸せを感じることはできるということでもある。

例えばわたしにとって、本当に重要なものなどほんの僅かだ。
食事して寝て、移動するだけの資金と一握りの友人たちで十分だったりするのかも知れない。
物質的には包丁とカメラとパソコンがあれば、あとは気候に合った衣料が数枚でいい。
そそ、コーヒーとカレー、美味しいパンがこれほど自分に重要だとは気づかなかった。わはははは
いったい他に何が要るだろう??
そりゃあ、美味しい蕎麦も、蕩けるような和牛も食べたいけれど、それらはなければないで済む(済ませるしかない)。
元活字中毒患者のわたしとしては本だって読みたいがないものはないし、老眼で今は文字を見るのも辛い。わはははは

もちろん、欲しいものはたくさんある。いや、言い出せばキリがないだろう(笑)。
実際のところ、今で言えば、コックコートの長すぎる袖を上げるアームバンドと包丁用の錆び取り消しゴムが欲しい訳で(笑)、中南米ではどういう訳かアームバンドですら売ってない。今回、たまたま日本へ一時帰国するこちらの友人がいて、別の日本の友人に頼んで手配してもらったしたのだけれど、そういうものも勿論、こういうチャンスでもなければ"ないならない"で済ませるしかないのだ。



さて、放っておくと話がどんどん広がるので、まとめ直そう。わはは

中南米に生活することの本当の価値=意味は、不便さの中に生きることにある。
不必要なもの、それほど必要でないもの、決して必要不可欠ではないもの。。。
それは物質的な文化だけではなく、儀礼的な嘘や気遣い、人間関係のあり方、仕事のあり方を含めた社会全体のあり方、人生のあり方だ。
そんな中で、不必要なものに捉われた(付随した)欲望、或いは不必要なものに捉われた自分自身そのものからの解放されると、今度は本当に自分にとって必要なものが見えてくるだろう。
それが何かは人によって異なるだろうけれど、それはそんなに多くはないということだ。
それが中南米に生活することの本当の価値だと思える。
(※もちろん、アフリカの都市部やイスラーム圏に住むのも同じような経験かも知れない。言っておくが、日本の僻地に住むのとはやっぱり違う。笑)
不便さには慣れるしかない。イライラさせられることだってたくさんある。けれどこの社会から学べることもたくさんある。


以前から愚かだった日本は、もうすっかりその偽りの優等生の仮面を投げ捨てて、自ら愚かさをひけらかして憚ることがない。
愚かさを恥じないまでにも愚かになってしまったということだ。
日本が恵まれた国だというのは幻想に過ぎない。確かになんでも売ってるけど、そんなことは自慢にもならない。
なんでも売っているが、いずれにせよ、代金を支払うまでそれはあなたのものではないし、代金を稼ぐために人生をすり減らすのだとすれば、ちょっと便利なもの、なくても済むようなものを買うために人生をすり減らしている可能性に少しは思いを経巡らせてみるべきだろう。

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