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カストロの死 [Chile 2016]

11月25日、フィデル・カストロが死んだ。
特に驚くことではないし、彼は2006年に事実上引退を始め、2011年4月に正式に引退、近年はほとんど公けの場に姿を現すこともなかったから、彼の存在は象徴的なものとなっていた。
現役だったチャベス大統領が亡くなったときのような混乱はないし、Cubaの現在の路線が急変することもない。
すでにCubaは米国と歩み寄り、経済開放路線を推し進めており、今後もこの路線に変化はない。
だから個人的な知り合いでもなければ、わたしの英雄というほどでもないFidel Castroについて是が非でも何か書かなければならない訳ではない。けれどやっぱりわたしのスタンスからすれば、何事かメモしておくのはやぶさかではないだろうし、それを期待する向きもあろう。(いったい誰が??笑)


わたしの中で、カストロについてのテーマは次の質問に要約される。

彼は独裁者だったか?
答えはYesだ。

彼は共産主義者だったか?
- Yes

彼は政敵を虐殺したのか?
- No

彼による核戦争の危機はあったのか?
- No

彼は道を間違ったのか?
- Yes

彼に他の道はあったのか?
- Noだ。

これらがすべてだ(大局的には、という意味だが)。



どこかに書いたはずなのだけれど、見当たらないので再録しておくが、わたしが初めてカストロという人物を知ったのは中学1年の夏だったはずだ。。。
tvの番組でカストロの特番を放送していたのを見て、痛く感銘を受けたのを覚えている。
まだイデオロギーの何たるかも分からず、ゲバラとゲリラの単語を混同して、何か派生語であるかのように漠然としか理解できない癖に、学生運動、日本赤軍だとか、パレスチナゲリラに憧れるような反抗的な子供だった。
演説するカストロをノートにスケッチし、いくつもの言葉を書き留めた。

図書館でマルクス=エンゲルス著作集を一冊借りては投げ出し、ソルジェニーツィンの"収容所群島 第一巻"を購入して読んだものの、さっぱり理解できずに次巻には手も触れず、すでに廃刊だったゲバラ著作集を古本屋で見つけたものの中学生には高価過ぎて手が出ずに悔しい思いをしたりしていた中学生だった。わはは

だがその後、ゲバラを知るに連れ、そして前述のソルジェニーツィンの登場によって、社会主義が徹底的に悪とされてゆく中で、わたしのヒーローはカストロではなく、ゲバラへと傾いていった(より正確に言えば、カストロに興味をなくしていったと言うべきか。)


-彼は独裁者だったか?
もちろんYesと答えるしかない。50年近くの長期に渡って政権のトップに居座り、後継者や多様性ある政党形成を許さなかったとすれば、現実的に独裁政権だったと認める他ない。ケネディであろうと、オバマであろうと、チャベスやプーチンと同じく憲法上合法であろうとも、最高権力の座に長期に渡って留まり続けようとする者たちはすべて独裁者という他ない。それは国民の支持の有無とは関係ない。国民の支持があろうがなかろうが、そんなことは問題ではない。

-彼は共産主義者だったか?
これもまたYesだ。しかもソビエト型に学んだ共産主義だ。独自の道を歩もうとした経歴はあるけれども、結果として彼はソ連型共産主義のイデオロギーを受け入れることを選んだ。
  Cuba国民のみならず、例えばイスラーム圏でも、日本でも、一般的国民はほとんどの場合、高度な政治的自由にはどんな興味もない。もちろん、一旦、衝突が起きれば別だ。けれど大規模な衝突さえなければ、国民の関心は世界中のどこでも経済的問題に集約されていて、高度な政治的自由など極めて稀な人々しか関心を持たない。経済的不満はCuba国民の中には常にあった。けれどそれは端的に言って、米国の経済封鎖の所為という他ないのは事実なのだ。社会主義経済が原因である以上に、その数倍の原因となったのは米国とその傘下に回った国際社会の経済的制裁なのだ。

-彼は政敵を虐殺したのか?
正確な数字はどこにもない。反カストロ派ですら誰も明確な数字を挙げていない。
彼が何千人もの政敵を虐殺したなどという噂話もたくさんあるようだけれど、実際のところ彼は決してスターリン的ではなかったし、数千人という規模はこの50年近い歴史をきちんと見てゆけば少なすぎる"虐殺"だ。
 そもそも革命直後から反革命派を支援し、軍事的援助を惜しまないどころか、CIAを通じて暗殺者などを送り込み続けてきた米国の行動とそれに従った武装反政府ゲリラの数だけでも数千人に及んでも不思議ではない。外国の諜報機関の指示の下、政府最高指導者を暗殺しようとする人々を犯罪者として刑務所に送り、処刑するのはイデオロギーの左右とは無関係に、一国家としては避けられない処置という他ない。
 またカストロ自身も否定したように、Cubaにおける思想政治犯というのは稀有な存在だというのも事実だろう。閉ざされた島国であるCubaで国民は洗脳されて育つ。インターネットも存在しなかった近年までは(インターネットなど一般の人々が僅かでも触れるチャンスができたのはここ10年の話でしかない)、情報もなにも国民を刺激するものはなかったし、国内に対立がなかった以上、政治思想犯を生む土壌が極めて希薄だったからだ。
 さらに彼はベルリンのように亡命希望者を射殺したりしていない。取り締まりにどれだけ熱心であったかも疑われるほどだ。

-彼による核戦争の危機はあったのか?
NOだ。断じてNoというべきだ。核戦争の危機はケネディの頭の中だけにあった。いや、それは核戦争ですらなく、核攻撃の危機だった。
ケネディの指先にこそ、彼の意思の中にこそCuba核攻撃の危機は存在した訳で、Cubaには核攻撃を始める用意はまったく存在しなかった。世界中に喧伝されているそれはケネディの妄想によって"核戦争の危機"と呼ばれている。Cubaにこそ危機があった訳で、米国にはどんな危機もなかったという現実を誰も認めようとしないのは本当に我々が洗脳されているからだ。これは97年に"マクナマラ回顧録"が発表された時、誰もが理解すべきことだったのだけれど、結局誰もそれを理解しないまま現在に至っている様子だ。

-彼は道を間違ったのか?
-彼に他の道はあったのか?
 このふたつの質問は同時に答えざるを得ない。前者はYesであり、後者はNoだ。
彼は結果的にいくつかの大きな選択を間違ったけれど、実際他にどんな方法もなかったというのがすべてだ。
ゲバラと袂を分かつたのは、ソ連を巡る確執だと言われている。或いは偽装だとする説もあるけれど、実際、ゲバラとカストロではソ連に対する対応で意見が分かれただろうことも容易に想像がつく。ゲバラは理想主義者だったし、カストロは現実主義者だった。それは紋切型のプロトタイプの当て嵌めではなく、ゲバラが現実社会(現実の人々)に対応できないほどの理想主義者であったことから来る。カストロは寧ろ、常識的だっただけだろう。
 理想を言えば、米国とソ連の間でバランスよく両者を天秤にかけながら外交を...というところだろう。けれどそんなこと米国が許しはしなかったのだ。決して誰にも出来やしなかった。だったら米国に寄り添うべきだったって??バカな! 
資源の国有化、企業や亡命富裕層の資産の国有化を許さない米国と寄り添う道などあり得なかった。米国がそれを黙認することはあり得ないから、米国と寄り添うことは革命そのものを否定する道しかなかった。
だからどれほどソ連と同衾するかという程度の問題はあれ、米ソ冷戦の狭間で、ソ連と距離を保ちながら米国の経済封鎖に耐えるなどという神業は誰にも出来やしなかったからだ。
時代はベトナム戦争への米国の介入と時を同じくしている。米国の裏庭と評された中米カリブ海のど真ん中、米国の目と鼻の先にできた社会主義的平等を謳う革命政権の存在は米国に受け入れられるものではなかったのだ。
61年のピッグス湾事件までカストロ=ゲバラのキューバ革命は社会主義を標榜していなかったとする見解もあるようだが、それはバカげている。根拠とされるのは、キューバ革命後の1959年後半にフィデルがアメリカの新聞に「どんな産業も国有化する意図はなかった」と語ったことだとされているが、すでにこの時、5月に公布した農業改革法に従って、土地の収用と再分配が進められており、10月には米国に支援された旧バチスタ政権側がサトウキビ畑を爆撃して多数の死者まで出している。農地改革はすなわちサトウキビやバナナ産業の国有化と紙一重の行為であり、社会主義的理念に基づく革命政府の根本的政策であったからだ。
 カストロは"産業の国有化"をするつもりはなかったと語った訳だが、サトウキビやバナナという第一次産業に於いては、土地の接収、国有化はすなわち所有~輸出まで一貫していた産業を単に手数料化してしまうものであった。
寧ろ、ソ連に対する警戒感から(また米国に不信感を与えないようにする方便として)、カストロは社会主義革命であるという宣言を先延ばしにしていただけだ。
 だが米国が60年5月、すべての精油作業をストップさせたことで事態は不可逆となった。代わって届いたソ連からの石油を精油する為には、キューバ国内のテキサコ、シェル、エッソなどの精油産業を接収せざるを得なくなったからだ。

カストロを除いて、どんな人物にも、どんな政府にも、米国と対立して60年間もの寧ろ安定した政権を維持することなど不可能だったろう。カストロはそれを成し遂げた。。。その過程で彼がいくつか誤った判断を下したのを我々は責めることなどできない。彼を追い込んだのはまさしく米国政府なのだ。
 もちろん、彼の引退は15年ほど遅かったし、少なくとも多様性ある(社会主義的理念に幅を持たせて)政党と後継者の育成に乗り出すべきだった。ラウルへの権力の委譲は不必要だったし、国民の前に選択肢を示して、譬え形だけのものになろうとも、自由な国民選挙の試みを始めるべきだったかもしれない。
 彼の間違いをあげつらっても仕方ない。すべては彼が独裁者として君臨してしまったことから始まった。人間は誰しも完璧ではないし、自身の先入観や偏見から自由にはなれない。だからこそ多様性のある提言が必要なのだし、その多様性の中にあるリスクを拾う覚悟こそが彼を過ちから遠ざけたかもしれない。もちろん、すべては結果論に過ぎず、仮定に過ぎない。
命ある限りキューバを革命キューバ政府として守ろうとしたこと自体にも無理がある。革命は一時的なものであり、真に革命を進めるということは時代に合わせて変化するということでもあるからだ。一応の革命の成果が出て、その成果が不可逆のものとなった時点で革命は終了すべきものなのだ。
 革命が終了すれば(すなわち富の不均衡や土地の再配分、産業構造の変革、社会的正義など)、再び資本主義的体制を取り入れることも決してやぶさかではなかったはずだ。だが時代がそれを許さなかったのだ。

最後にひとつの問いかけがある。
-カストロは有罪か?

モンカダ襲撃裁判の中で彼は"歴史は私に無罪を宣告するだろう"という有名な言葉を残した。
革命キューバ史の中で彼はその言葉を現実のものとしたけれど、それでも尚、世界には彼を有罪扱いし続ける人々がいる。
だが彼に他の選択肢は存在しなかったのだ。
それは彼個人の力ではどうしようもない国際政治力学の構造だった。
如何なる人物もそれを以て有罪とされることはないだろう。
彼は私腹を肥やした訳ではない。彼は虐殺者や戦争犯罪人として国際裁判に掛けられるようなことはしていない。
独裁者としては極めて穏やかな治世を築いた人物であることは否定しようがない。
キューバ人たちを貧しさの中に閉じ込めたのは彼の罪ではない。
それは我々の側の罪に他ならない。

ゲバラとて例外ではなく、早死した人物は英雄足り得る。
けれど人生を長く全うした者が英雄足り得る道はとてつもなく険しい。
ゲバラはわたしや多くの人々のイコンのひとつであり続けるだろうが、カストロがそこに肩を並べるのは難しい。
けれど彼に唾吐く人間は間違っている。
自分自身に何ができるのか、自分自身が何をしてきたのかを真摯に問えば、彼に対する僅かばかりの敬意くらいは沸いてくるはずだ。
 

fidel-castro-ruz.jpg 

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サンチャゴ滞在5泊6日は料理教室。 [Chile 2016]

ちょっとショックなことがありました。。。

アルゼンチンに着いたものの、パタゴニアの氷河をみるには最低でも3000ドル、イグアス行くにも最低でも2000ドルは掛かる模様。。。
ひー。。。。。。。
そ、そんなあ。。。滝汗っ。

と、とてもじゃないが、すぐには行けません。。。1年働いても行けるかどうか??
いや、稼ぐときは稼ぐんですよ。
ここだけの話、Costa Ricaを出た時には随分と持ってたんですよ。でもね。。。でもね。。。
もうそんなにある訳もなく。。。ひー。。。

はあ。。。あ~ああん、いやんなっちゃった、あ~あああ、驚いた...


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さて、気を取り直して先を急ぎますね。。。ひー。。。

そんなこんなで日曜日の27日朝8時45分にLima(Peru)を出て、Santiago de Chile到着は火曜日の29日の午後5時。
かつて部屋を間借りしていたCarlosのアパートに直行。
なにしろ"ちょっと3ヵ月間、NicaraguaとCosta Ricaにバカンスに出て戻ってくるから必要のない(冬もの衣料など)荷物を預かっておいて♪"と頼んで、それから1年と半年帰らず。わはははははははははははははははははは

1年半に渡って、荷物置き去り。。。ひー、ごめんよー。わはは

こんなこんなで彼との約束は、彼の大好物のカレーをたっぷり作ってあげるということ。わはははははははははは

翌日には4kgもの肉を買い込んで、トマト10ヶ、たまねぎ10ヶを刻んで炒めて。。。5時間以上かかってカレー完成♪
彼用にそれほど辛くはない、わたし的マイルドカレー。
まあ、彼はそれでもヒーヒー言ってましたがね。わはは
 
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でも翌日はコロッケ。
なんと料理音痴の彼が作り方を学びたいと言う。いや、カレーも教えてくれと言われたのだが、たまねぎ刻む段階でアウト。わはははは
で、コロッケ20ヶ完成。
彼はご満悦。

でさらに翌日は、チャーハンの講習。わはは
いや、チャーハンは前に教えたのに、すべて忘れてしまったらしい。。。あほ。
そんな訳で、もう一度、ご飯の炊き方から教えなきゃならん。。。
なにもできないオカマちゃん。わはは

そんなこんな料理教室三昧。

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Chileに来たら忘れてならないのはフルーツ♪
柔らかいジューシーな桃があるのはここだけ♪ それも1kgで2ドル以下。
ブラックチェリー、クランベリーはそれぞれ1kg、500gで2ドルちょっとという安さ♪
もう美味しくてたまりませんでした。わはははは



で、慌ただしく12月4日の朝、Santiago de Chileを出て、いよいよBuenos Aires(Argentina)へ出発。

タダで泊めてくれて、荷物もちゃんと預かっててくれたCarlosありがとねー♪

という訳で、土曜の晩にオカマShowを観にゆくと出掛けて、朝方、お持ち帰りしてきたオカマちゃんとは最後のお別れの抱擁もなく、彼らが寝ている間にわたしはサヨナラ。わはははははははははははは
(実は以前もこんな感じやった。笑)

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ドキュメンタリー映画3本立て in Santiago (笑) [Chile 2016]

そんなこんなでチリの補遺。ホイ??(笑)

いや、別にチリにはまったく関係ない映画の話。久しぶりやな。なにしろPCのDVDがいうこときかんから、まったく映画をみることが出来ない。まあ、別にええねんけど。

そんな中、長距離バスではマラソン上映会。。。くだらん映画ばかり見せられる。。。
しかも中には同じ映画を何度もというのもある。
今回はバカげたイギリスでの各国首相暗殺というもう無茶苦茶なストーリーの映画を2度も見せられた。ひー。。。
くだらん。。。

そんなこんなでSantiagoに着いたわたしは映画なんぞもう見たくもない気分。。。
だったのだが、Carlosがわたしにどうしても見て欲しい映画が一本あるという。。。いややーーー。

と思ったのだが、なんとドキュメントだと言う。へっ?? tvゲームとアニメ、アクションヒーローモノにしか興味のないCarlosがドキュメント??しかも北朝鮮モノだと言うからびっくり!?

"Under the Sun"というロシア映画。ロシアの映画監督が北朝鮮を告発するというか、北朝鮮の暗部を暴くなんて、我々の側からすれば冗談のような話だが、ホントの本気。
 北朝鮮の生ける共産主義国家という側面に興味を抱いた監督が北朝鮮政府(広報)にドキュメンタリー取材を申し入れる。だかもちろん、北朝鮮がそんなもの無条件で受け入れるはずもない。ここでもしロシア以外の国がこんなことを申し込んだら話にもならなかったろうというのも事実。同盟国ロシアだからこそ、交渉を重ね、監視の目の裏をかいて、映画を完成させることができた訳だ。
 北朝鮮側が企んだのは幸せに暮らす一般北朝鮮市民の図、という虚構のプロパガンダ。
撮影には常に北朝鮮の監視と指示が飛び交い、監督の意図するものは一切撮影させてもらえなかった。
そこで監督がとった手段はNGテープを密かに持ち出すこと。
NGテープを積み重ねることで、北朝鮮側が意図したことそのものを明確に描いてみせる。すなわち虚構を創り上げる作業の裏側を垣間見せるという驚きの手段だ。

"Under the Sun"

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実際、映画を見れば、すべては明らかになる。だがこれをみて、鬼の首を取ったように"だから北朝鮮は悪なんだ"と言ってみても仕方ない。そんな言わずもがなの側面を知らせる為にこんな映画を撮った訳ではないだろう。行間をきちんと読めば、北朝鮮という共産主義国家がどういう風に機能し、同時に機能不全に陥っているのか、それでも尚、爆発せずに人々が従うしかないのは、人々のどういうメンタリティと政府の洗脳教育によっているのか、人々の中に次々と生まれるであろう疑念はどういう風に処理されてゆくのかを想像することができる。それこそが共産主義のシステムなのだということだ。
人々の反応は、つまるところ一般的な企業人の日本人の姿ととても似ている。外国人から見た日本人サラリーマンの滑稽さだ。
"はい"、"はい"を繰り返し、直立不動の姿勢をとったり、おべっかに、お世辞を積み重ねたり、上司の命令には絶対だったり。。。これらはまさに西洋からみた日本人社会の縮図でもある。
"我々は違う"なんて言う前に、最近でいうちょっとブラックな企業を覗いてみればいい。
本当になにひとつ変わらない現場が繰り広げられているのをみるだろう。
たとえばわたしがバブル期に勤めていた株式会社三貴(銀座ジュエリーマキ、ブティックジョイ、東京ファニィ)という企業では、社長は絶対的な権力を握っていて、役員から事業部長、マネージャー、店長に至るまで徹底した上意下達と盲従が強いられていた。(※わたしがそんな中で異色の存在だったのは言うまでもない。わはははははは。よく懲戒解雇にならずに済んだものだ。)
我々日本人は資本主義経済の中の共産主義的文化、精神の担い手なのだ。


そんな訳で、Carlosといろいろ話をするが、やはりスペイン語でいいたいことをすべて伝えるのは不可能。。。まだまだですわ。わはは

 で、ふと思いついたのが、先日、Facebookで予告編を見て、"ああ、これ観たい"と思っていた作品。
そう、あのデブちょ、プロパガンダ監督、マイケル・ムーアの"Where ti invade next(マイケル・ムーアの世界侵略のススメ)"。

わたしにはよく分からないのだけれどNetflixとかいうシステムで、どんな映画でもダウンロードして合法的に見れるらしい。凄いな。
それでCarlosに上記の映画を探してもらう。

"Where ti invade next(マイケル・ムーアの世界侵略のススメ)"

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 いや、面白い♪
"ボウリング・フォー・コロンバイン"は傑作だったが、続く"華氏911"は、プロパガンダの匂いがキツ過ぎて、反ブッシュの旗手であるはずのわたしでもやや興ざめしてしまった。だからそれ以降は彼の作品は観ていない。
だがこれは正真正銘の傑作だ。
ここでは米国社会がムーアによってまな板の鯉とされているが、まったく同じことを日本社会に置き換えることが可能だ。
もうこれほど面白くて真摯なドキュメントは滅多にお目に掛かれないはずだ。
ぜひ一人でも多くの人に見て欲しいと思う。
我々は異文化に触発されなければならないのだ。
ナショナリストどもは本当になんにも分かっちゃいない。わはははは

で、"Where ti invade next"を検索して探している間に目に留まったのが、"What happened Miss Nina Simone?" (2015)だ。

"What happened Miss Nina Simone?"

nina.jpg

遺されたNina Simoneの映像を紡いだドキュメンタリー映画。
彼女の夢は黒人初のクラシックピアニストになることだった...。
だが肌の色を理由に音楽院は彼女に奨学金を許さず、夢を諦めた彼女はBarで弾き語りを始める...。
それが新しい未来を拓くとは知らずに...。
そして彼女は輝き、黒人解放運動の中で闘い、そして疲れ果てて道を失い、場末へと堕ちる。。。
サクセスストーリーでもなく、少し物悲しい作り物ではない人生を描いた作品だ。
幼少期を過ぎたあと、人生の前半、彼女の人生はサクセスストーリーそのものであり、彼女自身も素晴らしい人間であるように見えた。。。だが人生の中盤から急激に彼女は"どんな人間も完璧ではあり得ない"という言葉を体現してみせる。
疲れ果てた彼女はリベリアの地に夢をみて移住する。
今では想像もできないだろうが、当時リベリアは米国系黒人たちがアフリカ回帰を夢見て創り上げた黒人にとってのユートピアだった。
平穏な日々。。。だが退屈な日々。。。忍び寄る貧困の影。。。
娘に暴力を振るう母親。。。娘に見捨てられる母親。
それまでは旦那の暴力を訴えていたはずなのに。。。真実はどこにあるのか??
パリに落ち延びたものの、場末のカフェで死んだような瞳をして歌うNina。。。

友人たちの助けにより後年の平穏を得ることができたのがせめてもの救いだったと言えるのか。。。2003年享年70才。



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